其の五

   †5†


 翌日、雅紀まさきが登校すると、部活の朝練で一足先に登校していた一也かずやが昇降口の前で待ち構えていた。


「おはよう、雅紀! 聞いたぜ?」

「一体誰に何を聞いたんだよ?」


 雅紀が寝不足気味の眼をこすりながらきくと、一也はもったいぶるように咳払いをした。


「エー、一昨日おとといの夕刻、被疑者は渡来わたらい川にかかる昭和橋上にて女子高校生と長時間に渡って親密な会話を行っておりました。当局ではこれが青春罪に該当すると判断し、告訴いたします」

「……あっそう」


 雅紀は首を横に振ると、一也を振り切って昇降口に入ろうとした。


「ちょ、待てよ雅紀」

「悪い。今ちょっと眠いんだ」

「そこをなんとか。な?」

「な? と言われても困る。お前に話せることでもないし」

「またまた。そうやってごまかす気だろ」

「ごまかす理由もないだろ。それに、部活の方はいいのかよ?」

「ああ、いいんだいいんだ。それよりお前に彼女ができたのかどうかの方が百倍大事だ!」


 一也は両手を腰に当てて胸を張った。


「そうですか」


 雅紀はそれ以上構わずに行こうとするが、一也は見事な動きで雅紀の前に立ちはだかる。


「通してくれよ」

「通してほしければおとといの真実を教えてもらおうか」

「真実って言っても……」


 どこから話すにしても、うまく話せる自信がない。

 雅紀が答えあぐねていると、不意に背後から少女の声がかかった。


「おはよう、浅井あさい君」


 一也の顔に驚愕きょうがくの色が浮かぶ。

 雅紀には振り返らずとも相手がわかった。

 そもそも、この高校で雅紀を浅井くん、などと呼ぶ女子は一人しかいない。


「おはよう」


 雅紀は天のたすけとばかりに後ろを振り向く。

 そこには小豆あずきが「何やってるの?」とききたげな顔で立っていた。


「ツインテールに赤眼鏡、大徳ウチの制服――特徴は合ってるな。ということは、このがお前の彼女か?」


 一也がひじで雅紀をつつきながら小声でたずねてきた。

 雅紀は苦笑しながら訂正する。


「彼女、じゃないな。おととい少し会って話したのは事実だけど」

「じゃあなんだよ? 彼女でもない女と小一時間話し込んでたってのか?」

「誰から聞いたかは知らないけど、一時間どころか、五分も話してないぞ」

「ああ、そうなんですか。って、そう言われてハイそうですかと信じられるか」

「信じろ。真実はどうか知らないが、事実はいつも一つしかない」


 雅紀と一也が小声で言い合っていると、小豆は呆れ顔でこれ見よがしにため息をついた。


「男子ってほんとバカね」


 眼鏡をずらし、にらむような力の籠もった目で雅紀の目をのぞき込む。


「ところで、浅井君。あの女から逃れられる方法があるとしたら、それに賭ける気はある?」


 小豆の勢いに気圧けおされ、雅紀は思わずのけぞってしまう。


「そ、そんな方法があるのか?」

「ええ、もちろん。……ただし、確実とは言えないけれど」


 そんな方法があるのならすがりたい。だが、付け加えられた「確実とは言えない」という一言が不安だ。


「本当に、大丈夫なのか? 祟り神って言ってたよな?」

「ええ、そうよ。だからどうにかするなんてことはできないわ。でも、浅井君が狙われないようにすることはできる」

「それって、どう違うんだ?」

「簡単に言うなら、浅井君の身代わりを作ってささげるの。あたしの推測が間違ってなければそれで浅井君は助かるはず。どう、賭けてみる?」

「あ、ああ……。他に方法もないし、な」


 雅紀がうなづくと、小豆もうなづき返す。


「わかった。じゃあ放課後、図書室に来てちょうだい」

「ああ、わかった。図書室だな」

「そ。それじゃあね」


 小豆はそれだけ言うと、もう男子のじゃれ合いに興味はないとばかりに、さっさと校舎に入ってしまった。


「……雅紀」


 一也がぽつり、とつぶやくように呼んだ。


「ん?」

「放課後に図書室デェトですかぁ? 許せん!」


 分厚い筋肉でよろわれた太い腕が雅紀の首に回され、ぐいぐいと締め上げてくる。


「ぐふッ! や、やめろって! ギブギブ!」

「そういうわけには行かないのだよ、ミスタ浅井雅紀」


 一也はそのままたっぷり時間をかけてテンカウントを数えてから雅紀を開放した。

 床に転がった雅紀は、起きあがりながら一也のわき腹に肘を打ち込む。

 少々過激ではあるが、いつものやりとりだった。

 今の雅紀にはそのいつも通りがありがたかった。

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