ちっぽけな願い。


 季節は冬となった。

 就活が近づいてきたので、バンド活動は一旦休止となり、俺はまた一つ歳を重ねた。


 コートに手を突っ込みながら、坂道を往復する。

 それが最近の日課だった。


 ぜぇはぁと息を吐きながら、有酸素運動をおこなう。

 高校時代に比べると随分と体重も落ちたものだ。


 かつてコンプレックスだったニキビも歳を重ねるごとに目立たなくなっていった。

 ちゃんとスキンケアをやっているからなのだろう。

 洗顔と化粧水と乳液。そしてそれでも気になったのなら、ファンデーションをぶっかける。

 一応、人前に出る以上、最低限の身だしなみを整えなくてはいけない。


 たくさんバイトをしてお金を稼いで、お金の使い方を覚えていった。

 お酒は飲まないし、風俗も行かないし、ギャンブルもしないし、タバコも吸わない。

 服を買って、美容院に行き、後は食費と家賃である。

 残りで奨学金を支払う。

 大学だって安くはない。


 鏡を見るたびに自分のことを気持ち悪いと思っていたが、髪型と服装でこんなにも変わるものなのかと最近は気付くようになってしまった。

 身長は低いが、そこは変えられないので仕方ない。

 どうにかしてサイズの合う服を買うのみである。


 筋トレをするのも忘れない。

 脂肪を全て筋肉に変えれば、小さくても舐められない。


 もうコンプレックスまみれだったかつての浜松敦は死のうとしていた。

 大学デビューを果たしたというのか、それとも自分磨きをする楽しみを覚えたか、それは定かではないが、でも、別に自分のことをそこまで嫌いではなくなった。


 彼女はずっといないけれど、それも慣れてしまった。


 道化師のように自分を装って「面白い」と思われようとしていた自分はもういない。

 これがありのままの自分である。

 浜松敦である。

 空っぽだからこそ、空っぽなりに埋めていった。


 お調子者キャラである自分は、もういない。


 しかしながら心残りはある。

 これを一途というべきか、それとも執着というべきなのか、そこは考えたくはない。

 拗らせた童貞のくだらないストーカー妄想である。


 自分が愚かなのは理解している。


 だが、それでも……。


 どれだけ月日を重ねようとも──。


 ※※※


 大学四年生。


 無事に内定をもらい軽音部を引退した。

 それから俺はありとあらゆるSNSを駆使してかつての友人に連絡を取った。


 目的はただ一つ。もう一度彼女に会うためである。


 彼女を探すのは困難を極めた。

 高校を中退して、水商売にのめり込んでいった以上、どこにいるのかはわからない。

 ショー先輩に聞いたり、軽音部の先輩に聞くのは気が引けた。というか、二人とも仕事で忙しくて、そんな余裕はない。

 そして、自分も立派な大人になってしまっていた。


 ×××


『ねこ♡……は一身上の都合により退職いたしました』


 彼女が勤務していたかつてのソープへやってきたが、インターネットを見る限り、すぐに辞めてしまったらしい。

 これ以上、あの子に関わるべきではないと足が震えた。

 たぶん自分もヤケになっていたのかもしれない。


 どうにかして彼女に会いたくて、会う機会が欲しくて、風俗街から一番近くの駅前の路上で段ボールを引いて、ギターを弾いた。

 弾き語りしながら歌った。

 治安の悪い地域だったからか、思ったより変な目で見られることはなかった。

 ホームレスのおっさんがヤジを飛ばしてくることもあったが、数日後には後ろで見守ってくれるようになった。

 そんなおっさんに酒をご馳走した。


 雨の日も、雪の日も、俺は歌った。


 最初は水をぶっかけられることもあったし、警察を呼ばれることもあった。

 お金なんて期待していなかったので、一円でも入れてくれる人には感謝の気持ちでいっぱいだった。

 だから俺は歌い続けた。

 彼女に会いたい一心で、歌い続けた。


 そうすると自然と人が集まるようになってきた。

 ファンもでき始めた。


 インスタを開設して、YouTubeに投稿するようにもなった。調子に乗ってグラサンをかけたり、ライブパフォーマンスをしたりもしていた。


 そうして、その日もいつものように歌っていた。


 ※※※


 ホームレスのおっさんは今日はいなかった。

 いつも通りギターを置いて準備をおこなう。バカみたいなサングラスをかけていると、ゾロゾロとお客さんが数人集まってきていた。

 俺は叫んだ。かつてのお調子者キャラのように。



「浜松ゥ〜〜敦でぇーーーす」



『ふふ……』『なんだよそれw』『今日も寒いねー!』



「せんきゅう。いやぁ、あれだね。寒いねー。これってロックが足りてねぇっていうか、なんていうの。ロックが足りてねぇんじゃないのかな?」



『ウゼェw』

『全然意味わかんねぇぞ浜松ー!w』

『調子にのんなー!早くうたえー!』

『大物感出すな!』



「まぁまぁ。おっ、今日は女性のお客さんもいっぱいいるね。来てくれてありがとー」



 珍しく女性のお客さんがいることに驚いた。

 普段は若者やおっさんといった同性ばかりなのに、若い女の子もたくさんいた。

 これから出勤の水商売らしき人もいた。

 スマホでぱしゃぱしゃ写真を撮られている。


 でも、あの子はいなかった。



「じゃあ、今日はお前らに俺の"夢"を発表したい!!」



『夢!?』

『前にも聞いたよそれーw』

『貧困問題なんかなくせるわけねぇーだろw』



「あ、違う違うw ガチなやつw」   



 メガネを外して手で制すると「ぷっ」とおねーさまたちが数名吹き出した。いつもお仕事ご苦労様です。

 俺の歌を聴いて少しは元気になってね。



「まぁ、“ちっぽけな願い”だけど……どうしても話したくてさ。ダッセェと笑いながら聴いてくれよー」



『なんだよー、らしくねぇーぞ!』

『早く歌って踊れー!w』



「うるせえなぁ。後で好きなだけやってやるから待ってろよ」



『きゃー!』

『うぇーい!w』


『浜松ー!YouTubeでみたよーー!』



 橋の上から子供たちが手を振っている。

 ごめんね、こんな四流アーティストに。ありがとね。

 


「高校二年生の夏の出来事なんだけどさ。まぁ俺が、22歳だから……5年前?もっと前か。2億万年前?恐竜がいたんだけど」



『もういいってw』

『わろた』



「まぁ、こんな俺にも好きな人がいてさ。はじめてデートをしたのもその子で、はじめてチュッチュしたのもその子だったわけ。で、俺ってチェリーボーイじゃん? 優しくされたらすぐゾッコンになっちゃう(笑)だからすげぇその思い出が忘れられないのよ」



『草』

『下ネタかよwww』

『童貞お疲れ様です!』



「付き合いたかったんだよね。いや、付き合える直前だったんだよね。説明すると難しいんだけど……まぁ俺が悪くてさ、ヘタレでビビりだったから、ダメになったんだよね」



『さす浜』

『切り替えていこう』

『ウジウジすんな!男だろ!』

『お前は面白いから大丈夫!』



「ありがと笑 なんていうか、照れ臭いんだけど、好きだったんだよね。こんな自分に優しくしてくれるその子のことがむっっっっっっちゃ好きだったんだよね。泣いてるときには励ましてあげたかったし、もっと一緒に笑いたかったんだよね。好きなもんを共有して、わかり合いたかったんだよね」



 俺はマイク越しに本音をぶちまける。

 雪が降ってきた。


 やけにカップルが多い。


 ああ、そうか。今日はクリスマスイブか。



「だけど、俺はガキすぎてダメになっちゃった。その子は子供っぽく見えて実は大人で、俺が本当にガキだった。だからダメになっちゃった。その子には心の病があって、でもそこに俺は気付けなかった。そのまま彼女さ、学校を辞めてしまった』



『oh...』

『……』

『しんみりするからやめぃw』



「もう五年も前のことなのに、今でも鮮明に頭から離れないんだよね。また会いたいなぁと思って、その子に会うためだけにここで歌ってる。それが俺の【ちっぽけな願い】」



 泣きそうになってきたので、サングラスをつける。



「みんなありがとう。実は今日で最後にする予定なんだ。本日を浜松敦のラストライブにしようと思います。ま、路上で勝手に歌っているだけなんだけどな!w とにかく、最後にします。内定も決まったし、これでメシ食っていくつもりもないし、暇つぶしにYouTubeとかで歌うかもしれないけど、人前に出てこうやってはしゃぐのはこれで終わりにします」



 俺のしたことに意味があったのか、それはわからない。

 それを考えることはやめにした。


 今はともかく目の前の人を楽しませられるパフォーマンスをするだけ。

 俺は顔がカッコ良くない。

 イケメンではない。


 だから自分を武器にして、出来る限り笑って欲しい。

 俺の周りにいる人をどうにか幸せにしてあげたい。


 俺はお調子者キャラの、浜松敦だから。



 どうか届いて欲しい。

 あの子に、この空の下にまだいるのなら。

 

 俺が笑顔にして見せるから。



「では大好きな曲を歌います。聴いてください」




 ハッと息を呑む。目を瞑る。



「DISH//で」








         「猫」








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