《16/古本屋の100円コーナーで始まる恋》
ブックオフの店内に入るなり、種市は形のいい鼻腔をひくつかせる。
空調のかび臭さと古本の湿ったにおい。
きょろきょろと店内を眺めている。
「変わったにおいですね」
種市は無造作に文庫を一冊抜き取り(指の反り方がいやらしい、ということはおいといて)、鼻を近づけた。
物珍しそうにしているあたり、もしかしたら来るのは初めてなんだろうか?
種市がぴったりと後ろをついてくる姿を異様に思ったのか、店員がこちらを盗み見る視線を感じた。気にしないふりをして、買い取りカウンターに向かった。
「田原唯さんが嫌がることってなんですか?」
店員に本を差し出そうとするおれの耳元で、種市が囁いた。
「は?」
おい、冗談だろ?
さっきその、嫌がることの最上級を食らわせたはずだ。
「こちら一点でよろしいですか?」
本を差し出したまま固まるおれに、苦笑いを浮かべる店員。
おれが小さく頷くと、店員は買取が混み合っているからしばらく時間がかかると告げた。
たった一冊なんだからこれだけさっとやってくれ、とも思うが、融通なんて利かせはじめたらきりがないのだろう。
おれは笑顔を作って、番号札を受け取った。
人けの少ない、店の奥の100円の古本コーナーに向かう。
種市はもちろんついてくる。
唯が嫌がること?
足りない、まだ足りないと、種市は復讐を貪っている。
満腹中枢が壊れているのだ。
「いい加減にしてくれ。さっきのでもう充分だろ」
「やめてください。その、もう充分協力はしただろ、みたいな態度は」
「……」
「だって、結局きみは復讐のアイデア出してないですよね?」
……いや、出してはいないけど。
「きみと田原唯さんは付き合っているんですよね。いつも、何をしているんですか?」
「ざっくりしてんな。何って。普通だよ」
「ふつう、何をするのか。私でも知っています」
種市の目が光る。使徒を捕食する、暴走した初号機だ。
おれのネクタイを掴む。
もう片方の手で、彼女自身の胸ポケットに入った携帯を取り出した。
「おい、勝手に」
種市はツーショットで自撮りをするように、右斜め上に携帯をかざした。
「田原さんの連絡先、後で教えてください」
そして、おれを正面から見下ろした。薄くて、皮の少しめくれた唇。
キスの写真を撮って、送ろうってのか?
思えば、相手を見上げてキスをするの初めてだ。
ブックオフで生まれたドラマは今までゼロ件。
ブックオフで始まった恋もきっとゼロ件。
「……」
種市がまとも?
今更、自分の考えを哂いたくなった。
彼女は確かに、飼いならされた獣じみたクラスメイトどもとは違う。
社会に歯向かうことを知っている、真っ当な人間だ。だが、決して人間がいいものだとは限らない。こんな風に誰かを傷つけるなら、人間なんかいなくなったっていいと思う。
そう思うのに、今、胸が高鳴って止まらなかった。
自分が好きな人が最低な人間で――。
そいつに迫られたとき、世界の常識さえあれば、きっぱりと払いのけるのだろうか。
だとしたら、おれは。
「ちょ、ちょっと待て」
――なんで、今なんだろう。
このままなら、キスできるかもしれないのに。それを遮る、唯が嫌がることのアイデアが浮かんでしまう。
唯に最大の屈辱を味あわせる方法。
けれど、口にしてはいけない。
いけない、のに。
鼓動が痛い。
狂おしい欲求。
おれの狂った、願い。
キス以上に、おれが求めていること。
「キスの写真なんかよりさ。おれのネクタイを種市がつけていたら、唯への何よりの嫌がらせになると思わないか?」
「……なるほど」
彼女はおれのネクタイを引っ張った。
おれは種市に気に入られたくてしょうがない、どこまでも小さな存在だ。
関わるものすべてを巻き込んで、こんな恋、叶わないって知っているのに、この瞬間、種市に一目置かれたいだけで、泥沼へとはまる。
今日のおれを支配していたのは、そんな些細な欲望だったんだ。
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