其の六
†6†
そんな広大な図書室の隅、窓際のあたりは机の並んだ自習スペースで、
「ごめん、遅くなった」
「どうせ今朝のお友達に色々と
雅紀は否定しなかった。
「さて、と。それじゃあ本題に入るわね」
小豆は漫画を脇にどかすと、足下のスクールバッグからソーイングセットを引っ張り出した。それから、半紙が数枚と人型に切り取られたフェルトが二枚。それらを机の上に丁寧に並べていく。
「さて、と。まず最初に一つ聞いておきたいんだけど、浅井君のおじいさんの集落って、
「そうだけど、どうしてわかったんだ?」
「あの女が気になって調べてみたのよ。それに、杉ってちょっと名の知れた集落だしね」
「名の知れた? あんなド田舎が?」
雅紀が驚くと、小豆はうなづいた。
「うん。あそこの土地神……
言うが早いか、返事も聞かずに雅紀の前髪を掴み、数本の髪の毛を切り取る。
「おい、それ、どうするんだ?」
「フレイザー言うところの感染魔術ってやつね。髪や爪は切って体から離れた後もその持ち主とのつながりが残っているっていう。だから、身代わりを作る時に髪や爪を組み込むと効果はより高くなるのよ」
そう言いながら、切り取った髪を半紙に包み込み、上から呪文のようなものを書き込んだ。
「ふれいざー?」
「ジェイムズ=フレイザー、『
別の半紙を細くちぎって
「で、最終的には杉集落まで行かなくちゃならないんだけど、足は確保してあるわ……ねえ、大丈夫?」
「え?」
小豆は手を止めて、じっ、と雅紀の顔を見た。
「クマできてるわよ。何かあったんじゃない?」
「あ、ああ……」
雅紀は昨夜起きたことをかいつまんで話した。
話す内に小豆の表情が険しくなっていく。
「よく助かったわね。普通なら鍵を開けられた時点で負けなんだけど」
そう言って、小豆は小さく息を吐く。
「それに、あの集落はミチキリしてあるって聞いたけど、結構あっさり出てきてるじゃない……」
「なあ、そのミチキリってなんなんだ?」
「ミチキリっていうのは、そのまま、道を切るって意味よ。といっても、物理的にやるわけじゃなくて、呪術的なシンボルを使って象徴的に切るの」
「象徴的にっていうと、どういうこと?」
「まあ、わかりやすく言うなら村境に道祖神や
「うん、わからない」
「でしょうね。普通の人はあまりこういう文化に
小豆の言い方にはどことなく呆れがうかがえた。
「まあ、一種の結界とでも思っていいわ。それなら分かるでしょ?」
「それなら、まあ……」
雅紀が結界という言葉から想像したのは漫画などでよく見る、光の壁で空間を遮断する描写だったが、それでも道祖神や庚申塔よりは身近でわかりやすい表現だった。
「じゃあ、祖父ちゃんの集落はその結界で八尺様をくい止めてたってことか?」
「ええ、そうなるわね。もっとも、昔は山側にも結界があって、八尺様の集落への侵入を防いでいたのかもしれないけれど」
「集落そのものを結界で囲っていたわけか」
「昔の人にとって、山は異界――人ならざるモノたちの世界だったわけだもの、当然よ。さ、これで身代わりの核となる護符は出来上がり」
そう言って、半紙の護符に息を吹きかけた。
続いて針を取ると、穴に糸を通し、口の中で小さく何かを唱える。
「さて、後はヒトカタを縫い合わせて行くんだけど、ここからは浅井君がお願い」
「お、おう……どうして?」
「こーいうのはお願いする人がやった方が効果的なのよ」
そう言いながら、小豆は右目でウィンクしてみせた。
「さ、やってみなさいよ」
「でも、オレ家庭科はあまり得意じゃないんだけど……」
「不格好でもなんでも関係ないわ。大事なのは身代わりになる本人が縫ったってことなの」
そう言われて、雅紀は仕方なく針と糸を受け取った。
「縫い始める時は下の方からね。肩まで縫ったら一度手を止めてさっき作った護符を入れるの」
小豆はそれだけ言うと、窓枠にもたれるようにして眼を閉じた。
「結界といえば、この学校も結界が張ってあるのよ」
「そう、なのか?」
「うん。北東には初代理事長の胸像があって、南西には慰霊碑があるでしょ? あれがそれぞれ、鬼門と裏鬼門を封じる門番の役割を担ってるのよ」
眼を閉じたまま、小豆は続ける。
「それから、学校の周りに点在する
「それじゃあ、八尺様は入ってこないのか?」
「たぶん、ね。それに、君の話を聞く限りだと、どうも中から招かれない限り家の中には入れないみたいだし、ひとまずこの学校の中は安心していいんじゃないかしら」
「そういうもんなのか……」
小豆の話を聞きながら、雅紀はなんとかフェルトを肩口まで縫い上げた。
「肩まで終わったぞ」
「ん。そしたら護符をヒトカタの中に入れて。そしたら……」
小豆が次の指示を出そうとした時、図書室の戸が開いて
雅紀は、この朝倉という教師が放課後に美術室と職員室以外の場所にいるのを初めて見た気がした。
その朝倉は図書室の中を見回すと、すぐに雅紀たちのいる自習スペースへやってきた。
「あら、先生。早かったですね」
「うるせぇ、人を暇人みたいに言いやがって。……まあ、ヒマだけどな」
ということは、やはり今日も美術室で絵を描いていたのだろう。
「で、人を呼びつけといて一体何の用事だ? 杉がらみならお断りだぞ。あそこは実家の
朝倉は雅紀と、それから雅紀の作っている身代わりを一瞥しながら言った。
「残念だけど、その杉がらみよ。それも、浅井くんの命が関わってるわ」
「……例の神さんか」
朝倉はうんざりしたように首を振った。
「ったく、仕方ねぇ。ここで放っぽっても寝覚め悪いからな。神さんの
「まあ、ありがとうございます」
「うるせぇ。お前が
「叔父さん、そんなこと言わないでくださいよ」
小豆はニッコリと笑った。女性と付き合った経験のない雅紀から見てもわかるような、あからさまな営業スマイルだ。
「さ、浅井くん。後はあなたが身代わりを完成させるだけよ」
小豆は営業スマイルのまま雅紀に振り返ると再びウィンクした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます