第95話 信頼に応える覚悟
朝食後の満たされたお腹に気を緩めながら、アーレンとジェレミアは鍛錬場までの廊下を歩いていた。それぞれ、今は第一騎士団、第二騎士団に籍を置いているが、入団したのが同じ時期というのもあって親しい仲なのだ。非番の日や仕事が終わったあとは、他の仲間も誘って飲みに行くこともしばしば。
しかしこのところ、酒を囲んでも杯が進まない。口には出さずとも、驚異の影を肌でひしひしと感じているせいだ。
「どうすっかな。総轄長」
ジェレミアが壁にくり抜かれた窓の外を眺めながら呟く。
「悪い子じゃないけど。……それだから、余計に重いんじゃないか」
彼女は――――セラフィナは、騎士であって騎士ではない。騎士の生き様とは対極に位置する修道女だ。彼女まで戦場に引き立てるのは非情すぎると、アーレンたち下っ端ですら思うのに。
そのことで補佐官と団長たちはぴりぴりしている。総轄長である以上、彼女を第一線に立たせないわけにいかない。だが彼女にはそんな気概がない。意識の違いが、王立騎士団内にも決して小さくはない不安と動揺を及ぼしていた。
実力は申し分ない。ここぞという時の意志の強さもある。しかしそれのみでは到底足りないところまで一気に進んでしまった。彼女の細い肩には、荷が重すぎる。
正直なところ、アーレンだって怖い。先輩たちが普段通りの動きをしているから、それに合わせているだけで。本業の騎士だってそうなのだから、彼女が殻に閉じこもるのも仕方ないことと言える。
ところが彼女は一転して、団長たちを通して騎士一同にこう通達したのだ。『朝食を済ませたら全員、鍛錬場に集まってほしい』と。
戦争の気運が高まり始めた頃から大食堂に姿を見せず、今朝もいなかった彼女だが、何かを決心したらしいことは明白だった。問題は、決意した内容だ。
――――辞める、って言い出さないだろうな。
騎士たちの前に姿を現さないほどの塞ぎようを思えば、あり得る話だ。
一抹の不安を帯びながら、アーレンは鍛錬場の扉を押し開いた。
*******
清々しい陽射し。夜はほとんど眠れず、朝は緊張で何も食べられていないが、頭は冴え渡っている。
首に通したロザリオを留め、神への祈りを捧げて。朝の日課を淡々とこなすセラフィナの許を、フロレンスが訪れた。
「総轄長。全員集まったそうで、す……よ……」
穏やかな顔立ちが驚きで固まり、セラフィナをまじまじと凝視する。
セラフィナは振り返りざま、微笑んだ。
「ありがとうございます。行きましょう」
決断の時が来た。
準備の時間は過ぎ去っている。
*******
靴の固い
広がった視界には、騎士たちがずらりと待ち受けていた。
団長と副団長を前に、あとはばらばらに佇む面々。中に入れるかと思ったが、入口で立ち止まるしかなさそうだった。
フロレンスを隣に控えさせ、進み出る。
セラフィナの出で立ちに騎士たちが目を見張った。
彼女がまとっていたのは、王立騎士団の最高位であることを示す、純白の騎士服だった。辺境騎士団との合同訓練以来、一度も袖を通していなかったもの。胸元を幾重も彩る金のねじれた飾り紐が、高い位置からの窓の日射を受けて光を散らす。
膨らみのないドレスのようにすとんと垂れていた下半身は腰のあたりで裁断され、男みたいな脚衣に変わっていた。頑張って夜なべした成果だ。近くでよく見ると縫い目が不格好だが、履く分には問題ない。
「お集まりいただいて、ありがとうございます」
セラフィナは煌めく漆黒の瞳で周囲の顔を見渡す。彼女に注目する男たちの顔は、一様に張りつめていた。
「どうしても、皆さんに伝えたかったんです」
声が
「大げさかもしれないですけれど、それでも。知ってほしかったんです。私の誓いを、――――貴方たちを戦場に送り、貴方たちと共に戦う誓いを」
誰かが息を
「正直、怖い。でも、貴方たちがいてくれるから」
思いの
戦争など、したくない。その気持ちはみんな一緒だろう。
だが、気持ちだけで平和になるのなら、武器なんて必要ない。
できないから剣を取って、血を流して、時に死ぬのだ。
今のセラフィナの地位は、最高の指揮を任された総轄長である。それなのに『嫌だ』と叫んで目の前の現実から顔を背けるのは逃げで、仲間と国に対する裏切りだ。
誰もが恐い。大切な人を失い、他人の命を奪って、そして自分もそうなるかもしれないから。
それでも進むしかないのだ。
騎士たちはすでにその覚悟ができている。今にでも武器を取って、戦地へ駆け出そうとしている。犠牲も、罪も、恐怖も、何もかも背負って。前だけを真っ直ぐに見据え続けて。
セラフィナは違う。覚悟などとかいう以前に、彼女は騎士ではない。彼らみたいに強い力も、勇気もあるわけでもない。成り行きで騎士団のトップになってしまったのだから、セラフィナだけ逃げてしまっても誰も表立って非難できない。だからこの数日、彼女が弱気になっていても誰も責めなかったのだ。
イグナーツが目を覚まさせてくれるまでは。
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