ガルディアの魔法

『—魔法学において、人の命は自然界を満たす五大要素の性質を持つとされる。即ち、火・水・風・土・雷である。全ての人間に魔力は宿るが、扱える属性には得手不得手があり、魔法使いとなる才能にも、当然個人差がある。また、五つ目の雷の魔力に関しては、その割合が非常に少なく、オーセム王家のみが扱えるとされている。

 初代ガルディウス王の血統であるオーセム家には、他の四つの要素とは異なる「雷」の魔力が宿るとされている。雷、即ち天を司る力である。生命に内在する五大要素のうち、なぜこの魔力がオーセム家のみに受け継がれるのかは、未だに解明されていない。また、この力は必ず発現するものではない。最後に確認されたのは五〇〇年以上も昔であり、現在では、雷の魔力は伝説とされている。

 約八〇〇年前、ガルディア建国の祖であるガルディウス王と四人の賢者は、「精霊」から魔法を授けられた。ガルディウス王は魔法を駆使し、長きに渡る戦争を終わらせ、ここにガルディア王国を築き上げた。以来、魔法は子孫である我々に受け継がれ、この国の礎となる。魔法の発展に伴い、国は栄え、より強力な軍事力―魔法使いの部隊ソル・セルの設立に繋がるのである』

 正午を告げる鐘の音に、リックは読んでいた本から視線を上げた。目の前には分厚い書物がぎっしりと詰まった本棚が並んでいる。彼がいるのは寮の反対側、王宮の西側にある図書館の二階。王宮内の他の建物とは違い、円柱型の三階建ての古い建物だ。中央は吹き抜けで、大きな螺旋階段が通っており、各階には本棚と机が並んでいる。ドームの形をしたガラス張りの天井から、昼間の温かな日差しが室内に降り注いでいる。

 慌ただしい日々にあって、今日は貴重な休日。リリアとシエラは一緒に町へ出掛け、エドは走り込みに行ってしまった。オストロは、リックが寮を出る時にはまだ寝ていたので、恐らく今日一日はゆっくり過ごす予定なのだろう。リックは一人、朝から図書館に籠っている。かれこれ二時間ほど本棚の間をうろついては、目に留まったものを手当たり次第に流し読み漁っていた。長い基礎訓練にも飽き、何か新しい魔法のアイディアでも見つかれば、と思ったのだ。

 それまで彼が読んでいたのは、魔法とガルディアの歴史に関する本で、初代ガルディウス王の話や伝説の雷の魔力は、寝物語にエビナンスに聞いたことがあった。そのほかに本棚に並んでいる書物も、王国や魔法学の歴史に関するものばかりで、目ぼしいものは見つからなかった。

 本を棚に戻し、リックは疲れから軽くため息を吐いた。その時―。

「関心ですな、休日も勉強ですか?」

「うわっ、ルーイン先生⁉」

 リックは思わず叫び声をあげて、勢いよく振り返った。いつの間にか、後ろにルーインが立っている。

「はっはっは、驚かせてしまいましたな、申し訳ない。あまりにも集中していらしたので、声を掛けるタイミングを窺っていたのですよ。まさか、私に気が付いていないとは、大した集中力ですね。…この国の歴史と、魔法学に関する本ですか?」

 リックはルーインの言葉に頷いたが、背後に誰か立っているのに気が付かない程集中していたとは、なんだか恥ずかしくなった。彼は、基礎訓練だけでなく、何か魔法に役立つような新しい知識があればと、図書館に来たことを話した。訓練生の教育係であるルーインなら、何か知っているかもしれないという期待もあったのだ。ルーインはリックの話を黙って聞いた後で、時間があるようなら昼食を取りながら、少しお話ししましょう、と彼を自宅に招いてくれた。

 二人は図書館を離れ、ルーインの住まいである小屋に場所を目指した。木漏れ日が影を落とす林道を、二人の背を追い越して風が流れていく。リックは王宮の中に林があるということに最初は驚いたが、今では実技訓練で必ず訪れるので、庭先とほとんど変わらない感覚だ。しかし、ルーインの家に入ったことはなかったので、聞かせてもらえる話への興味に加え、リックの胸の中には別な好奇心がふつふつと湧き上がっていた。

 しばらく歩いていると、例の小屋が見えてきた。ルーインがドアを開けて、お邪魔します、とリックも足を踏み入れる。ドアの向こうは、すぐに居間となっていた。あまり広くはないが、南側が大きいガラス戸で閉塞感は無いし、外はテラスになっているようだ。

「すぐに昼食を用意しますので、テラスの椅子で待っていて下さい」

 そう言って、キッチンに向かうルーイン。陽気も良いので、テラスに出て昼食を食べるのだろう。リックも手伝おうとしたが、壁一面の大きな本棚に惹かれ、思わず立ち止まる。

「すみません、ちょっと本を見ていてもいいですか?」

 キッチンに向かって声を掛けると、お好きにどうぞ、とルーインの声が返ってきた。リックは、ぎっしりと並んだ背表紙に目を走らせる。図書館で見たものも何冊かあったが、彼の本棚は魔法学の専門書が主なようだ。

 その中で、一冊の本に目が留まった。

 赤字に掠れた金の文字が書かれているが、ガルディアの言葉ではない様で、何が書いてあるのかは分からなかった。手に取って開いてみると、どのページも黄ばんで所々が破れ掛けており、かなり古い本のようだ。中の文字も掠れて、背表紙と同様に読み取れない。破らないように慎重にページをめくると、何かの図が描かれていた。正円に重なる五芒星、更にその頂点に魔法学の五大要素を表す絵、そして中心には、両手を広げた人の姿。五大要素からはそれぞれ、中央の人に向かって矢印が伸びていた。隣のページにも同じ図が載っていると思ったが、よく見ると矢印の向きは逆、人も黒いシルエットで描かれている。五大要素と魔力の関係を現した図だろうか。だとすれば、色が違うことには何か意味が―。

「お待たせしました、リッキンドル君」

 食事を載せたお盆を持って、ルーインが戻ってきた。リックは慌てて本を戻し、お盆を代わりに運び、二人で外のテラスに出る。湯気が立つシチューと、小さなバスケットに入ったパンがテーブルに並ぶ。食事をしながら、ルーインはリックに寮での生活や今まで修業時代のことを聞いてきた。エビナンスの話になると、懐かしいですね、と目を細めた。二人にも面識があったことに驚き、リックが尋ねる。

「師匠を知っているってことは、ルーイン先生は昔から、訓練生の教育係を務めているんですか?」

 リックの質問に、ルーインはコクリと頷いた。

「ええ。私の家系は代々ガルディア王家に仕え、魔法の研究に努めてまいりました。魔法使いの部隊の設立にも関わっていましたので、教官の役割も担うようになったのでしょう。エビナンス様は、私の父の教え子です。戦時中は訓練生の数も今とは桁違いでしたが、その中でも、実力は抜きん出ていたそうです。私の教え子は、あなたのご両親の方です」

 その言葉に、スプーンを持っていたリックの手が止まる。

「水の長はもちろん、亡くなられたあなたのお母さま―リンデルさんも、さぞかし喜ばれていることでしょう。息子さんが立派に成長されて、自分と同じ道を歩まれているのですから」

 微笑を浮かべるルーインとは対照的に、リックは思い詰めたような表情で、そんなことないと思います、と呟いた。ルーインは聞き取れなかったのか、一瞬怪訝な表情を見せたが、リックが強引に話題を変えてしまった。

「いえ、何でもないです! それより、魔法の話を聞かせてもらえますか?」

 ルーインは、そうでしたね、と思い出したように手を打った。

「リッキンドル君は、魔法の準特性については、ご存じですか?」

 リックは、準特性、という初めて聞く言葉に、首を横に振る。

「五大要素からなるこの国の魔法は、自然界にあるそれらを魔力で再現しているにすぎません。それを、魔法学では本特性と言います。それぞれの要素を、その姿のまま魔法として行使するものですね。準特性とは、それにある種の概念的な要素を織り交ぜたもの、一歩踏み込んだ使い方です」

 ルーインの説明にも、リックはピンと来ないようで、困ったような笑みを浮かべた。その様子に、実際にやってみましょう、とルーインが立ち上がる。彼は部屋の方からペーパーナイフを持って来ると、おもむろに左手の人差し指をナイフで切りつけた。傷口から血が滴り落ち、リックはどうしたのかと驚いた。しかし、当のルーインは、よく見ていてください、と落ち着いた声で、傷口を彼の目の前に向ける。すると、仄かな青い光で人差し指全体が包まれ、空気中から集まってきた水滴が、傷口を覆いだしたのだ。水滴に包まれた傷口で、ナイフで切られたはずの皮膚が、瞬く間に塞がっていく。

「すごい、傷口が治ってく!」

 思わず感嘆の声を上げるリック。ルーインが軽く指を払って水滴を払うと、傷口は跡形もなく消えていた。

「これは、水の魔力の準特性である「循環」の応用です。細胞の治癒能力を高め、修復を速める。もちろん万能ではないので、無くなった手足を生やしたりは出来ませんが」

 リックは興奮した様子で、他の属性についてもルーインに尋ねた。風は促進、火は増幅、土は硬化などがあるという。

「準特性については、正直未だに分かっていない部分も多いのです。複数個存在していることや、使用者によって、扱える準特性も違うという事くらいでしょうか。この解明も、私の研究の一つです」

 初めて聞く準特性の話に、リックは興味津々と言った感じで聞き入っていた。研究途中ということもあり、公には知られていないのだろうか。

「すごい研究ですね! もしかして、雷の魔力の準特性も、分かっているんですか?」

 期待の籠った教え子の言葉に、しかしルーインは、いいえ、と首を横に振った。

「残念ながら、それは分かっていないのです。最後に確認されたのは五百年前とされていますが、詳しい資料などは何も見つかっていない、正しく、伝説の力です。…伝説と言えば、もう一つ、未知の魔法があるのですが」

 そう言って、どこから取り出したのか、ルーインが一冊の本を机の上に置いた。それは、先ほどリックが開いていたあの赤い本だった。この本、と驚くリック。ルーインはパラパラとページをめくりながら話を続けた。

「とても古い本です。もしかしたら、この国が生まれる以前のものかもしれません。魔法によって劣化を防いでいるのですが、もうボロボロでして。さて、どのページだったか…」

 彼の手が止まったのは、またしても、先ほどリックが開いていた不思議な図の描かれているページだ。ルーインの指が、二つの図を交互に指し示した。

「この図は、一見すれば五大要素と魔力の関係を表しているようでしょう? ですが私は、これは第六の魔法を示していると思うのです。五大要素を全て用いて生まれる、大いなる力。私はこれを、生命いのちの魔法と名付けました」

 リックはルーインが言った、生命いのちの魔法、という言葉を繰り返した。

「それって、一体どんな魔法なんですか?」

 リックの質問に、ルーインは急に黙りこくってしまった。その視線は本の中の図に向けられているはずだが、どこか別の場所を見ているような、遠い目をしている。心配になったリックが、先生、と呼びかけると、彼はいつもの柔和な表情に戻っていた。

「すみません、そもそも、雷の魔力が確認出来ない以上、机上の空論でしかありませんから、話してもあまり実にはならないですね。それより、君の役に立ちそうな風の魔法の応用方法を話しましょうか。基礎訓練も飽きてきた頃でしょうし、来週からは各魔法の実践に移しますよ」

 冗談交じりにそう言って、ルーインは本を閉じ、机の脇に追いやってしまった。リックも、それ以上尋ねるのがなんとなく躊躇われたので、それは楽しみです、とあいまいな笑みを返すに留まったのだった。

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