家事代行サービス

三月二十七日 土曜日 十四時十五分――


 オフィス街の人気のない路地裏にある喫茶メアリは、表向き。ここの店主のもう一つの顔は、探偵である。


『探偵 安賀多九助あがた きゅうすけ


 店主――もとい、探偵の男が女性に渡した名刺にはそれだけが書かれた、極めてシンプルなものだった。まるで安賀多という男を表すように。

 安賀多九助はシャツの上からでも鍛えているのであろうことが伺える体つきをしている。お陰でパッと見、若々しく見えるが、こざっぱりとした短髪に、口ひげ、鋭い眼光が、男を年齢不詳にさせている。薄暗い店内では特に。


 すっかり綺麗に片づけられたテーブルの上に名刺を置いて、女性は来訪の理由を、向かいの椅子に座った安賀多に話し始めた。女性は、折原玲子おりはら れいこと名乗った。


「私、家事代行サービスに登録しているんですけど」

「家事代行というと」

「お料理を作って欲しいとか、二時間だけ子どもの面倒を見て欲しいとか、あるいはお留守番をして欲しい、仕事中に家事を肩代わりして欲しいといったお客様のご要望にお応えするサービスです」

「ほう」

 安賀多は、なるほど、と顎髭を人差し指で撫ぜた。


 玲子は安賀多の言葉が続かないことを確認してから、口を開く。

「登録自体は難しくないんですよ。なにか掃除であれ、料理であれ不得意ではないことがあれば面接を受けて完了です」

「そんな簡単に」

「ええ、でも登録されたからといってすぐにお仕事がいただけるわけじゃありません。このアプリで、実際にお客様からお願いされないといけないんです」

 そう言って、玲子はスマートフォンをライムライトのハンドバッグから取り出した。手帳型のケースに収められたスマートフォンを安賀多に見えないようにアンロックし、玲子は画面を安賀多にみせた。


 アプリというのは、いわゆるアプリケーションのことで、スマートフォンにインストールすることで企業の独自のサービスをその中だけで完結させることができるプログラムのことだ。


 玲子が見せた画面には、数十名の女性の顔写真と時給、得意なこと、一言プロフィールなどがスクロールで閲覧できるようになっている。

「ここで――」

 そう言って、玲子は画面上部ある『絞り込み』というボタンをタップする。

「場所を絞り込みます。例えば『東京の世田谷区』、『料理』――と」

 画面に表示されていた人が数名だけになり、中に玲子のプロフィールも出てきた。


『折原玲子 二十四歳 時給二千円~ 料理 掃除』


 安賀多は頷く。

「なるほど。条件に合う人間が出てくるようになっているんですね」

「はい、そして依頼されて、こちらが承諾すればマッチング完了です。それから実際の指定された日時にお宅にお邪魔して、依頼内容をこなせば、後日管理会社から時給が振り込まれるシステムになっています」

「時給二千円から、というのは破格ですね」

「時給は自分で設定できるんですけど、これも厳しい審査があるんですよ」

 玲子はそう言って微笑んだ。

「私は有料の講座をいくつか受講しているので」

「有料の講座ですか」

 安賀多の眉がクイッと持ち上がる。奥二重の目が、わずかだが丸くなっている。


「といっても、受講料はそんなに高くないんですよ。それにマナー講座とか調理研修とかで、これを修了することで会社からのお墨付きがもらえるんです」

 服に合わせているのだろう爽やかなペールイエローのネイルが施された玲子の指が、アプリケーション内の画面、玲子のプロフィール欄に表示されたマークを指す。

 そこには、包丁のマーク、掃除機のマーク、スマイルマーク、洗濯機のマーク、タンスのマーク、犬のマークなどが所せましと並んでいる。これらの講座をすべて修了したということなのだろう。

「この中でもランクはあるんですけどね」

「ここにあるマークのことは、大概できるということですか?」

「はい、大概のことは。一番得意なのはお子さんの相手です。こうみえて、私、保育士の資格持っているんですよ」

 玲子は背筋をピンと伸ばしたまま、両手を曲げて得意げにポーズを取ってみせた。それは、今までの落ち着いた雰囲気と違って、年相応の女性といった感じであった。

 玲子に笑顔を見せたあと、安賀多はさらに質問をする。


「この犬のマークは……」

「わんちゃんのお散歩ですね。上級者コースを受講すればドッグトレーナーのようなこともできるようになるみたいです」

「ほほう、それは需要がありそうですね」

「ちなみに、わんちゃんの絵ですけど、ペット全般という意味合いで、猫ちゃんでもインコとかもお世話させていただきますよ」

「なかなか興味深いシステムですね」

「ええ、安賀多さんも一度ご利用されてみてください」

「そうですね。まあ、男の独り暮らしには贅沢なサービスですが」

「結構多いんですよ、そういうお客様も」


 玲子はそこまで言って手をパタンと静かに合わせた。


「いけない、私ったら話が長くなってしまって――それで本題なんですけど」

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