決断

 夜の帳に包まれたガルディア宮殿・玉座の間。真っ赤なビロードの絨毯が敷かれた室内は、ひっそりと静まり返っていた。その最奥には金の装飾を施された豪奢な玉座と、両脇に並ぶ四つの椅子が置かれているが、執務の時間をとうに過ぎている今は、そこに座る者は誰もいない。しかし、玉座の間の南側、王都の街並み一望できる大きなバルコニーの上で、二つの人影が寝静まった街並みを見降ろしていた。

「いよいよ、明日だな」

 影の一つ―ガルディア国王、スロウト・テオ・オーセムがつぶやいた。その隣に並ぶ魔法使いの部隊ソル・セル・水の長、ラルゴ・フォーデンスは大通りを照らす往来の明かりを眺めながら、はい、と短く返事を返す。頬を撫でる微かな夜風に乗って、街の喧騒が聞こえてくる。スロウトはラルゴの顔を一瞥し、再び視線を街並みに戻した。

「ようやくここまで来たというのに、報告にあった未知の魔法に加えて、十五年前の清算ときたか…。これも、報いということかな?」

 冗談のつもりなのか、スロウトはそう言って乾いた笑い声をあげた。しかし、ラルゴがいつも通りの無表情を崩すことは無い。

「御心配には及びません。誰であれ、計画の邪魔をする者は排除する。それが、我々が立てた誓いでしょう」

 淡々とした口調ながら、そこには冷徹なまでの信念が感じられた。スロウトは何かを諦めたようにふっと息を吐き出し、そうだな、と言って、夜空に瞬く星々に目を向けた。



 扉を叩く音で、リックは目を覚ます。いつの間にか、ベッドに倒れ込むように寝てしまっていたらしい。体を起こそうとして、全身が筋肉痛のように痛み、思わずうめく。

「リック、食事を持ってきた。開けるわよ」

 マキナの声がして、掠れた金属の音と共に扉が開いた。パンとスープを載せたお盆を持ったマキナと、彼女の陰に隠れるように、俯いたリリアの姿があった。

「リリー…」

 リックの声にも、彼女はずっと俯いたままだ。マキナはお盆を机の上に置き、リリアの背中にそっと手を添えて、微笑を浮かべる。

「話したいことがあるらしいから、連れてきたわ。…後は、一人で大丈夫ね?」

 リリアが微かに頷くと、マキナは早々に部屋を出て行った。二人きりにされ、リリアは何か言おうと口をかすかに開いたが、すぐに閉ざしてしまった。

 彼女の姿を見て、リックはグッと拳を握りしめた。言いたいことも聞きたいことも、こっちだってたくさんある。そう思って、彼は口火を切った。

「カイから聞いた。本当は、リリーがどんな思いをしてきたのか。僕は、いや、僕らは君のことを、信頼できる仲間だと思っていた。この一年間、楽しいことも苦しいことも、一緒に乗り越えてきたから。でも、君にとっては、そうじゃなかったんだね」

 痛む体に鞭打って、リックがゆっくりとベッドから立ち上がり、リリアの正面に立つ。リリアは少し体を強張らせ、胸の前で手を握ると、次の言葉を待って固まった。

「―ごめん」

 突然、リックが頭を下げてそう言った。予想外の行動に、呆然とするリリア。

「カイからリリーの話を聞いた時、正直、君のことを疑った。今までの日々も、全部演技だったんじゃないかって。でも、違った。リリーの事を分かってなかったのは、信じられていなかったのは僕の方だった。だって―」

 リックが顔を上げると、リリアも顔を上げて彼を見つめていた。リックの目に映ったのは、今にも罪悪感で押しつぶされそうな少女の顔だった。元々白い肌は更に血色を失い、泣き腫らしたのか、目は真っ赤に染まっている。

 その顔を見てリックは、自分の考えが間違っていなかった、と思った。

「―だって、僕らが一緒に過ごしてきた君が全部嘘だったら、そんな顔するわけない。ずっと隠していた苦しい想いに、僕は気付いてあげられなかった。だから、ごめん」

 再び、二人の間に沈黙が流れる。不意にリリアの、なんで、と小さな声が聞こえ、そこから、彼女は堰を切ったように話し出す。

「なんで、そんなことが言えるの? そうだとしても、私が騙していたことは変わらないじゃない! みんなのことを裏切って、レジスタンスに情報を流して、たくさんの人を傷付けたことは消えないじゃない! そんなことを言ってもらう資格、私には無い! それなのに、どうして、そんなに―」

 感情のままに、リリアの口から流れ出す言葉。その瞳からもポロポロと、大粒の涙が溢れ出して地面に落ちた。こんなに声を荒らげ、本心をさらけ出す彼女の姿を、リックは初めて見た。その様子に多少動揺はしたが、努めて冷静に、彼も自身の想いを口にした。

「仲間だから、苦しんでいるなら力になりたいって、思うからだよ。それは、君が僕に教えてくれたんじゃないか。自分のことを責め続けていた僕に、迷惑をかけることを怖がっていた僕に、そうじゃないって。いや、君だけじゃない。みんなが、僕のことを認めてくれたから、支えてくれたから、僕は前を向けた。だから、今度は僕が、君の力になりたいって思ったんだ」

 迷いのない言葉に、リリアは視線を上げて彼を見た。未だ不安げなその表情に、それでもリックは優しく微笑みかける。

「大丈夫だよ、リリー。君は、一人じゃない。エドも、オストロも、シエラも、きっとそう言ってくれる。だから、話を聞かせて欲しい。リリーの、本当の仲間になるために」

 その一言で、リリアは一気にこみ上げる嗚咽を、堪えることが出来なくなった。その場にしゃがみ込み、溢れてくる涙を必死に拭う。すすり泣く彼女に寄り添い、リックはただ黙って彼女が泣き止むのを待った。


「—お母さんが病気で倒れて、誰にも助けてもらえなかった時に、カイたちに出会ったの。最初は、彼の言っていることが正しいと思った。肌や瞳の色が違うだけで、どうしてこんなに辛い思いをしなきゃいけないんだって」

 泣き止んだリリアは、リックと並んでベッドに腰かけ、彼女の過去を話し出した。

「でも、訓練生になって、みんなと一緒に過ごして、本当に私がやっていることは正しいことなのか、分からなくなっちゃったの。みんなを騙していることも、段々辛くなってきて。それに、お父さんとお母さんを裏切ることにもなるんじゃないかって」

 膝を抱えるリリアの手に、ぎゅっと力が入った。両親は幼い彼女に繰り返し、どんな人でも平等に治すのが医者の使命であり、悪意に悪意で立ち向かえば、自分の心まで悪に染まってしまう、と言い聞かせていたという。

「ひどい言葉を言われたり、裏切られたりしても、そう言って、傷ついた人たちを治療してた。中には心配してくれる人や、慕ってくれる人たちもいたんだけれど、突然お父さんがいなくなって、お母さんが病気になってからは、寄り付かなくなって…。それでも、お母さんはお父さんのことも、周りの人たちのことも責めなかった。ただ、私にはごめんねって、困ったように笑うの。私は、それが何よりも辛かった。お父さんのことも、お母さんのことも尊敬していたけど、私は、そんな風には強くなれない。だから…」

 そこでリリアは言葉を詰まらせ、視線を落とした。だから彼女は、カイたちに協力したということだろう。だが、彼女の中にはずっと後悔と自責の念が募っていた。

「…カイたちと取引をしたんだね。理不尽な環境を変えるために」

 後を継いだリックの言葉に、彼女は力なく頷いた。

「小さい頃から水の治癒魔法はお父さんに教わっていて、私もたまに診療所で手伝いをしていたの。三年前、噂を聞きつけたカイさんがうちを訪ねてきて、始めて自分がやっていることは普通じゃないって知ったわ。あの人は、生まれや育ちで不当な差別が生まれる社会の方が間違っている、君の力をこの国を変えるために貸して欲しいって言ってきたの。それと、お母さんの病気の治療費も援助を申し出てくれた…」

 リリアの中に積もっていた周囲への怒りを、カイは言葉巧みに焚きつけた。もちろんリリアの中にも葛藤は有ったのだろうが、理不尽への怒りと、たった一人の家族を守りたいという想いから、カイたちに協力する決断をしてしまったのだ。

「お母さんには心配を掛けたくなかったから、魔法使いの部隊ソル・セルの人が、噂を聞いて勧誘に来たって嘘までついて…。そんなことをして、真実を知ればお母さんが悲しむって分かっていたのに、私は、自分の怒りに負けちゃった。みんなや、たくさんの人を傷つけて、今更だけれど、虫が良すぎるとも思うけど、自分の選択が間違いだったって気付いたの」

 リリアの告白を、リックはただ黙って聞いていた。しかし彼女が話し終えると、彼は突然ベッドから立ち上がった。

「今更、なんてことないよ! 間違いに気付けたのなら、正せばいい。それに、リリーの想いは間違っていないって、僕は思う。理不尽への怒りも、家族を守りたいも、人として当然の想いだって」

 リリーの後悔も憂いも振り払うように、彼は力強く語り掛ける。

「レジスタンスより先に、スロウト王と父さんの計画を止めよう! 式典は始まっていないんだから、きっとまだ間に合う!」

 そう言ったリック自身の表情からも今までの迷いは消え、その瞳には決意が満ちていた。

「正直僕だって、カイたちの話がまだ信じられたわけじゃない。でも、レジスタンスが式典で何かをしようとしていることは確かだし、これ以上、何の罪もない犠牲者を増やすことはできない。だって、僕らはこの国の平和を守る、魔法使いの部隊ソル・セルだ。…リリー」

 リックは、右手をリリアに差し出した。

「過去は変えられないけど、未来はいつだって変えられる。君がもし自分の力を、誰かを守る為に使いたいのなら、まだ僕らの仲間として戦ってくれるのなら、一緒に行こう!」

 すでに、リリアにも迷いはなかった。後悔の涙も、もう流さない。

「ありがとう、リック。…私、今度こそみんなと、本当の仲間になりたい。この国を守る魔法使いの部隊ソル・セルの一人として」

 決意と共に、彼女はリックの手を取った。



「―やっぱり、こうなったか。…二人とも、残念だ」

 リックたちが小屋を出ると、扉の向こうには、カイ、マキナ、エレナ、ゴルト、そしてルーインが待ち構えていた。深いため息を吐き、カイが首を横に振る。リックは腰の短剣を抜き、その横でリリアも身構えた。

「カイ…。君たちの計画も、スロウト王と父さんの計画も、僕たちが止める」

 短剣に風の魔力を通わせ、リックがそう宣言した。カイはその言葉を鼻で笑う。

「たった二人で何が出来るっていうんだい? ずいぶんと、なめられたものだね」

 カイの周囲からバチバチと空気が爆ぜる音が鳴り、雷の魔力が満ちていく。それと同時に、マキナたちも武器を構えた。一触即発の空気の中、ルーインだけは杖すら構えず、冷静な口調で言った。

「皆、油断してはいけませんよ。訓練生とはいえ、実力は抜きん出ている二人ですから」

 剣を構えながらも、リックは思考を巡らせる。多勢に無勢、戦闘が長引けばこちらが不利だ。ここは一か八か、勢いに任せて正面突破するしかない。

「リリー!」

 リックがリリアの手を取った瞬間、二人の周囲に気流が巻き起こり、彼は一気に魔力を解き放つ。吹き荒れる突風にカイ達が怯んだ一瞬で、二人の体は宙に舞い上がった。天井すれすれまで一気に上昇し、カイたちの頭上を飛び越える。

「遅いよ!」

 カイがすかさず右手に雷の魔力を込め、頭上の二人に雷撃を放った。当たれば、一瞬で終わりだ。しかし、リックが咄嗟に身体を翻して、風の剣で雷の魔法を切り裂いた。バチバチという激しい音が鳴り、眩い光が飛び散った。カイが、初めて驚いた表情を見せる。

 二人は無事に、五人の頭上を飛び越えて着地した。次の攻撃が来る前に、リックは剣を鞘に納めてリリアを抱きかかえる。そして魔法で脚力を強化し、追い風に乗ってそのまま走り出した。瞬く間に、二人の姿は遠ざかっていく。

 カイは再び右手に雷の魔力を貯め、その背中に雷撃を放とうとした。しかし、ルーインが、待ちなさい、と杖を上げてそれを制した。

「先生、どうして止めるんですか⁉」

 カイが苛立った表情を見せ、ルーインに怒鳴り声を上げた。しかし、ルーインはあくまで落ち着き払った態度で、彼の肩に手を掛けた。

「カイ、落ち着きなさい。雷の魔法は強力な分、反動が大きいのですから、乱発は禁物。この後の計画には、万全の状態で臨まなくては…。それに、雷撃を切り裂いた彼の剣には何か、特別な力があるようだ。無闇に攻撃を仕掛けるのは、愚かな行為です」

 穏やかな口調ながらルーインの視線は鋭いもので、カイもグッと奥歯を噛みしめる。その反応に、よろしい、と満足そうに頷き、ルーインは余裕の笑みを浮かべた。

「気持ちは分かりますが、心配はいりません。この地下通路は、正しく迷宮。初めて訪れた者が、迷わず地上に出られる訳がない。…よしんば出られたとしても、建国式典は今日なのですから」

 

 後ろを振り返ることなく、リックは全速力で地下を駆け抜けた。不思議なことに、あの子どもたちのようなアジトに暮らす人々の姿は見当たらず、難なく立ち並ぶ家の間も通り抜けることが出来た。家が見えなくなってからも、だだっ広い空間は続いている。幸い、松明も壁に沿って掲げられ、道を照らしてくれていた。

 しばらくして、リックはグッと速度を落とし、耳を澄ませた。誰かが追ってくるような足音は聞こえず、安堵のため息が漏れる。すると、抱きかかえられていたリリアが、彼の腕の中で急にそわそわと視線を泳がせた。

「あの、リック、もう大丈夫だから、その、降ろして…」

 耳まで真っ赤になっているリリーを見て、リックは、ごめん、と慌てて彼女を地面に下ろした。緊急時で仕方がなかったとはいえ、リックも急に気恥ずかしさを覚え、気を取り直すように咳払いをし、この先の道がどうなっているかをリリアに尋ねた。しかし、彼女は顔をしかめて首を横に振る。

「私も、アジトに来たのは初めてで…。この通路はマキナさんの魔法で作ったもので、王都中に通じているってことくらいしか分からないの」

 つまり、地上に出るための情報は皆無に等しい、という事だ。正しい道を見つけたとしても、どのくらいの時間が掛かるかも分からない。リックがため息交じりに、とにかく進むしかなさそうだね、と言って、二人は黙って地下通路を歩き出した。道は徐々に細くなり、松明の数も減っていく。募っていく不安を押し殺して進んでいた二人だったが、しばらくして、目の前で通路が左右に枝分かれしてしまった。

 とうとう二人は歩みを止めて、参ったな、とリックは壁に寄り掛かった。リリアも、近くにあった大きな石に腰を下ろした。せめて何か手掛かりがあればと、リックは左右の通路を見比べてみたが、どちらの通路も大差はないように見え―。

「リリー、あれ!」

 突然、リックが声を上げた。驚いたリリアが、彼が指さした方を見ると、左の道の地面に、ぼんやりと、小さな矢印が浮かび上がっている。警戒したリリアが立ち上がり、リックの隣に並んだ。

「…こっちに行けってことなのかな? それとも、カイたちの罠?」

 リックはしばらく考え込んでいたが、腰の剣を抜き、風の魔力を込めた。

「例え罠でも、進むしかない。念のため、僕から離れないで」

 剣を構えたリックが足を踏み出すと、驚いたことに、矢印も二人を導くように先へと移動していった。その後も何度か分かれ道にあったが、矢印は消えることなく、行先を指し示してくれる。油断をしていた訳ではないが、リックは不思議と、この矢印の誘導に危険な感じがしなかった。そしてとうとう、通路に地上への階段が現れた。上の方から微かに漏れてきた光に、それまでの不安も疲労も吹き飛び、二人は一息に階段を駆け上がった。

 天井は押戸になっていて、リックが力を込めると、眩い光が二人を包む。

 二人の視界に飛び込んできたのは、青空とそれを縁どる様な木々の緑。周囲に誰もいないことを確認して地上に出た。

「ここは、どこかの森? なんだか見覚えがあるけど…」

 そうリックが呟いた瞬間、甲高いラッパの音が二人の耳に届いた。それも、あまり遠くからではない。二人は顔を見合わせ、音の聞こえた方角に走り出した。少しして木々は消え、その代わりに巨大な白い塔が現れた。そこで、リックは自分の既視感の正体に気が付く。地下通路は、なんと王宮内の雑木林に通じていたのだ。

「リック、この音…」

 リリアの言った音は、リックの耳にも届いていた。彼はグッと奥歯を噛みしめる。それは、大勢の人々の歓声だった。先ほど聞こえたあのラッパの音は、建国式典の開催を告げる、ファンファーレに他ならなかったのだ。

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