赤いちゃんちゃんこ
三月三十日 火曜日 十三時十分――
一軒家レストランの中は、ランチ営業も終わりかけだというのに、それでも客は途切れる様子はなかった。食後のコーヒーもそこそこに、立花恵里は十四時から次の飯島さんの宅に行かないといけないんです、と口早に話し始めた。
「まず、町内で空き巣の被害にあったのは、おそらく佐々木さんのお宅が最初です。先月の終わり頃だったかしら」
「真琴、メモを頼む」
安賀多の言葉に、真琴がスマートフォンをいじり始める。昨今のメモは手書きではない。録音だってわざわざボイスレコーダーを用意する時代でもないのだ。真琴が頷くと、安賀多は恵里を見た。
「すみません、佐々木さんというのは、先ほど立花さんが仰ってた三つのお宅とは別ですね?」
「はい。佐々木さんがゴミ捨てに出て、帰ってきたら居間に置いていた鞄の中の財布が無くなっていたそうです。次は三月三日、九時過ぎに、猪瀬さんのお宅で、箪笥に入れていたご祝儀袋が無くなってたそうなんです」
「詳しく覚えてるんですね」
「猪瀬さんのお宅に伺う日だったので。ひな祭りで、私はお孫さんたちが集まるようの特別なちらし寿司を受け取りに行っているところでした」
「特別なちらし寿司というと?」
「お孫さんたちが大好きなアニメのキャラクターの飾り付けがしてあるんです。こーんな大きくてね」
そう言いながら、恵里は手で自分の肩幅くらいの長方形を空に描いた。
「少し遠いところだったので、私が取りに行ったんですけど。重くて重くて……何度か駅のホームのベンチで休憩しちゃいましたよ」
恵里が思い出すように視線を動かしてから、手帳を取り出した。
「これを最初から出せばよかった。ごめんなさい、歳で……」
「いえいえ。失礼ですけど、立花さんはおいくつなんですか?」
「赤いちゃんちゃんこを着る歳です」
「えっ」
アポロを捕獲した身のこなし、健康そのものな食べっぷり、快活な笑い方。安賀多はもちろん、玲子ですら目を見開いていた。
「え、立花さん、還暦なんですか?」
「あはは、よく見えないって言われるわよー」
「見えないです」
「夫とずっと二人でね。子どもがいなかったから、その分体力が有り余ってるんじゃないかって言ってるわねー」
そう言ってゲハゲハと笑う恵里は、十人くらい子どもがいそうな肝っ玉母さんそのものであった。玲子はセンシティブな話に少し声を落とした。
「そうなんですか」
「家事代行始めたきっかけも、夫が早期退職して、毎日顔つき合わせてるのもなんだから私が働きに出たのよ。ほら、まだまだ元気だしねー」
玲子は「へー」とも「ほー」ともつかない相槌を打っている。
「すみません、立花さん。お時間もないので、手帳拝見させていただいても?」
「もちろん」
安賀多の言葉を受けて、恵里が手帳の三月部分を広げて見せる。分厚い手帳にはスケジュールが手書きでびっしりと書き込まれていた。安賀多は感嘆の声を上げた。
「本当に売れっ子アイドル並みのスケジュールですね」
「ええ。月曜日の午前が猪瀬さん、午後が井口さん。火曜日の午前が染倉さん、十四時から十七時までが飯島さん、十八時から立川さん。水曜日は――」
「ああ……申し訳ない。覚えられないので、写真を撮らせていただいても?」
「あら、変なこと書いてないかしら? おばさんのプライベートなんて興味ないでしょうけど」
「ははは」
「どうぞ」
安賀多は笑顔で手帳を受け取って、真琴に渡した。スマートフォンをカメラモードに切り替えて、真琴がスケジュールを撮影する。
「ところで、立花さんのスケジュールというのは基本的に固定なんですか?」
「ええ。大体、週に一回か二回、お邪魔してお掃除したり、お料理の作り置きをしたりするので固定ですね。日曜だけお休みもらってるんですけど、要相談ですね。新規の方は、空いてる時間に数時間なら、という感じで」
「なるほど……それで残りの被害宅についてですが」
「えっと、三月三日のお雛祭りが猪瀬さんが貴金属と現金で、同じ日に立川さんが被害に遭われていて。電話台から現金が盗まれていたって」
「同じ日に。これは、時間は?」
「おそらく午前中だろうというお話ですけど」
「そういえば、立川さんといえば、このお宅も立花さんが担当されているんでしたっけ」
「ええ」
「えっと、立川さんと、猪瀬さんと――」
「井口さんですね」
「井口さんが被害に遭われたのは?」
「アポロ失踪の前日だったかな」
「玲子さんが喫茶メアリに来たのが先週の金曜日。アポロがいなくなったのがその前日。さらにその前日は、水曜日か。三月二十五日」
「そう、二十五日でした」
「それでは、えっと他に被害に遭ったお宅はご存じですか?」
「私が噂に聞いたのはあと一軒だけです。上田さんのお宅です。小さいお子さんがいるお宅で、出先から帰ったら、鏡台の宝石類がなくなっていたって」
「なるほど」
安賀多は、いよいよややこしくなってきた事件の記録にため息を吐いた。
「奴さん、かなりのやり手のようだ……」
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