起ノ章6
土曜日。
いつのまにか日差しが窓から差し込む時間になっていた。
「……全然、寝付けなかったな」
一唯翔は差し込む日差しの眩しさに目を瞑り、そう独りごちた。
考えていたのは他でもない、えりかのことだ。
昨晩の様子、ドジョウの件。そもそも彼女自身のこと。
なんとなく整理すると、彼女は何というか土地神的なものに近い、というか巫女のようなスピリチュアルな存在で――そんなのは幽霊の時点でそうなんだが――。
「……いや、ちがうな」
瞑目して、一晩考えて、そう一唯翔は結論付けた。
ばさりと布団から立ち上がった。
「うわ! びっくりした!」
隣でびっくりした声が聞こえた。
びっくりした顔をえりかはしていた。
目覚めるのを横でこっそり待っていたのだろう。
実際にはずっと起きていたのだが……それはそれとして。
じっと、一唯翔はえりかを見つめる。
「……一唯翔、どうしたの? そんな真剣な顔して」
「デートしよう」
唐突にそういった。
「え?」
「デートをしよう。だめかな?」
「だ、だめじゃないけど……どうしたのいきなり?」
「いや、ただ」
一唯翔はえりかを見つめる。
幼い顔立ちと感じる。
初めて会った時と違ってそういう印象を受けるのは、彼女自身の性格からだろう。
黒く艶やかな梳ったような長髪が揺らいでいる。その肌は透明な雪のように澄んでいる。鼻梁の整った顔立ちに黒い水晶のような瞳が浮かんでいる。
よく見れば美人系の顔立ちである。
けれど、彼女自身の明るさからあんまりそういう印象は受けない。
ただふとした瞬間に見せる大人びた表情がすごく印象的だった。
そう、えりかが幽霊なことはわかっている。
よくわからないスピリチュアルな存在である。そこのところを考えても多分、もやもやが増えるだけだ。
そもそもなんでそんなことを考え出したのかというところに立ち返って、思ったより簡単な答えが自分の中にあったことに一唯翔は気が付いたのだ。
わかってしまったなら、あとは実行するだけ。
「ただ、えりかをもっと知りたいって思ったから」
だから、デートをします。
※
二人で色々と話し合った結果。
少し遠出して遊園地に行くことにした。
映画館は現代に疎いえりかにはどうにも苦手意識があるようだったし、ショッピングモールは実体のないえりかにとってあまり意味のないものだった。
水族館は? と聞くとわざわざ魚を見るためにお金を払うのが解せない様子。別に水族館にいるのは魚だけではないのだが……。
結局、一番食いつきがよかった遊園地に行くことにした。
ちなみに他の選択肢は全然思いつかなかった。
デートの経験何てそんなにないのだ。
そんなわけでさっそく日曜日の早朝。
バスに乗り、駅に向かう。
N駅からS駅までの電車に乗る。
N市は県庁所在地S市の衛星都市であるので電車はほぼ10分に一本のペースで出ている。
流石に東京のようなペースでは出ていないが地方でこれは結構なペースではと一唯翔は思う。
まあ都会などはよく知らないのだが。
ちなみに交通費は一人分である。
こういう時、相手が幽霊だとお得だなって一唯翔はそんなことを思う。
思いながら、車窓を見てはしゃいでいるえりかを見据えた。
今にも飛び跳ねてしまいたいといった表情をしている。
その様子に頬が綻びそうになっている自分に一唯翔は気付く。
「そんなに楽しい?」
「うん! 気兼ねなしにあの土地を離れるのって初めて」
「ふーん」
気兼ねありで土地を離れたことはあるのかと一瞬思ったけれど、まあ言葉の綾だろう。
がたがたと電車は揺れていく。
流れていく景色をふたりは見ていた。
※
「ついたー!」
「思ったより遠かったね」
N市の北にある都市S市の結構、奥地のぽうにある遊園地。
随分さびれているけれど、まあそれなりに人はいる。
「ね、ね! 早くなんか乗ろう! ジェットコースター、は乗っても振り落とされちゃうし……、コーヒーカップ、は目を回しちゃうし……メリーゴーランドとか!」
「あ、ああ……。前に遊園地に来たことあるの?」
「え? 初めてだと思うけど……どうして?」
「いやなんか、色々よく知ってるみたいな口ぶりだったから」
「んん……んん??? ほんとだ、わたし、遊園地知識すごくある! なんでだろー?」
「……まあ、いつぞや詩郎さんが言った通りなんだろうけど」
情報を空気から摂取しているって、ほんとなのか正直眉唾だというのが一唯翔の思うところではあるけれど。
「まあ、いいか」
遊園地を満喫することにした。
※
そんな派手な乗り物には乗れなかった。
高速で振り回すタイプのアトラクションに実体のないえりかが乗るとスピードに幽体がついていけずに透過して空中に放り出されてしまうのだ。
そんなわけで、比較的穏やかなアトラクションだったり、お化け屋敷とか歩いて回れるところを回った。
お化け屋敷、ふたりとも(他人からは一人で歩いているようにしか見えないが)あまり驚かないものだから、なんだかちょっと遊園地側の人が気の毒になる。
コーヒーカップで、傍から見ればひとりでのって虚空に話しかけている一唯翔は少々あれだったかもしれないが、基本的にそんなことを気にするくらいなら目の前の女の子のほうが大事なのが一唯翔である。
そんなわけで一日乗ってそろそろ終わりかけというところで観覧車に乗っている。
観覧車、なんていっても地方の遊園地のものでそんなに大きくはない。
梅雨が近づき、日が落ちるのも遅くなっているため太陽はまだ高い。
えりかは観覧車から外を見ている。
近くに高いビルが建って、景色はさほど良くはない。
二人は対面に座っている。
「なぁ、えりか」
「うん?」
「あんまり、気をつかうな」
唐突に、やさしい声で彼はそういった。
「……そんなこと、ないよ」
「そうかい?」
「うん。今日は楽しかったし。カイトは優しかったよ」
「それは本当だろうけど……」
えりかは外を見ている。
観覧車は既にてっぺんから傾いている。
「今日ずっと、きみの傍にいて、きみがすごく俺のことを気にしてるのが分かったんだ。ちゃんと楽しんでるのかとか、自分に気を使いすぎてないかとか。たまに、俺の顔色を窺っているのが分かった」
「……ごめんね」
「いや別に謝ってほしいわけじゃ……いや、俺もごめん。なんか責めるみたいになって。……でも、でもな……」
しゅんとしたえりかの横顔にいたたまれなくなってしまう。
違う。そういう顔が見たかったんじゃない。
「そうじゃなくて、俺は……、俺はもっと」
なにを言えばいいのか、どうにも言葉も思いもまとまらない。
だから、だから。思ったままの言葉を紡いだ。
「えりかのこと、ちゃんともっと知りたいと、思ったから」
どうしてか、そう思ったから。
「そうか、俺は、いじけていたのか……」
観覧車が一周して下に降りる。
一唯翔は立ち上がった。
降りるとき、えりかに向かって手を差し出した。
えりかは一瞬きょとんとすると、得心して手のひらを重ねて降りた。
そうして帰路につく。
「俺さ、えりかと仲良くなりたいって思ったんだ。せっかく縁があったんだし」
「カイトは、ちょっとわたしが恥ずかしくなるようなことを言うね」
「そうかな?」
「うん。でも、わかった。わたしも、カイトと仲良くなりたかったから」
だから、少しわがままを言ってみる。
「ねえ、カイト。わたし帰りに寄りたいところあるんだ」
※
そこはN市にある丘の高台だった。
海が近い街であるN市は全体的に平地で標高が低い。
その丘の高台は標高こそそれほどではないけれど、市全体を見渡すことが出来る。
その風景をえりかはぼうと見ていた。
ああ、またこの顔だ。と、一唯翔は思う。
彼女が時折見せる、憂いたような大人びた表情。
その貌をみると、どうにも心が穏やかでない自分を一唯翔は見つけてしまう。
「変わったね、この土地も」
「そうかな? 少しずつ寂れていくことはあっても、そこまで変わってない気がするけど」
「変わったよ。時間がたてば、色々変わるよ」
どこか寂しそうに、彼女は言った。
彼女に触れたいと思った。
今にも泣きそうな顔に見えて、寂しそうだったから。
けれど、今の一唯翔にはできなかった。
「帰ろう、カイト」
えりかは振り向いてそういった。
いつもの明るい彼女と、憂いを帯びた彼女の中間みたいな表情だった。
彼は頷くことしかできなかった。
二人で夜道を歩こうとしたとき。
「あの」
女性の声がした。
孤独と毒と静謐と深雪を内包したような声だった。
女性の姿を見て一唯翔は目を見開いた。
「…………えり、か」
その女性は、まるでえりかに瓜二つだった。
彼女を成長させたら、おそらくこうなるであろうと容易に想像できるほどにそっくりだった。
「えりか、えりかなの?」
えりかに似ているその女性はそういった。
確かにえりかが存在している場所に対してそういった。
そして、えりかが震える声で口を開く。
「さゆりちゃん……?」
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