承ノ章4
その日、一唯翔は学校が終わると同時に帰路に就いた。
大嵩渚という気さくな後輩に親睦を深めようと誘われたりもしたけれど、それは断腸の思いでお断りさせてもらった。
心の中に気がかりがある。
それは別に今日に始まったことではないのだけれど、そのことを何よりも優先させるべきだと――優先させたいと、そう、思っていた。
そんな風に彼が思うことなんて一つしかない。
「ただいま」
そう、小さく声をかけて、一唯翔は家の中に入った。
窓辺にえりかは座っていた。
ボンヤリと、彼女は窓の外を見ている。
そうしている彼女の姿は、どこか人形のようにも見える。
「えりか」
「……、あ、カイト。お帰り」
「まだ、なにか悩んでるの?」
そう、直截に一唯翔は尋ねた。
「どうして?」
「見ればわかるよ。悩みがあるなら、話してほしい」
「……カイトは、まっすぐだね」
「あまり、器用なことはできないから。気を使ったりはできないんだ。気に障ったなら謝るよ」
「ううん」
えりかはかぶりを振る。
一唯翔は彼女の傍に座った。
そうね、と彼女は少し俯いて答える。
「わたしね、ずっと人柱になるつもりで存在してきたの。
初めて自分のことを、……なんていうんだろ、チカク? したときから、わたしには体がなかったの。
さゆりちゃんは生まれつきって言っていたけれど、アレは嘘なの。
ほんとはわたしがわたしであった瞬間にはあの体はさゆりちゃんのもので、わたしが持っていていいモノなんてなかったの。
だから、わたしがここにいる理由は巫女としての責務を全うするためだって、そう思っていたの。
なのに、わたし、いまここにいる。
体はなくて、魂みたいな、なんだかふわふわした状態で。
……わたしね、なんだかどうすればいいのかわかんなくなっちゃった」
独白めいて、えりかは語る。
少し困ったように笑った。
6月の小雨を連想させるような表情だった。
「アイデンティティクライシスなのか」
「……? んー、そうかもー?」
「そっか」
一唯翔は緩やかに微笑んだ。
答えらしい答えを彼女にあげらあれたらよかったけれど、残念ながら十代半ばの一唯翔にレゾンデートルを語ることなどできないので。
「ゆっくり考えればいいよ。時間ならいくらでもあるし、その間くらいなら、俺はずっと君の傍にいるから」
紡げる言葉を紡ぐことにした。
本心から、純粋な言葉を。
えりかはきょとんとした顔をした。
それから少し、顔を赤くする。
嬉しくなるのをごまかしきれないって、そんな表情。
「カイトは、やさしいね。なんでそんなに優しいの?」
一唯翔は少し考えた。
十数秒くらいだろうか。
それくらい考えて、こういった。
「きみが好きだから」
「え~、なにそれ~」
真顔でそんな恥ずかしい台詞を吐くものだから、えりかは可笑しそうにわらった。
※
朝、気が付けば空が白んでいるのを見る。
一唯翔は重い瞼を開けて、自分が椅子で寝ていることに気づいた。
あの後えりかと二人でなんとなくつまらない夜中のバラエティをだらだらと見ていたら寝落ちしてしまっていたらしい。
ふと、自分に毛布が掛けてあるのに気がついた。
えりかがかけてくれたのだろう。
「……えりか」
寝ぼけ眼で一唯翔はきょろきょろとえりかを探した。
周囲に見当たらずに立ち上がってあたりを歩く。
どこか少し、落ち着かない感情が生まれる。
足が速くなる。
「えり――」
「カイト?」
声がした、その方向を向く。
真上、そこはつまり天井だった。
「……なんでそんなとこ居るの?」
「広くて落ち着くの」
「そうなの?」
「そうなの」
「そうか」
「そう! ところでカイト、どうしたの? わたしになにかよう?」
素朴な疑問をえりかは尋ねる。
ふと、自分がなにに焦っていたのか考えて。
「いや、ただ見当たらなかったから探していただけだよ」
えりかがどこかに不意にいなくなってしまうような、そんな気がしてしまったから。
朝食を食べて制服に着替えて一唯翔は玄関に立ち、斜め上を見上げる。
「えりかも来るのか?」
「うん。カイトの傍にいたいから」
昨日、あんなに素敵なことを言ってくれたしね。
そんな風に彼女は微笑む。
それが嬉しかった。
ドアを開ける。
朝靄が、ひどくかかる朝だった。
※
「セーンーパーイー!」
登校中。そんな耳に新しい声が聞こえた。
「ええと、渚さん」
「お、いきなり名前呼びとはセンパイもしかしてあたしのこと好きになっちゃいました~?」
「何を言っているんだい君は」
「あはは~」
軽快にぴょこぴょこと跳ねながら、大嵩渚はケラケラと笑う。
実に明るい様子。
実に可愛げのある後輩といった風体である。
「ところでセンパイ、質問いいですか?」
「ん?」
それは本当に何でもないことのような声音で。
大嵩渚は実にとんでもないことを口にしたのだ。
「そこにいる幽霊、センパイの知り合いですか?」
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