訓練生

 翌日から、リック達五人の訓練生としての日々が始まった。

 魔法使いの部隊ソル・セルでは入隊試験に合格してから一年間、訓練生として魔法の知識、技術を磨くほか、警護などの任務に就く研修期間が設けられている。日程は一般的な学校と同じで、一週間のうち五日間は隊舎や練兵場での訓練と座学を受け、二日間を休日とするサイクルを一年間。また、魔法に関しては長が担当しての実技試験が定期的に行われ、任務での実績や座学の成績も合わせ、正式に入隊した際の評価基準とされる訳だ。加えて、訓練生とはいえ部隊の一員であるため、期間中は給与も支払われ、一般兵士よりも地位は上となる。

 朝を告げる鐘の音が聞こえ、リックはゆっくりとベッドから起き上がった。顔を洗って服を着替え、身支度を整える。机の引き出しにある短剣をベルトに差し、彼は部屋を出た。入隊の儀から早くも二か月。毎朝六時に起床、そのまま一階の食堂で朝食を取り、皆で講義に向かうという流れにも慣れてきた。食堂に行くと、すでにリリアとシエラが席に着いていた。おはよう、と二人に声をかける。リックの声に、朝食当番のエドガーがキッチンから顔を出す。

「オストロ、まだ寝ているのか? どうせなら、二人分まとめて作りたいのに」

 眉間に皺を寄せ、フライパンを持ったエドガーの姿に、リックは苦笑いをした。彼が、起こしてくるよ、と腰を浮かせたところで、リック、とエドガーに止められる。

「前から言おうと思っていたが、甘やかすのは良くない。訓練生になってもう二か月経つのに、ほとんど毎朝、君が起こしに行っているじゃないか。いい加減、魔法使いの部隊ソル・セルとしての自覚を彼も持つべきだ! しかしそのためには彼だけでなく、周りの僕らも―」

 まずい、エドの小言が始まった、とリックの苦笑いが更にひきつった。しかし、丁度その時、階段をバタバタと降りてくる足音に続いて、寝癖を付けたままのオストロが慌てて食堂に駆け込んできた。

「危なかったー! リックが起こしてくれないから、寝過ごすところだったっすよ!」

 寝癖を押さえつけながら理不尽な文句を言って、オストロがリックの隣の席に着く。その途端、エドガーの口撃対象が切り替わる。

「危なかったー、じゃないだろ、オストロ! さっきリックとも話していたが、君は自覚が足りなすぎる! 訓練生とはいえ、僕らには魔法使いの部隊ソル・セルの一員たる責任が―」

 寝起きでいきなり始まったエドガーのお説教に、オストロは、いきなりなんすか⁉、と戸惑い、隣のリックは終始苦笑い。

 そんな男子三人の喧騒をよそに、食事を終えたシエラとリリアは席を立った。

「ごちそう様! エド、お説教もいいけど、早く食べないと遅れるわよ!」

 シエラが壁に掛けられた時計を指さし、リリアと二人仲良く食堂を出て行く。見ると講義の開始時刻まで、もう三十分しかない。リック達は慌ててキッチンに駆け込み、阿吽の呼吸で調理を済ませ、食事を胃に流し込むと、三人で寮を飛び出した。

 講義も訓練も、基本的には練兵場か、その近くにある学習棟で行われる。この日最初の講義は魔法の基礎知識を学ぶもので、学習棟の小教室にリック達が滑りこむと、しばらくして、黒いローブに身を包み、杖を突いた老人が入室してきた。深い皺の刻まれた浅黒い肌に、豊かな白髪と白い髭、丸くなった背中。彼は教壇の前に立ち、ゆっくりとした落ち着いた声で、おはようございます、と挨拶をした。五人も口々に挨拶を返す。ふと、老人の目がオストロに向けられた。

「オストロ君は、また寝坊ですか…」

 治しきれなかった寝癖から、老人は事情を察したらしい。気まずそうに頭を掻くオストロ。そこで、エドガーがすかさず口を出す。

「ルーイン先生からも言ってやって下さい! 毎朝リックに起こしてもらって、だらしないにもほどがある!」

「今日は自分で起きたじゃないっすか!」

「寝坊ギリギリだったろ! おかげでこっちも遅刻するところだった!」

 オストロとエドガーのやり取りに、ルーインと呼ばれた老人が愉快そうに笑った。

「元気そうで何よりです。リッキンドル君は優しいんですね。エドガー君も、そうカッカしないで。オストロ君は、反省しなさい」

 エドガーはまだ何か言いたそうだったが、諫められたオストロは素直に、はい、と返事をした。ルーインは咳払いをしてチョークを手にすると、黒板に向き直る。

「それでは、前回の続きから。魔法学の発展と、この国の変遷について―」

 一時間の魔法学の後、練兵場に出て体術の基礎訓練。この担当はミレスとなっており、一般兵と共に素振りや走り込み、対人格闘の訓練を行う。女子二人はまだ基礎体力を作る段階ということで走り込みだが、リックたち男子三名は訓練兵に混ざって、二人一組で組み手を行う。使用する武器は木製の剣や、槍に見立てた長棒。両腕、両足、額に革製の防具を付け、撃ち込み合うもので、もちろん魔法は禁止だ。リックは木製の長剣、エドは長い棒を得物に、次々と挑戦してくる一般兵を倒していく。

「いや~、あの二人、ほんとすごいっすね。エドは軍人家系だし、リックも師匠に教え込まれているから、対人格闘も慣れてるのかもしれないっすけど。普段は大人しいのに、こういう時は容赦ないというか…」

 先に組み手を終えたオストロがタオルで汗を拭きながら、二人の暴れぶりを眺めて独り言を口にした。そんな彼の背後には、いつの間にかミレスが立っており、何を休んでいるんだい、サウル、と彼の肩をむんずと掴んだ。笑みすら浮かべた穏やかな表情だが、その目は笑っていなかった。オストロは逃げようとしたが、掴まれた肩はびくともしない。

「君のことは土の長から、良く面倒を見るようにと言われているんだ。さあ、剣を構えなさい。私が直々に、稽古をつけてあげよう」


 充分に体を動かして、午前中は終了。五人は一度隊舎に戻って、昼食を取った。ミレスとの組み手で心身ともにボロボロになったオストロを、リックとエドガーが食堂に担ぎ込み、シエラが作ったサンドイッチをみんなで食べる。具材はハム、ゆで卵、トマトにレタス。午後の授業のために、五人とも急いで食事を胃袋に詰め込んだ。

 そして、午後からは魔法の基礎訓練。こちらは練兵場ではなく、王宮の北側にある雑木林で行われ、担当は再びルーインが務める。林の奥にルーインが住む小屋が建てられているのだが、その前で、五人は一定の距離を取って横一列に並んでいる。みな、黙って両目を閉じ、ゆっくりと呼吸を繰り返している。しかし、それだけなのに五人の額にはうっすらと汗が滲んでいた。表情も、何かに耐えているかのように険しい。

「皆さんはすでに修行を経て、得意とする魔法があるのは承知していますが、それを更に高め、更に深め、より精度の高い魔法としなくてはなりません。ただただ魔力を高め、保ち続けるこの修業は、地味ですが、精神集中には最も効果的なのですよ」

 五人の前に立つルーインが、誰にともなく語りかける。魔法において、もっとも重要なことは心を落ち着かせることだ。自然界にある五大要素―火・水・土・風・雷―と自らの魔力を結びつけるのは、精神力に他ならない。これは、その精神力を鍛える訓練だ。筋肉と同じで、魔力も使い過ぎれば体に負荷が掛かる。ササナでのリックの様に、全身の力が抜けて意識を失う事や、最悪の場合は命を落とすことも。今の五人は魔力を生み出し続けている状態であり、休みなく全力疾走を繰り返しているようなものなのだ。

 時間だけが流れ、五人の頬には汗が伝う。林を抜けた風が、さらさらと木の葉を揺らした。最初に変化が現れたのは、リックだった。彼の身体を、うっすらと、緑色の光が包んでいく。そのすぐ後に、エドの身体も淡い緑の光が包みだした。次にリリアが青、シエラが赤、最後にオストロが黄色の光を纏う。その様子に、ルーインは満足そうに頷いた。

「皆さん、それぞれの特性を持った魔力の可視化は、十分に出来ましたね。では、その状態を保ち続けて下さい。日が暮れるまで、集中を切らさないこと」

 日が暮れるまで、という言葉に、五人とも更に表情を険しくした。午後の穏やかな日差しが傾くのには、まだまだ時間が掛かりそうだった。

 ようやく日暮れを迎え、一日の講義が終了を迎える。帰寮後、談話室に着くなりオストロは、今日も疲れた~、とソファに寝転んだ。リックもエドも、しんどそうに椅子に身を投げ出していた。女子二人は、先にシャワーを浴びてくると自室に向かってしまった。

 しばらくの休憩の後、ここからは五人そろっての夕食で、当番のオストロとリックがキッチンに並んで食事の準備をする。今晩のメニューはパンとスープ、豚肉のソテーだ。慣れた手つきで包丁を使い、人参やジャガイモの皮を剝いていくオストロに対して、リックの手つきはどうも覚束ない。彼は、オストロ案外器用だよね、と関心して声を掛けた。その隣で、スルスルと皮を剥き続けるオストロが、手を止めずに答える。

「うち、兄弟多くって、親と兄ちゃんたちが働いている時は、俺が弟たちに飯作ってあげてたんすよ。兄貴と俺、妹が二人で弟は一人。両親も合わせて七人家族だったんで、料理だけは自然と身に付いたというか。今になって役に立つとは思ってなかったっすけど、料理だけなら、エドにも負けないっすよ!」

 オストロがニッと笑い、つられてリックも笑顔になった。オストロのこういう明るい性格も、大家族だからなのだろうか。

「七人もいたら賑やかそうだね。僕はずっと師匠と二人暮らしで、食事は近所の人が持ってきてくれたりしたから、まともに料理なんてしたことなくてさ。こうやってみんなでご飯を食べるの、なんだかいいなって思うんだ」

 リックの言葉にオストロが手を止め、遠慮がちに、水の長とはまだ話してないんすか、とリックに尋ねた。その問いにリックは、うん、と頷く。

「向こうは任務で忙しいし、僕も訓練でそんな余裕ないから、仕方ないよ!」

 そう言ってリックは笑ったが、誰が見ても空元気と分かる。尋ねておきながら、オストロの方が、そっすか、と気落ちした返事を返してしまった。わざわざ祖父に息子を預け、会いに行ったのは一度きり。二人の間に何かあったのは、他の四人もなんとなく察していたし、心配ではある。しかし、踏み込んでいいのか迷っているというのが、正直な気持ちだった。だが、やはり放っておくことも出来ない。

 料理が出来上がる頃、談話室の方からエドガーたちの話し声が聞こえていた。オストロが最後に味見をして、よし、と頷き、リックは三人を呼びに行こうとした。しかし、その背中を、リック、とオストロが呼び止める。

「さっきの話。その、しっかり話せるといいっすね、父ちゃんと!」

 父ちゃん、というのはオストロなりの気遣いだったのだろう。リックは少し戸惑ったようだが、自分を心配してくれた友人の言葉に、ありがとう、と笑顔を向けた。

  

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