本題
折原玲子の話は、ようやく本題へと入った。
初回の依頼から半年、折原玲子は、週に三回ほどのペースで飯島家に呼ばれることになった。もっと頻回に来て欲しいと優梨愛には言われたが、他の依頼もあるのでと玲子が断ったのだ。
週三――主に月水金で、玲子は十四時から二十時過ぎまで、子守と料理をした。そして、会社には秘密だが、飯島聡の帰宅が遅い日には、一緒に食事をするようになっていた。半年の間に、玲子と優梨愛は奇妙なほど仲が良くなり、プライベートでメッセージを送り合うようにまでなった。だが、聡が慣れ合いすぎるとよくない、と気を抜くとサービス残業のようになってしまうところを、しっかり支払ってくれたので玲子は安心して飯島家に通っているのであった。
収入もだいぶ安定してきたので、飯島家に行かない他の日は主に有料の講座を受けていた。玲子は、家事代行サービスの楽しさに目覚め、もっと多くのことを学びたいと向上心を見せていた。若干、資格マニアのようなところもあるのかもしれない、と玲子は冗談のように言う。
そして、半年経ったある日、事件が起こった。これが、本題。
玲子いわく、昨日のことだ。
三月二十六日 金曜日 十三時五十分――
玲子はいつも通り、十分前に飯島家のインターホンを押した。その後、返答はないが玄関アプローチを抜けて、ドアを開けて家の中へと入った。そこにはすでに優梨愛が待っていて、玲子と入れ違いで家を出て行った。玲子は息を潜め、外の様子に耳を傾ける。
優梨愛が誰かと会話する声、そして遅れてスタートする車のドドド、というエンジン音といずこかへと消えていく音。もはや、「美容院に行く」とも言わなくなった優梨愛は、週三回こうして玲子と入れ替わりでどこかへ出かける。そして決まって十七時には帰ってきた。
半年の間に、上の階へ上がることが許されるようになっていた玲子は、玄関のウォークインシューズクロークに置いてある専用のスリッパを履き、新調した花柄のエプロンに着替えてからそのまま二階にある愛翔の部屋へと向かう。階段を上がってすぐが愛翔の子ども部屋、左側が寝室、右側は書斎であるというが、基本的には愛翔の部屋にしか、玲子は入らなかった。
愛翔は、玲子の姿を見つけると喜んで駆け寄り、ギュッと玲子を抱きしめる。愛翔がひらがなとカタカナを覚えられるようにと、絵本の読み聞かせをしたり、あいうえおの練習をしてみたりと忙しく過ごす。
十五時におやつを食べるために、愛翔と二人で一階のリビングダイニングルームへと向かった。
キッチンへ入った玲子は、冷蔵庫を開けて、前々日に用意しておいたプリンを出す。慣れた手つきで、小さいスプーンを引き出しから出して、トレイに置く。その時、足元の自動給餌器が目に留まった。キャットフードがないが、そういえば猫の姿を見ていない。玲子は、首を軽く傾げてから、気のせいかと何事もなかったかのように愛翔とおやつを食べた。
十六時、愛翔を二階の子ども部屋で寝かしつけた後、玲子はもう一度一階へ戻った。晩御飯の用意をして、自動給餌器を確認すると、ストックのキャットフードがなかった。補充してから、家の中を軽く見て回ったが猫の姿はなかった。
十七時、優梨愛がご機嫌な様子で帰宅。お土産にと買って来たというお惣菜をおかずに、先に用意してあった炊き込みご飯を優梨愛と愛翔、玲子の三人でいつものように食べる。
十九時、玲子は片づけをして、優梨愛は愛翔とテレビを見て過ごす。
二十時、自動給餌器の音とともに、キャットフードが出てきた。そこで、猫のアポロがどこに行ったのかという話がようやく出た。その時、家の主人である聡が帰宅した。
みんなでアポロを探してみたけれど、家の中にはいなかった。自動給餌器は一日三回。朝八時の餌の時間にはアポロの姿は見たのかと話し合ったが、忙しい時間帯、誰も記憶をしていない。朝八時過ぎに、聡は仕事のため外出。優梨愛は家事をしており、十二時に愛翔とお昼ご飯を食べている。それから出かける準備をして十四時前には外出していた。アポロに関する記憶はない。
二歳の愛翔は落ち込んだ様子で、「よくわからない」とだけ答えた。
アポロはどこへ消えてしまったのか。誤って外に出てしまったのだろうか。
聡も優梨愛も、いつか帰ってくるだろうというスタンスだが、玲子はインターネットでいろいろ調べてみた。猫について、それを探してくれる人間について。
そして、たどり着いたのが『不思議な口コミ』の書かれていた喫茶店。
喫茶店の名は、『メアリ』。
そこで深い臙脂色のソファに腰掛けると、店主がおすすめを教えてくれる。それを断り『季節のブレンド』と本日のスイーツをお願いすると――
その客のお願いをハンサムな探偵が叶えてくれる、というのだ。
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