《5/安っぽいラブソングみたいなおれたち》

 白けた笑いの中、廊下に出ると、ロッカーの前で唯が息を殺してしゃがみこんでいた。

 おれのネクタイは外しておらず、手には唯自身のリボンタイが握られていた。

 そんなことくらいで泣くなよ、とはとても言えないから、そばにしゃがみこむ。

「柊羽……」

 唯がおれの胸に顔を押し付ける。

 ドラマで見たことがあるようなシーンだなと反射的に思い、避けたくなるがそういうわけもいかず、されるがままに受け止め、唯の頭をそっと撫でた。

「保健室、行こう。落ち着くまでゆっくりしてたらいいじゃんか。どうせ登校日だし」

 おれがゆっくりと手を引くと、彼女は俯いたまま頷き、立ち上がった。

 授業中で、僅かに教師の声が漏れる廊下を歩きながら、唯はおれに小声で訴えかける。

「柊羽はどうして、庇ってくれなかったの?」

「……唯のためだよ」

 嘘じゃない。

 あそこで割って入ろうものなら、種市の奇行(まともすぎる反応とも言えるが)はあんなものじゃすまなかったはずだ。

 おめでたいカップルが、マウンティングで彼氏のネクタイをする。笑われて当然の事実になぜか彼氏がいきり立ち、ナイトのごとく彼女を庇う。

 お前のことを一生守るから、なんて安っぽいラブソングのように。

 そんな茶番を繰り広げようものなら、種市以外の生徒だってげらげらと笑い出したかもしれない。

「うちのため? 何がうちのためなの?」

 何が?

 何がって、何が?

 唯の質問の意図はわかるけどわからない。

 鼻息荒く彼女を守ろうとするなんて笑いものになることは必至だ。それを怖がること自体、彼女にとっては意味不明なのだろう。

「種市はおかしいんだ。刺激しない方がいい」

 おれは正論めいたことを言い、どうにか唯を落ち着かせようとした。

「嘘じゃん。柊羽、種市さんのこと好きだったって聞いたよ」

「……誰から?」

 笑顔。

 笑顔。

 笑顔。

 いやね、どう考えたって顔が強張っているのは自分でもわかる。どうしてそんな面倒くさい話を誰がしたのか、そんな話をどうして信じるのか。

「……」

 言えない、ということだろうか。どうして今更、唯の耳に入ったのか。

 もしかしたらまったくのでっち上げで、彼女が思ったことを、伝聞を装って伝えたのかもしれない。

 ようやくおれは、唯の笑顔を守りたいと願うロボットに

 嘘じゃない。大切なのも唯だけ。唯が一番好きかどうかとは、また別のはなしで。

 気まずい沈黙の中、保健室の戸をノックしかけたところで、思い留まる。

「柊羽?」

「このまま、学校さぼってどっか行くか」

 おれも唯も、今まで推薦を取るためとあって欠席も早退もほとんどしたことがない。

 一日くらい、早退する日があったって今更内申にも響かないはずだ。

「お母さん、帰りは迎えに来るんだろ?」

「……たぶん」

 今朝は唯と一緒に登校していたが、日頃からずっとそうしているわけではない。唯の両親は過保護だから、基本的に唯を車で送り迎えしていた。

 しかし今日は、おれと登校するために『行きだけでも』と両親を説得したらしかった。

 おれのネクタイをして、登校したいというただそれだけのために。

 なんともいじらしい話じゃないか。

「おれが一緒だから迎えはいらないって、連絡しておけよ」

 おれが微笑みかけると、唯は「……ありがと」と、弾む声で返事をした。

「たぶんね、今の、柊羽が思ってるよりうれしい言葉だよ」

 彼女は言いながら、保健室のドアをノックした。

「でも、サボってる柊羽は見たくない。真面目で優しいとこが好きなんだもん。だから気持ちだけ」

 真面目で優しい。

 そんな勘違いを1秒でも延長してやりたい気分になった。

 おれは彼女の肩を軽くポンと叩き、手を振って教室に戻った。

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