暗転


 一瞬、バルコニーに突風が巻き起こった。叫び声を上げながら、空から落ちてきたリックが、風を纏った剣をカイに振り下ろす。しかし、カイも素早く動き、リックに向けて電撃を放った。風の魔力と雷の魔力がぶつかり合い、再びバルコニーに衝撃波が広がる。身を守ろうと、カイは思わずスロウトから手を離してしまった。地面に投げ出されたスロウトを、リックは風の魔法で絡め取り、気流に乗って大きく後退した。スロウトは長たちが倒れている方に送り、自身はカイと向かい合う形で、剣を構える。

 カイはスロウトを奪われたことに一瞬苛立ちを見せたが、すぐに余裕の表情に戻り、リックに語り掛けた。

「まさか、あの迷路を抜け出てくるとはね。奇襲から人質の奪還も流石だ。でも、もう遅いよ。革命の幕はすでに上がった。そして、君もここで終わりだ」

 マキナ、エレナ、ゴルトの三人が、一斉にリックに襲い掛かった。炎を四肢に纏ったゴルトは、目にも止まらぬ速さで、一気に間合いを詰める。突然懐に入られ、リックはバランスを崩しながらも、咄嗟に炎の拳を剣の腹で受け止めた。ゴルトは、ははは、と楽しそうに笑い、怪我にも構わず刀身を素手でグッと掴んだ。

「火の魔法で強化した拳を防ぐとは、流石だな。…マキナ、エレナ、やれ!」

 いつの間にか左右に分かれていたマキナとエレナから、火炎弾と石の槍がリックに向かって飛んで来た。ゴルトを囮にした、捨て身の挟撃。しかし、突如としてリックの両側から土の壁が現れて、その攻撃を防いだ。さらに、驚くゴルトの目に飛び込んできたのは、彼の頭上を飛び越えて迫ってくる影だった。

「退けー!」

 エドガーが叫び声を上げながら、ゴルトの顔面を蹴り飛ばした。受け身すら取れず、ゴルトは勢いよく床の上を転がる。追い打ちをかけるように、複数の火炎弾が今度はマキナとエレナを襲い、爆炎が巻き起こった。リックは呆気に取られて、目の前に現れたエドガーの背中を見つめた。全身に風の魔力を纏い、瞬時に助けに来てくれたようだ。

 リックは声を掛けようとしたが、振り向いたエドガーがものすごい形相で睨みつけてきたことで、開きかけた彼の口元がひきつる。小言を言う時の比ではないくらいに怒っているのが、一目で分かる。

「リックー! 無事でよかった!」

 その時丁度、オストロとシエラがリックの方に向かってきた。先ほど攻撃を防いでくれたのは、彼らだったようだ。非難の視線から逃れるように、リックは二人に声を掛ける。

「えっと、心配かけてごめん。…ところで、みんなはなんでここにいるの?」

 緊張感の無い彼の言葉に、とうとうエドガーが怒鳴り声を上げた。

「それはこっちの台詞だ! 僕らはてっきり、君たちが危ない目に遭っているんじゃないかって、死ぬほど心配したんだぞ⁉ 今まで一体どこに―」

 怒鳴るエドガーを押しのけて、シエラがリックの両肩にガッチリと掴みかかった。

「エド、後にして! それより、リリーも無事なの?」

 不安げな表情で尋ねるシエラに、リックは、もちろん、と頷き、倒れているスロウトと長たちの方を示した。彼女は五人に水の魔法を使い、治療を試みているようだ。その姿を見つけて、シエラもようやく安堵の表情を浮かべる。

「―動かないでください! 今、治癒魔法を掛けますから!」

 リリアは四人に近付き、一人ひとりの身体に手をかざした。淡い青の光が全身を包み込むのを確認すると、次の者にも同じように治癒魔法を掛けていく。最後に、ラルゴに駆け寄った。彼は苦しそうに顔を歪めて、何をしている、と声を絞り出した。リリアは、ぐっと下唇を噛み、それでも毅然とした表情で答えた。

「リックと一緒に、陛下と長の計画をレジスタンスより先に止めるつもりだったんです。遅くなっちゃったけれど、まだ間に合います! だから、国民を犠牲に、リックのお母さんを蘇らせるなんてこと、もう止めて—」

 しかし、その言葉を遮って、ラルゴは力を振り絞って彼女の腕を掴んだ。

「違う…! これは、だ! そんな計画、!」

 

 一方で、爆発を逃れたマキナとエレナは、カイの元に集まっていた。ゴルトも、今のは効いたぞ、クソガキ、と悪態を吐きながら、よろよろと立ち上がる。カイはリックたちを忌々しそうに睨んだが、ふっと息を吐き出し、再び右腕に魔力を込める。一気に敵が増えてしまったが、もう一度、雷の魔法で黙らせればいい。

「最後まで、僕らの邪魔をするんだね、リック。もう容赦はしない。仲間と一緒に、ここで君も殺して―」

「いえ、もう結構ですよ、カイル。儀式に必要な魔力は、十分に補充できた。あとは、

 次の瞬間、カイの腹部を剣先が貫いた。マキナも、エレナも、ゴルトも、衝撃で息を呑む。いつの間にかカイの背後に人影が現れ、背中から彼を刺したのだ。カイは咳き込んで血を吐くと、首だけを動かして、絶望の眼差しでその人物を見た。

「…先生、どうして?」

 視線の先に立っていたのは、満面の笑みを浮かべたルーインだった。彼が握る杖の先端は鋭い剣に変化し、滴ったカイの血が、ぽたぽたと地面に落ちる。

「なぜ? これが私の計画だからだ。国民を犠牲に、生命の魔法を手に入れる。そのために、手頃な駒が必要だった。そして、もう必要ではなくなっただけのこと」

 そうルーインが言い終わると同時に、マキナとエレナが渾身の魔力を込め、彼の頭を目掛けて拳を振り抜いた。しかし、彼が軽く手を振ると突風が巻き起こり、二人ともバルコニーの外まで一気に吹き飛ばされた。

「貴様っ!」

 今度はゴルトが怒号を上げ、炎の拳で殴り掛かる。しかし、ルーインが拳を素手で受け止めると、燃え盛っていた炎が瞬く間に消えていく。驚くゴルトに反撃の隙を与えないまま、ルーインは彼を軽々と持ち上げ、床に叩きつけた。衝撃でタイルが砕け散り、鈍く嫌な音がなる。ゴルトの首が直角に折れ、いともたやすく、彼は絶命した。

 ほんの数秒の出来事。ルーインは最後に、握っていた杖を手放した。腹を串刺しにされたまま、カイが地面に倒れ込む。その下に、じんわりと血だまりができる。

「…さて、これで本当に、邪魔者は消えた」

 満足そうな表情で、ルーインがそう言った。リック達は何が起きているのか分からず、ただただ目の前の光景を、呆然と見つめているしかなかった。姿は全く変わらないが、あの老人は明らかに、自分たちが知る先生などではない。

「スロウトからお前の話を聞き、この計画を思いついてから二十年。実に、長かった」

 血の海に横たわるカイを見下ろして、ルーインが感慨深げにそんなことを口にした。

「…どういう、ことだ? 僕のことは、十五年前の夜に、知ったはずだ。それに、なぜ奴が僕の話を、先生に…」

 正しく虫の息という感じだが、カイはルーインを睨みつけ、必死に声を絞り出した。ルーインの口が吊り上がり、嘲るような笑みを浮かべる。

「冥途の土産に教えてやろう。お前の本当の父親はフレイルではなく、そこに転がっている間抜けの方だ。そして、お前の母を殺したのは他でもない、この私だ」

 目を見開き、言葉を失くすカイ。ルーインはわざわざその表情を覗き込み、いい顔だ、とより一層大きな笑い声をあげた。

「全ては雷の魔力を奪い取り、私が生命の魔法を手に入れるための計画だったのだ! レジスタンスも、お前の青臭い理想も、私の掌の上で踊らされていただけにすぎん!」

 聞くに堪えなくなったリックが、一歩前に出て叫ぶ。

「ルーイン先生! 全て、あなたが仕組んだことだって言うんですか⁉ 十五年前にカイのお母さんが殺されたことも、彼らを利用してこんなことを起こしたことも、全部…」

 話を遮られ、上機嫌だったルーインは忌々しそうな表情を浮かべた。リックを睨み、何度も言わせるな、と呆れたように吐き捨てる。

「理解力はある方だと思っていたんだがな、リッキンドル・フォーデンス。ああ、ついでに言えば、水の長がリンデルを蘇らせようとしている、という話も嘘だ。母親の死に引け目を感じているお前なら、あっさり協力すると思ったが、頑固なのは父親譲りだったな。まあ、結果としてはお前がいなくとも、私の計画に支障は無かった訳だがな」

 馬鹿にしたように、ルーインが鼻で笑う。リックは彼を睨みつけ、悔しさから拳を握りしめた。隣に立つエドガーも険しい表情を浮かべ、口を開いた。

「先生…、いや、ルーイン、貴様の目的はなんだ? 生命の魔法が何かは知らないが、それで一体、何をするつもりだ?」

 エドガーの問いに、ルーインは不思議そうな表情で、目的だと、と聞き返した。

「そんなものはない。私はただ、より魔法を極めたかったのだ」

 淡々としたルーインの口調は、それが彼の本当の望みであることを物語っていた。

「強いて言うなら、未知のものを解き明かしたいという、知的欲求だ。宮廷魔法使いの一族に生まれ、どれほど研鑽と研究を重ねても、手に入らないものがあった。王家に伝わる雷の魔力、そして封印された〝生命の魔法〟だ。いつかその謎を解き明かし、手に入れることが、私の生涯の目標になっていた。戦争も平和も、私にとってはどうでもいい。しかし、戦場は実に良い実験場だったな。手塩にかけた研究成果がその真価を発揮するのは、死と隣り合わせの状況だからな」

 ルーインはそう言って、また笑い声をあげた。リックの中で、ふつふつと怒りが沸き上がる。レジスタンスのアジトで、戦場に多くの生徒を送り出したことを悔い、王国と国民の行く末を案じていた彼が、本心ではその生徒を自身の研究対象としてしか見ていなかった。ただ魔法を極めたい、などという自身の欲望のためだけに、多くの罪のない人たちを傷つけた。これ以上、この男の好きにさせてはいけない。

「―いい加減にしやがれ、クソジジイ!」

 その時、怒号と共に床が隆起し、ルーインに襲い掛かった。彼は瞬時に土の壁を作り、攻撃を相殺する。砂埃が舞う中、激高したリースが仁王立ちしていた。リリアの治癒魔法のおかげか、他の長たちとスロウトも一緒だ。みんなまだ回復しきってはいないのか、時折ふらついているが、生きている。

「実験場? 研究成果? てめぇ、人の命を何だと思っていやがる!」

 怒髪天を衝く勢いで叫ぶリース。その隣にランバルトが進み出て剣を構え、刀身に業火が宿る。激しく揺らめく炎も、彼の怒りを表しているようだ。

「我らを相手に、逃げ切れると思うなよ!」

 二人は左右に分かれ、ルーインに襲い掛かった。しかし、ルーインは動揺した様子も無く、黙って倒れていればいいものを、と深くため息を吐く。彼は飛び込んでくる二人の体を風の魔法でいなし、土の魔法で反撃を繰り出した。石の拳が二人の腹を殴りつけ、そのまま形状を変えて拘束する。ルーインが、にやりと口元を歪める。

「貴様らは私の大事な生徒ではないが、賊上がりの痴れ者と、死に損ないの敗残兵に教えてやろう。人の命など、魔力の源とする以外に価値はない。純粋なエネルギーとして命を使う。それが、魔法の本質だ!」

 そう言うと、ルーインはポケットから何かを取り出した。拳ほどの大きさになっているが、中継機と同じ銀の球体だ。彼が頭上にそれを掲げると、浮いていた五つの球体から、魔力の光が一斉に向かっていった。眩い光が周囲を包み込み、リック達の視界を奪う。

「今ここで奇跡を見せよう! これこそが生命の魔法、私の研究の成果だ!」

 ルーインが叫び、光は次第に収まっていった。しかし、再び戻った視界の中に、彼の姿は見当たらない。その代わり、腹を貫かれて倒れたはずのカイが立っていた。

 何が起きたのか分からず、沈黙するリックたち。するとカイが突然、背中から杖を引き抜いた。しかし、血は一滴も流れない。無表情だった口元が歪み、愉快そうに、くつくつと喉の奥を鳴らす。彼は自分の体をまじまじと眺め、満足そうに言った。

「…素晴らしい。出血すらしないほどの回復力。正しく、力が溢れてくるようだ! 完全に馴染むまでにはまだ時間がかかるが、やはり、器としては最適だったな」

 彼の瞳は、いつの間にか邪悪な朱色に染まっていた。異様のような雰囲気と〝器〟という言葉。リックたちは、何が起こったのかを理解した。

「カイの身体を、乗っ取ったのか…?」

 リックの言葉に、カイ、もとい、ルーインが頷いた。

「御名答。これも、生命の魔法の力だ。これで私は、五大要素、全ての性質の魔力を扱える唯一の存在となった。それに加えて、王都の民から奪った膨大な魔力もな」

 いつの間にか、逃げ惑う人々の叫び声も、シローリア軍と争う音も消えていた。スロウトは、覚束ない足を強引に動かし、大通りの様子が見える位置まで走った。都全体を覆い尽くす静寂の中で、道端に倒れ込む無数の人々の姿が、眼下に広がっていた。

「貴様…。まさか本当に、何の罪もない民たちを殺したのか?」

 スロウトは掠れた声でそう呟き、膝から崩れ落る。しかしルーインは、いいや、とその言葉を否定する。

「正確には、生命力を奪っただけで、まだ死んではいない。彼らの命は、じっくりと使わせてもらうからな。もちろん、貴様と長たちもな。…その前にもう一つ、面白いものを見せてやる」

 ルーインが、杖の先で床を強く打ち付けた。彼を中心に、紫色の光が波のように広がり出す。すると、今まで気を失って倒れていた兵士たちが、ゆっくりと起き上がった。しかし、瞳は焦点が合わず、虚ろな表情でぎこちなく手足を動かしている。

「素晴らしいだろう? 雷の魔力の準特性は。雷の魔法に触れた者は私の意のままに動く、操り人形だ!」

 兵士たちがじりじりと距離を縮め、リックたちに迫ってくる。しかし、リックたちは迂闊に動くことが出来ないでいた。魔法を使えば少しの間は防げるだろうが、手負いの長たちを守りながら逃げ切れるかは、微妙なところだ。ルーイン自身の力も未知数なうえ、向こうにはリースとランバルトが捕まっている。勢いに任せて動いても、魔力が切れれば、それこそ一貫の終わりだ。

 リックは必死に打開策を考えていた。操られた兵士たちは、ゆっくりとした亡者のような足取りでだが、確実に迫ってくる。その時、誰かがリックの肩を掴んだ。

「リック、仲間を連れて逃げろ。お前たちだけなら、逃げ切れるはずだ」

 いつの間にか、ラルゴが彼の背後に立っていた。鬼気迫る表情が、自分たちは置いていけ、と語っている。その隣で、リリアに肩を借りていたリザも無言で頷く。

 何も言えず、リックは首を横に振った。しかし、ラルゴは、いいから行け、と今度は怒鳴り声を上げた。

「…こうなることは分かっていた。お前たちが、最後の希望だ」

 泣き出しそうな顔で自分を見つめる息子の頭に、父はそっと手を重ねた。今までに見たこともないような、穏やかな表情。そして、優しくも悲しそうな瞳で語り掛ける。

「今まで、本当にすまなかった。ここで多くを語る時間はないが、これだけは言わせてくれ。私も母さんも、お前を愛している。お前が生まれてから、ずっと―」

 その言葉の意味をリックが理解するより早く、ラルゴは彼の肩を後ろに押し出した。

「リザ! 頼む!」

 リザが風の魔法を使い、リック達の身体が宙に浮き上がる。いきなりの事で思わず他の四人は声を上げる。しかし、リックだけはラルゴに手を伸ばした。

「だめだ、父さん!」

 吹き荒れた突風がその声をかき消し、彼らの体はバルコニーから勢いよく遠ざかっていった。王宮の城壁を飛び越え、そのまま東の大通りの上空に突き進んでいく。

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