起ノ章4

 教室で授業を受けている。

 一唯翔の頭上でえりかがふわふわ浮いている。

 同居してからこっち彼女が学校についてくるのはよくあることではあった。

 なんでも、学校という存在自体が彼女にとって新鮮なものに写るらしい。

 一唯翔としても、どこか爛漫でありながら今朝がたのように不意に見せる危うさがあるえりかが傍にいるのは心配がなくて助かる面もあったし彼女の存在が他人の目に映るわけではないので断る理由もなかった。

(……じゃあなんで俺には見えるんだろうな……)

 ボンヤリとそんなことを思ったりはするが、考えてわかることでもないし保留することにした。

 では今、問題に思うことが何かというと。

「―――……」

 ずっと頭上でふわふわ浮いている現状のえりかの様子である。

 訂正、だんだん沈んできて今では目の前にいる。

 黒板が見えない。

 まあ別に構わないけれど。

 そんなことよりも、どうにもえりかが今朝がたから様子が変なほうが引っかかるのだ。

 この一週間超の間、それなりに彼女のことを見てきた――視てきたのだ。

 シンプルに元気がないと、心配になる。

 ので。

 午前の授業が終わると一唯翔は速やかに立ち上がり。

「えりか。ん、」

 一唯翔は立ち上がり、空中を不安定に流離っているえりかのほうを向いた。

 くい、とついて来いといった風に顎をふる。

 それから、すたすたと教室を後にし、その後ろから、不思議そうな顔でえりかがついてきた。


 というわけで場所は変わって非常階段。

「えりか、俺はあまりこう、察しのいいほうではないと思う」

 だれもいない非常階段。さびれて打ち付けのような殺風景な場所。

 人はいない。ので誰にも見えないえりかとの会話にはうってつけだった。

 遠くに微かな水平線が見える。

「でもきみがなにか悩んでいるのはわかるよ。短い付き合いだけど」

 目線を一唯翔は上で浮いているえりかに合わせた。

「え、えと、別にそのね……」

 じっと向けられた視線に困ったように視線を彷徨わせるえりか。

 見つめられて、その視線を逸らした。

「あ、あのね……そんなに、変だったかな? わたし……」

「まあ」

「うーん、そっかぁ。……そっかぁ……」

 ちょっとしょんぼりした様子になるえりか。

 もう少しうまく隠せていると自分では思っていたのだ。

「……話したくないなら話さなくても構わないよ。別に長い付き合いってわけでもないしな」

「……うん。ごめんね。本当は全部、カイトにはお世話になってるし、話すのが筋だっていうのはわかってる。……わかってるけど、わたしにもわかってなことが多いのと、その、そのね……」

「単純に話したくないことも多いんだろ」

「……うん。だから、その。かいつまんで話すとね」

 どこかで川の流れが止まる。

「わたしはその、巫女、みたいなものだったの」



「川が震えている? なんだその抽象的でかつ詩的でも印象派的でもない表現は」

「そんなこと言っても俺は彼女から聞いた言葉をそっくりそのままいっただけだよ。あと、当のその人は上空でぷんすかしてる」

「ぷんすか!」

 溜息を吐きながら軽口をたたいているのは育野双葉だ。

 一唯翔の幼馴染であり、えりかの入った石を渡した男の娘である。

 そんな彼女だが、実際の所えりかの存在については懐疑的であった。

「私は自分の目で見たものしか信じない――というほど堅苦し考え方をしているわけではないが、いくら何でも与太話が過ぎると思うがね。きみに憑いている幽霊の少女は百年以上前の巫女であの川の異変……川ってあの一級河川でいいんだよな?」 

 双葉が言っているのはN市の中央を流れる大きな河川のことである。県庁所在地S市とN市の流れ、太平洋につながる大きな河川のことである。多くの河川がそうであるようにその川――N川として――もまた古くからそれにまつわる歴史があり、伝承がある。

「あの川に関して巫女関連の伝承なんてきいたこともないな。実際、調べても何ら出てこないんだろう?」

「まあそうだけどさ」

 今、彼らがいるのは放課後の図書室である。

 地元に関する話なら図書室で探せばあるかと踏んだが、空振りだったらしい。

「だいたい、わかっていることがなさすぎる状態で闇雲に書籍を漁っても仕方がないだろう。何か異変があるのだというなら、実際にものを見てみなければ」

「……」

 それもそうだった。

「じゃあ、俺、行ってみるよ。えりかも、一緒に」

 そういって一唯翔はえりかに目配せをすると――えりかの姿が誰にも見えないので傍から見ると虚空に向かってしゃっべっている不審者のようでもある――すぐにすたすたと図書室を出ていた。

「あ、あとで父にもその幽霊に関連することで何か聞いておくよ。まあ多分、碌な話がないとは思うが」

「たすかる」

 背中越しに振り返らずに、一唯翔は手を挙げて答えた。

 夕暮れが図書室に入り込む。

 影になっている廊下へ少年は消えていった。



 今朝の増水は収まり、いつもの川へと戻っていたN川。

 既に日が暮れつつある。

 夜の川べりを歩いてみるが、一唯翔の視点から何かを見ることはできてない。

「えりか。なにを感じるんだ?」

「すごくいっぱいドジョウがいる」

「へ?」

 思わず怪訝な表情をしてしまう一唯翔。

「ど、ドジョウ……? あの、ウナギのパチモンみたいな?」

「うん。ドジョウがたくさん川で蠢いている。こんなのわたしがいた時代にはなかったよ!」

「……」

 目を凝らしてみる。

 ただの夜の川辺にしか見えなった。

 えりかが視えているので、そういう超自然的なものが自分には見えるものだとばかり一唯翔は思っていたけれど、そうではないようだった。

「……とりあえず、帰ろう。夜の川辺は危険だしね」

「……うん」

 少し不安そうな様子でえりかは答えた。

 妙なものを見てしまったせいからなのだろうか。

「……大丈夫。多分なんとかなるよ。帰ろう、えりか」

「うん」

 一唯翔の後ろからえりかがついてくる。

 夜が暮れる道をふたりは歩いた。



 夜。その晩は雨が降っていた。

「明日、詩郎さんの所へ行こうと思うんだ」

 夕食と呼ぶには少々遅い時間である。

 一唯翔は棚から大なべを取り出し、大量のお湯を沸かし、塩を一つまみとパスタを入れた。

 ぐらぐらと煮詰まった鍋の中でしなびていくパスタをえりかは真上から興味深そうに覗いている。

「……蒸気が直撃してるけど熱くないの?」

「……熱いかも」

 ひゅいー、と降りてくるえりか。すこし照れくさそうにはにかんでいた。

 それをみて少しおかしそうに微笑む一唯翔。

「そんなに面白かった? パスタゆでるの?」

「うーん。そうかな? 確かに物珍しい食べ物だけど……」

 どこか遠い顔をえりかはしたように見えた。

「なんだか、懐かしい、ような……。んー、気のせいかも」

「ふーん、と」

 タイマーが鳴る。コンロの火を止めてざるに開ける。

 そこにペペロンチーノのもとを開けて混ぜる。

「出来た。ペペロンチーノ(質素)。今日はもう遅いし、晩御飯はこれでいいか」

 というわけで軽くそれを皿に盛りつける一唯翔。

 食べながら、話の続きを行う。

「? 詩郎さん、って双葉ちゃんのお父さんだよね?」

「うん。詩郎さんは民俗学の教授だから俺の知らないであろう伝承や、学校の教室なんじゃ得られない知識を持ってると思うし。聞く価値はあると思うんだ」

「そうなんだ」

 ふーん。といった感じにえりかは頷く。

「ねえ、カイト。詩郎さんってカイトとどういう関係なの?」

 ふとそんな疑問が浮かんで、何気なくえりかは聞いてみた。

「ああ、あの人は俺の父の旧友なんだよ。その縁で昔からよく世話をしてくれた人なんだ。謎が多い人ではあるけれど、双葉の父親でもあるし、悪い人ではないよ」

「んん。うん、そうだね。わかった! ……ところで、ね? カイト」

「ん?」

「それ美味しいの?」

 えりかが言っているのは今さっき一唯翔が作ったペペロンチーノ(質素)のことであろう。

「うん。まあ」

「そうなんだ……」

 じっと、えりかが見つめる。

 めっちゃ食べたそうにしている。

「……なぁ、えりか」

「?」

「少し考えてみたんだけど、先週あたり、俺たちって握手したよな」

「うん。確かにしたね、わたしがすっごーく、ぎゅ~って力を入れるとできた!」

「あれをすれば食べられるんじゃないか?」

「………!」

 ぴこん! と反応したえりか。

 箸でペペロンチーノを一つまみして、一唯翔は差し出した。

 恐る恐る近づくえりか。

 ぱくっ、と食べた。

「んー☆!」

 すごく美味しいっていうリアクションをえりかはした。

 めっちゃ可愛い。

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