セキュリティ
三月三十日 火曜日 十三時三十分――
上田洋子の家を出た後、駅の方へ少し戻ってから坂を上がっていくと、その途中にモダンな家が建っている。現在、被害届を出している五件のうち最も日付が最近の被害者、井口季実子の自宅である。大田原は、井口と書かれた表札の横にある呼び鈴を押す。
『どなた』
「昨日電話した大田原です」
『ああ、警察の方ね。どうぞ』
ビーッという音とともに、ゲートが開錠されたことが分かる。大田原はゲートを開いて、コンクリート打ちっぱなしの壁に、はめ込まれたような扉の前に立った。すると中から、扉が開き、化粧の濃い女性が出てきた。
「あら」
女性は大田原を見て、少し残念そうな表情をしたが、後ろから来た牧瀬を見て笑顔になった。どうやら若い男好きのようだ。
「あらあ、ようこそ。井口季実子です」
季実子に案内され、大理石の廊下を歩いていく。出された来客用のスリッパを履いていてもどこかひんやり感じる。応接間に座ると、季実子は牧瀬に向かって話し始めた。
「空き巣のことですわね」
空気となった大田原は、牧瀬に目配せをする。牧瀬はニコッと微笑んだ。
「はい。できるだけ詳しくもう一度教えて欲しいんです」
「あらあ、いいわよ」
ねっとりとした季実子の話し方に牧瀬は堅めの笑顔でお礼を言った。季実子はねっとりと続ける。
「そうねえ。どこからお話しようかしら。そうだわ、見てもらった方が早いかしら」
そう言って、季実子が牧瀬の腕に手を絡めて引っ張った。
「あ、あの」
「被害に遭った箪笥、二階にありますの」
「そ、そうですか。あの、でも自分で歩けますので」
「あらあ、遠慮なさらないで。こちらです」
季実子に強引に連れていかれる牧瀬の後ろを大田原は黙ってついていく。大田原は今、空気なのである。ひんやりとした階段で二階に上がると、そこはワンフロアまるまる一つの部屋であった。牧瀬は思わず、「広い」と言ってしまう。
「そうでしょう。寝るお部屋は解放感がないと嫌でねえ」
牧瀬の反応に気をよくしたのか、季実子はさらに声を高くねっとりとさせる。しかし、寝室なのでベッドはあるが、他にはなにもない。
「箪笥はどこにあるんだろう? って思いました?」
ふふ、と季実子は腕を引っ張って、木の壁に向かっていく。すると一面壁のように見えたのは、天井まで届く大きな扉だった。壁を押すと、前面にせり出す扉となり、開くと中にはウォーキングクローゼットとなっていた。先ほどの上田洋子の部屋くらいありそうなウォーキングクローゼットは華美な服で埋め尽くされている。
そのさらに奥に真っ白な箪笥が置いてあった。
「こちらですわ」
そう言って、季実子はようやく牧瀬の腕を開放し、箪笥へ向かう。最上段を開けるとセクシーな下着ばかりが並んでいる。
「ここに、現金百万円と預金通帳を入れていました」
話を続けるために刑事二人と季実子は、一階の応接間に戻った。
「それで現金だけが無くなっていたんですか?」
「ええ」
「どのように気づかれたんですか?」
「三月二十五日のことですけれどね。セキュリティ会社から連絡を受けたんです。侵入されていますよって。急いで会社から戻ると、警備の方がいて。確認したら現金がなくなってました」
季実子はソファの上で脚を組み替える。
「お仕事は町工場の経営でしたっけ」
牧瀬は被害届に書かれていた職業を思い出しながら、話を合わせようとした。
「ええ。少し前から海外とも取引があるんですの。主人は出て行ってしまったし、私一人で本当に大変で……」
「そうなんですね。それで、あの、どういう侵入だったんですか?」
「庭の窓から入られたみたいです。鍵を掛け忘れていたみたいで。家に入ったらセキュリティを解除しないといけないのに、されなかったから警備員が駆けつけてくれたんです」
セキュリティ会社によるが、開錠してから決められた時間内にセキュリティ解除をしないと、警備員が駆け付けるというサービスがある。
「それは何時ごろですか?」
これを聞いたのは牧瀬ではなく、大田原であった。季実子は息を吐き出しながら分厚い唇をぶるるっと震わせた。
「十六時半ごろに連絡もらって、家に着いたのが十五分後くらいかしら」
十五分以内の犯行。だが、井口季実子の家にはそれ以上の情報はなかった。土も、ゲソ痕も、もちろん指紋も。箪笥や壁周辺にあったのは季実子の指紋だけだったのだ。大田原は最後に確認した。
「こちらでは現在お一人で?」
「ええ」
「ご主人は不在とのことですが、他に日常的に出入りされる方とかはいますか?」
「そうねえ、週に一度、家事代行の方に来ていただいているけれど」
「――その方のお名前は?」
立花恵里であった。大田原は今日何度も聞いたその名前に、どこか胃がむかつくような感覚を覚えた。季実子の家を出た時に、胃がむかつくと大田原が言うと、のんきな相棒はこう答えた。
「あそこのラーメン、ちょっと脂っぽかったですもんね」
大田原は胃のあたりを押さえながら、左手首にはめた時計を確認した。妻の千代と付き合っていたころ、就職祝いにと買ってくれたものだ。
十四時二十分――
その時、大田原は、道の向こうで警察官に声を掛けられている怪しい恰好の男と、変なハットをかぶっている女子高生の姿を目にした。
「ああ、胃がむかつく……」
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