其の六

   †6†


 大徳だいとく学院高校の図書室は、特別教室棟の四階をまるごとワンフロア使用しており、その広い空間には古典文学から辞書、事典、統計資料……さらには洋書漢籍まで納められた本棚がずらずらと並べられている。

 そんな広大な図書室の隅、窓際のあたりは机の並んだ自習スペースで、小豆あずき頬杖ほおづえを突いてつまらなそうに漫画をめくっていた。


「ごめん、遅くなった」


 雅紀まさきが謝りながら入ってくると、小豆は漫画から眼を上げて溜め息をついた。


「どうせ今朝のお友達に色々とかんぐられたんでしょ? ま、しょうがないわよ」


 雅紀は否定しなかった。


「さて、と。それじゃあ本題に入るわね」


 小豆は漫画を脇にどかすと、足下のスクールバッグからソーイングセットを引っ張り出した。それから、半紙が数枚と人型に切り取られたフェルトが二枚。それらを机の上に丁寧に並べていく。


「さて、と。まず最初に一つ聞いておきたいんだけど、浅井君のおじいさんの集落って、すぎ集落なんじゃない?」

「そうだけど、どうしてわかったんだ?」

「あの女が気になって調べてみたのよ。それに、杉ってちょっと名の知れた集落だしね」

「名の知れた? あんなド田舎が?」


 雅紀が驚くと、小豆はうなづいた。


「うん。あそこの土地神……八尺様はっしゃくさまは、あたしたちにとってはアンタッチャブルな存在なのよ。とりあえず、髪を少しくれる?」


 言うが早いか、返事も聞かずに雅紀の前髪を掴み、数本の髪の毛を切り取る。


「おい、それ、どうするんだ?」

「フレイザー言うところの感染魔術ってやつね。髪や爪は切って体から離れた後もその持ち主とのつながりが残っているっていう。だから、身代わりを作る時に髪や爪を組み込むと効果はより高くなるのよ」


 そう言いながら、切り取った髪を半紙に包み込み、上から呪文のようなものを書き込んだ。


「ふれいざー?」

「ジェイムズ=フレイザー、『金枝篇きんしへん』で知られる昔の学者よ。まあ、知らなくても構わないわ」


 別の半紙を細くちぎって紙縒こよりにし、半紙を上から縛っていく。


「で、最終的には杉集落まで行かなくちゃならないんだけど、足は確保してあるわ……ねえ、大丈夫?」

「え?」


 小豆は手を止めて、じっ、と雅紀の顔を見た。


「クマできてるわよ。何かあったんじゃない?」

「あ、ああ……」


 雅紀は昨夜起きたことをかいつまんで話した。

 話す内に小豆の表情が険しくなっていく。


「よく助かったわね。普通なら鍵を開けられた時点で負けなんだけど」


 そう言って、小豆は小さく息を吐く。


「それに、あの集落はミチキリしてあるって聞いたけど、結構あっさり出てきてるじゃない……」

「なあ、そのミチキリってなんなんだ?」

「ミチキリっていうのは、そのまま、道を切るって意味よ。といっても、物理的にやるわけじゃなくて、呪術的なシンボルを使って象徴的に切るの」

「象徴的にっていうと、どういうこと?」

「まあ、わかりやすく言うなら村境に道祖神や庚申塔こうしんとうを置いて疫神えきしんや通り悪魔が村に入らないようにしたり……って、これでもわからないかしら?」

「うん、わからない」

「でしょうね。普通の人はあまりこういう文化に馴染なじみがないから」


 小豆の言い方にはどことなく呆れがうかがえた。


「まあ、一種の結界とでも思っていいわ。それなら分かるでしょ?」

「それなら、まあ……」


 雅紀が結界という言葉から想像したのは漫画などでよく見る、光の壁で空間を遮断する描写だったが、それでも道祖神や庚申塔よりは身近でわかりやすい表現だった。


「じゃあ、祖父ちゃんの集落はその結界で八尺様をくい止めてたってことか?」

「ええ、そうなるわね。もっとも、昔は山側にも結界があって、八尺様の集落への侵入を防いでいたのかもしれないけれど」

「集落そのものを結界で囲っていたわけか」

「昔の人にとって、山は異界――人ならざるモノたちの世界だったわけだもの、当然よ。さ、これで身代わりの核となる護符は出来上がり」


 そう言って、半紙の護符に息を吹きかけた。

 続いて針を取ると、穴に糸を通し、口の中で小さく何かを唱える。


「さて、後はヒトカタを縫い合わせて行くんだけど、ここからは浅井君がお願い」

「お、おう……どうして?」

「こーいうのはお願いする人がやった方が効果的なのよ」


 そう言いながら、小豆は右目でウィンクしてみせた。


「さ、やってみなさいよ」

「でも、オレ家庭科はあまり得意じゃないんだけど……」

「不格好でもなんでも関係ないわ。大事なのは身代わりになる本人が縫ったってことなの」


 そう言われて、雅紀は仕方なく針と糸を受け取った。


「縫い始める時は下の方からね。肩まで縫ったら一度手を止めてさっき作った護符を入れるの」


 小豆はそれだけ言うと、窓枠にもたれるようにして眼を閉じた。


「結界といえば、この学校も結界が張ってあるのよ」

「そう、なのか?」

「うん。北東には初代理事長の胸像があって、南西には慰霊碑があるでしょ? あれがそれぞれ、鬼門と裏鬼門を封じる門番の役割を担ってるのよ」


 眼を閉じたまま、小豆は続ける。


「それから、学校の周りに点在する不動ふどう堂ね。こっちも学校を囲って余計なモノの出入りを妨げてるのよ。大した力のない魑魅魍魎ちみもうりょうはフリーパスみたいだけど、八尺様みたいに強い悪意を持つモノは通さないはずよ」

「それじゃあ、八尺様は入ってこないのか?」

「たぶん、ね。それに、君の話を聞く限りだと、どうも中から招かれない限り家の中には入れないみたいだし、ひとまずこの学校の中は安心していいんじゃないかしら」

「そういうもんなのか……」


 小豆の話を聞きながら、雅紀はなんとかフェルトを肩口まで縫い上げた。


「肩まで終わったぞ」

「ん。そしたら護符をヒトカタの中に入れて。そしたら……」


 小豆が次の指示を出そうとした時、図書室の戸が開いて朝倉あさくらが入ってきた。相変わらず猫背気味で不景気な表情をしている。

 雅紀は、この朝倉という教師が放課後に美術室と職員室以外の場所にいるのを初めて見た気がした。

 その朝倉は図書室の中を見回すと、すぐに雅紀たちのいる自習スペースへやってきた。


「あら、先生。早かったですね」

「うるせぇ、人を暇人みたいに言いやがって。……まあ、ヒマだけどな」


 ということは、やはり今日も美術室で絵を描いていたのだろう。


「で、人を呼びつけといて一体何の用事だ? 杉がらみならお断りだぞ。あそこは実家の檀家だんかが多いからあまり近寄りたくねぇんだ」


 朝倉は雅紀と、それから雅紀の作っている身代わりを一瞥しながら言った。


「残念だけど、その杉がらみよ。それも、浅井くんの命が関わってるわ」

「……例の神さんか」


 朝倉はうんざりしたように首を振った。


「ったく、仕方ねぇ。ここで放っぽっても寝覚め悪いからな。神さんのやしろまで送ってやるよ」

「まあ、ありがとうございます」

「うるせぇ。お前が従兄いとこの娘じゃなきゃこんな面倒に巻き込まれなかったんだがな」

「叔父さん、そんなこと言わないでくださいよ」


 小豆はニッコリと笑った。女性と付き合った経験のない雅紀から見てもわかるような、あからさまな営業スマイルだ。


「さ、浅井くん。後はあなたが身代わりを完成させるだけよ」


 小豆は営業スマイルのまま雅紀に振り返ると再びウィンクした。

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