建国式典

 雲一つない快晴の空を背景に、陽の光に照らされた三つの白亜の塔が聳えている。大通りを行き交う人々の賑やかな声と、祝砲の音、通りを彩る小さな国旗。大通りを巡るパレードの行列に、歓声が上がる。この日の王都は、建国記念を祝う喜びで満ちていた。

 遠くから聞こえる喧騒を聞きながら、玉座の間に続くバルコニーで、スロウトは四人の長をはじめ、大臣、将軍、地方の貴族と共に歓談のひと時を持っていた。その様子を、エドガー、シエラ、オストロの三人は警備任務に就きながら、遠目から眺めている。三人とも、暗い表情をしているが、それはもちろん、任務への緊張感からではない。

「エド、二人のこと、風の長から何か新しい情報はあったんすか?」

 オストロが隣に立つエドガーに声を掛けるが、彼は力なく首を横に振った。

「式典中も、交代で捜索は続けてくれるらしいけど、今のところは何も…。あの時、僕がもっと早く援軍を呼びに行っていれば、こんなことには―」

 いつもの覇気は全く感じられず、エドガーは言葉を詰まらせた。労わるように、シエラがそっと彼の肩に手を置いた。

「エド、そんな風に考えないで。リックもリリーも、きっと大丈夫だから。二人を信じましょう。案外、けろっと戻ってくるかもしれないし」

 そう言って笑ったシエラの声にも、元気は無かった。心配しているのは彼女も同じで、二人は大丈夫だ、と自分自身に言い聞かせているのは明らかだった。その時。

「―エドガー君たち、少し手を貸していただけますか?」

 突然の声に彼らが振り抜くと、いつの間にか杖を突いたルーインが立っていた。彼の後ろには大きな木箱を載せた台車が二台と、四人の近衛兵の姿があった。

「ルーイン先生、どうしたんすか?」

 オストロが駆け寄り、事情を尋ねた。エドガーとシエラも、その後に続く。

「陛下の演説を各地と繋ぐ、魔法道具の設置を手伝って欲しいのです。設置には少し魔力が必要でして」

 ルーインが目配せをすると、近衛兵が木箱の蓋を開けた。一つの木箱には、大きな金属の円盤、もう片方には銀製の輪を組み合わせ、球体を模したオブジェのようなものが、それぞれ五つずつ入っていた。円盤も球体も、大きさは30センチほどだ。

「円盤の上に球体を置き、魔力を流すことで起動する、私が考えた魔力中継器です。王都から各地方都市へ、同じものがすでに設置されているのですが、最後の起動を、皆さんにお願いしようかと」

 ルーインがそう言って、にっこりと微笑んだ。そんな大事な役目、僕たちでいいんですか、と驚いたエドガーが尋ねる。彼は、もちろん、と頷き、その後で表情を曇らせた。

「リッキンドル君たちの話は、私も聞きました。心配ですが、我々に出来るのは二人の無事を祈ることと、この式典を成功させることです。それに、二人が無事に戻ってきた時、自慢出来ることがあった方がいいでしょう?」

 最後は冗談めかして、ルーインが片方の眉を吊り上げた。沈んでいた三人の表情に、少しだけ笑顔が戻る。ルーインはその反応に、目を細めた。

 天高くに太陽が昇り切った正午、宮殿前の庭園から堀を超えた橋の向こうまで、多くの群衆が詰めかけていた。誰もが、バルコニーに立ったスロウトに視線を向けている。彼は自分を見上げる群衆に向かい、高々右手を掲げた。直後、王宮にファンファーレが鳴り響き、群衆の歓声が大きなうねりとなって、周囲を埋め尽くす。いよいよ、建国式典の幕が上がったのだ。

 エドガーたち三人は、一定の距離を置いてバルコニーに設置された台座の前で、湧き上がる歓声を聞いていた。各台座の上には先ほどの装置が置かれ、残りはルーイン、スロウトの前にそれぞれ置かれている。ルーインが杖を掲げ、三人に合図を送った。彼らが円盤に触れ、魔力を込めると、球体が浮き上がり、銀の輪が回転を始めた。回転速度は徐々に速くなり、それに伴って球体が輝き出す。エドガーの球体は緑、シエラは赤、オストロは黄、ルーインは青となっていて、それぞれ四元素の魔力の輝きだ。輝きが強くなると、今度はそれぞれの球体から、スロウトの前に置かれた最後の球体に光の筋が伸びた。四つの光を受けて浮き上がった球体は、黄金の輝きを放ちながら回転を始める。スロウトが、球体の前に一歩進み出て、口を開いた。

「我が愛する、ガルディアの民よ。この素晴らしき日を、共に迎えられたことを、私は心から嬉しく思う」

 突然の出来事に、先ほどまでの歓声がピタリと止んだ。王宮中、いや、王都中からスロウトの声が聞こえている。遠く離れた地方都市でも、街の広場に集まった群衆が、光る球体から発せられるスロウト王の声に驚いていた。

「今、私の声は王国各地にも届いているだろう。これは魔法学の新たな境地であり、本日こそ、我がガルディア王国の新たな歴史を告げる日である! 諸君らは今、記念すべき瞬間に立ち会っているのだ!」

 力強いスロウトの声が、文字通り国中に響き渡る。その直後、先ほどとは比にならないほどの歓声が続いた。魔力を円盤に込めながら、エドはその光景に思わず身震いした。

 てっきり風の魔法の応用かと思っていたが、ルーインが考え出した装置は、四つの魔力を全て利用した魔法だったのだ。スロウト王の言う通り、魔法学の歴史的瞬間だ。この場にリックがいれば、彼はどんなにわくわくしていたただろうか。

「―私が王位に就き、十年の月日が流れた。二度の戦争を経験し、周辺諸国とも和平協定を結び、確実に平和への歩みは進んでいる。しかし、国内には未だ貧富の差が激しく、昨今ではレジスタンスなる反乱分子の活動も、目に余る事態となってしまった。そこで、私はもう一重、新たな決断を下すに至った。これは、ごく一部の者にしか伝えてはいない事柄だ」

 スロウトはそう言って、一度口を閉ざした。聞き入っていた民衆の間に、ざわめきが広がっていく。彼らは、スロウトの次の言葉を待った。彼は何かを決意したように深く息を吐き、より一層声を張り上げた。

「ガルディア王国第十三代国王、スロウト・テオ。オーセムが宣言する! ガルディアの民よ、これより、諸君らは—」

「私の為にその命を捧げろ、とでも言うつもりか? 偽りの王、スロウトよ!」

 突如、スロウトの言葉を遮って、男の声が響き渡った。民衆のざわめきが消え、バルコニーにいた人々も、何が起きたのか分からず、困惑した表情を浮かべる。しかし、装置に魔力を込めていたエドガーたちは、すぐにどこから声がしたのか分かった。ルーインの隣に、先ほどの近衛兵たちが立っていた。声を上げたのは、そのうちの一人だ。スロウトも彼に気付いたのか、球体から離れて振り返る。

 近衛兵が剣を抜き、その切っ先を真っ直ぐにスロウトに向けて、更に言い放った。

「生命の魔法の力を手に入れるため、国民を犠牲にしようとする貴様の計画は、我々レジスタンスが阻止する!」

 近衛兵たちの姿が霧のようにぼやけ、全くの別人に変わる。カイ、マキナ、エレナ、そしてゴルトが、ルーインの隣に立つ。

「反撃の狼煙を上げろ! 我らに勝利を!」

 カイの言葉を合図に、エレナが上空に火炎弾を放った。次の瞬間、王都の各地で爆発音が鳴り響く。立ち上る黒煙と民衆の叫び声に、バルコニーは騒然とした。狼狽したスロウトが、まじまじとカイを見る。

「貴様ら、一体何を…」

 その時、バルコニーに兵士が叫び声をあげて飛び込んできた。

「報告! 王都各地で、武装した集団による蜂起を確認! 巡回部隊と交戦しながら、こちらに向かっています! 一刻も早く退避をー」

 兵士の声が途切れ、彼はその場に力なく倒れた。その後ろには、血に染まった剣を持ったフィンと、大勢のシローリア軍兵士の姿が。シローリア軍はバルコニーになだれ込んでくると、武器を構え、ガルディア兵たちの動きを封じた。

「初めまして、陛下。シローリアのフィン・グルソン将軍です。お会いできて光栄だ!」

 フィンがゆっくりとスロウトに近付いてきた。四人の長がスロウトを護るように、彼の前に出た。

「なるほど、裏で糸を引いていたのは、貴様らシローリア軍だったということか」

 ラルゴがそう言って、フィンを睨みつける。しかし、彼は、それは人聞きの悪い、と愉快そうに首を振った。

「我々は、この国の真の国王に協力しただけだ。偽りの王と水の長、貴様らの計画を阻止し、真の平和と平等を、この国にもたらすためにな」

 リザ、ランバルト、リースの視線が、ラルゴとスロウトに向けられる。しかし、彼らが何のことを言っているのかを問いただす暇もなく、カイが再び声を上げる。

「この国全土に魔法陣を敷き、国民を犠牲にして生命の魔法の力を手に入れる。そのために先生に装置を作らせ、国中に布石を敷いた。スロウト、お前は十五年前、実の弟を殺して権力を手に入れ、更なる力を欲した。そして水の長、貴様も亡き妻を蘇らせようと、その計画に協力したんだろう? 我々には、全て分かっている。だからこそ、真の王である僕が、お前たちの代わりに、この国に平和と秩序をもたらす!」

 彼は右手を頭上に高々と掲げた。すると、晴天だった空を、どこからともなく沸き上がった黒雲が、瞬く間に覆い尽くしていく。太陽は遮られ、地の底まで響くような雷鳴が鳴り響いた。スロウトは何かに気付いたのか、驚愕の表情を浮かべた。

「十五年前、それにこの雷は…。お前、やはり―」

「ああ、そうだ。僕は先代国王フレイルとレナの息子、そして雷の魔力を受け継いだ、真のガルディアの王。カイル・テオ・オーセムだ!」

 カイが右腕を振り下ろした。直後、眩い閃光と衝撃がバルコニーを直撃した。カイの魔力で生み出された稲妻が爆ぜ、周囲に紫電が走る。雷鳴の後、無事だったのはレジスタンスの五人だけで、スロウトと四人の長はもちろん、大勢の兵士たちも、更にはフィンとシローリア兵たちまで、体の自由を奪われて地面に倒れ伏していた。

「なぜ‥‥、我々まで…?」

 フィンが苦しそうに声を絞り出し、這いつくばった状態でカイを睨みつける。彼は表情一つ変えず、その問いに答えた。

「お互いに、利用し合う関係でしたから、利用価値がなくなっただけのことです。王宮を制圧できたのなら、市街地の方は勝手に暴れておいてくれれば、問題ない。ああそれと、ことが全て終われば、残りのシローリア兵の方々も用済みです。…それでは、さようなら、将軍」

 隣に立っていたゴルトが剣を抜き、フィンの心臓に深々と刃を突き立てた。フィンは喉の奥から短い断末魔の声を上げ、動かなくなる。続けてゴルトは、周囲に倒れているシローリア兵たちも、淡々と、同じように息の根を止めていった。瞬く間に、バルコニーの床は赤黒い血だまりで塗り上げられていく。

 一方で、カイは倒れているスロウトの元まで歩いてくると、その胸倉を掴んで強引に上半身を起こした。うめき声を上げるスロウトに、無様だな、と薄ら笑い浮かべる。

「これで、邪魔者はいなくなった。後はお前の首を切り落とし、十五年前の清算をするだけだ。腐敗、堕落したこの国を、僕らが正す」

 

「一体、何がどうなっているんだ…?」

 台座の影に隠れていたエドガーは、急転直下の事態に思わずそうつぶやいた。咄嗟に身を隠したが、先ほどから心臓が早鐘のように鼓動を刻み続け、胸が苦しい。目の前の光景に、思考の処理が追い付かない。記念すべき建国式典の会場は、もはや地獄絵図と化していた、

 突然のレジスタンスの急襲に、彼らに裏で協力していたシローリア軍の存在。一瞬の激しい光と衝撃の後で、その場にいたほとんどの人が倒れていた。そして今、レジスタンスのリーダーと思しき人物は、協力関係だったはずのシローリア兵を虐殺している。

 しかし何より衝撃を受けたのは、師であるルーインが王室を裏切り、レジスタンスに加担していたという事実だ。王と長、そして多くの兵士が倒れているにも関わらず、彼は悠然と、事態を静観している。どうして、どんな理由があって…。

 絶えず湧きあがる疑問と恐怖を抑え込もうと、エドガーは深く息を吸った。状況は混沌極まっているが、まずは生き残ること、そして反撃の機会を見つけ出さねば。

 その時、彼の足元のタイルに不自然にひびが走り、何かの模様を描き出した。少し驚いて眺めていると、ひびは文章になる。

〝エド、大丈夫? 俺とシエラ、台座の影にいる〟

 それがオストロの土の魔法だと気づき、エドガーが顔を上げる。離れている台座の後ろに、同じように身を隠して難を逃れた、シエラとオストロの姿があった。二人もエドガーの方を見て、安堵の表情を浮かべている。エドガーも無事だった仲間の姿に安心すると共に、いつの間にかこんなに器用なことができるようになっていたオストロに感心する。こんな状況なのに、思わず小さく笑ってしまった。

 改めて深呼吸をすると、無駄な不安は無くなっていた。二人と改めて視線を合わせ、バルコニーの方に目を向ける。倒れ込んだ王にゆっくりと近づき、その胸倉を掴んだレジスタンスの男が、腰の剣に手を掛けた。

 瞬時に、エドガーは足に風の魔力を込める。それを見ていたオストロとシエラも、彼を援護すべく構えた。一か八か、飛び込むなら今しかない。

 しかし、その時だった。

「やめろー!」

 誰かが叫び声を上げた。玉座の間からでも、バルコニーからでもない、声は頭上から聞こえる。咄嗟に、エドガーは空を見上げ、落ちてくる二つの影に向かって叫んだ。

「リック! リリー!」

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