《3/マウンティングを切り裂く槍》

 おめでたいおれたちは、クラスの厚意で今日もおめでたくいられる。

 教室に入るなり、まず種市の席を確認し、胸をなでおろす。

 よし、いない。彼女は元々、学校を休みがちだった。理由は大抵、「病欠」となっているが、信じているやつは誰もいない。

 キャラクターによっては、エンコーじゃないかと無責任な噂が飛び交うこともあろうが、種市に限っては結びつかないようだ。

 まぁ理由は何であれ、夏休みの登校日なんて来ることはないだろう。

 クラスメイトの長谷川ひなこが唯のネクタイに気付き、にやにやと近づいてきた。

「アピールエグいなー、唯!」

 長谷川は言いながら、頬にかかった髪を眼鏡のつるにしまい直した。

 おれはどうにも長谷川が苦手だった。

 いや、空気も適度に読みつつほどよい毒を吐くところとか、なかなかの気遣い屋だとは思うのだけれど。

 とにかく。とにかくだ。

 常に髪を眼鏡のの内側にしまおう、しまおうとなぜそこまで必死なのかと気味が悪くなってきて、得体のしれない宇宙人のように思えてしまう。

 どんなに可愛くても絶対に好きになれない。

「え?」

 唯は素知らぬ顔で、何のことかわからない、という返事をした。

「いや、ドヤ顔すごいから。勘弁してよ」

 言葉は唯に向けられたものだが、ちらちらとおれの方を窺う視線を感じる。

「いや、おれも困ってんのよ」

 おれは長谷川に対し、おどけて皮肉な表情を作る。

「唯がかわいすぎて、でしょ。わかってるって」

 おれは適当に笑顔を返し、自分の席に座ってあくびをかみ殺した。ちらちらと男友達と目が合うが、誰にも話しかけられたくなくて、突っ伏して寝たふりをする。

 いつも唯とふざけ合っている長谷川が空気を和らげるように茶化したからか、他の女子からも温かさの混ざった揶揄が飛び交った。

 何よりつらいのは、どこかでおれもその羨望や、イケてる女子グループに属する唯が彼女なんだと見せびらかすことに、愉悦を感じてしまったことに他ならない。

 おれは平凡な人間だと、温ぬるい空気が教えてくれたのだ。

 ただ、もちろんよく思わない人間だって山ほどいるのもはっきりと感じる。

 おれの脇の女子のグループがごく小さな声で、「完全にマウンティングじゃね」と嘲笑ったのが聞こえた。

 マウンティング。

 哺乳類が群れの中で優位を示すため、従わせたい相手に跨る行為だ。

 こんな言葉が一般の高校生にまで浸透したのも、おめでたさの些細な弊害なのだ。

 至るところでマウンティングが行われているのは、手を取り合って生きる必要のない世の中だからだろうかね?

「堕落」などしなくてもいい、平穏さの象徴だ。

「そもそも」

 その女子たちは言う。(誰が何を言っているのかさえわからないくらい、皆が同じ調子だ)

「ネクタイってさ、そもそも社会に隷属(こんな言葉、誰が使うんだよ?)してることを象徴してるんだよ。レジメンタルはそもそも軍隊の所属を表してるんだから。そんな風に浮かれてるのって、そもそもどうなの? そもそも」

 うんちくをかまし、そう嘲笑うのだ。おれはそんな「そもそも論」が嫌いなわけで。

 そもそもクリスマスってさ、ハロウィンってさ、バレンタインってさ……という具合で。

 そんなことを言うなら、そもそもお前はそんなことを言うためにここにいるのか?

 そもそも「堕落」とはなんだったのか――そんなおめでたいことに拘っているおれが言えたことではないが。

 ただ、もちろんそれをこちらに直接伝えることはない。

 おれたちは関係の中でしか生きられないことを、みんなわかっている。

 自分の保身のためなら、こんな馬鹿馬鹿しいことにだって寛容でいられるのだ。陰口というガス抜きさえあれば。

「けひっ」

 教室中がざわついているはずなのに、たった一つの笑いに視線が集まる。

 え、種市いるじゃん。

 なんだよ、すぐに休むくせになんで今日に限って。

 彼女の席を盗み見ると、唯を見てにやついているのがはっきりとわかった。

 種市もまた、恋人がいるアピール、マウンティングのネクタイを嘲笑ったのだろう。

 それも、かつて自分に告白をしたおれのネクタイだと気付いているはずだ。種市じゃなくたって、滑稽だと思うのは無理はない。

 他の生徒と違うのは、生ぬるい視線をやるのでもなく、陰湿な侮蔑でもなく、純粋に楽しそうに悪意をばらまいていることだった。

 枝のような細長い脚を窮屈そうに屈め、椅子の上に小さく座っている。

 節っぽい指でペンを持ち、机を叩く。乾いた「トトトトトトト」という音が妙にはっきりと響く。

 下らないことやってんじゃねぇよ、と言うよりもわかりやすい圧力。

「柊羽。また『初号機』こっち見てるよ」

 唯がおれに助けを求めるように近寄り、種市に見えないように顔をしかめた。

 種市のあだ名は『初号機』ですっかり定着している。陰のあだ名で呼ぶことで、堂々と悪口が言えるというのもあるかもしれない。

「気にするなって。あんま見てると『ロンギヌス』飛んでくるぞ」と、おれは種市が持つペンを一瞥した。

 ロンギヌスの槍。宇宙の使徒を貫く。

 使徒たちがこの日本にきたとき、自分たちを殲滅する作戦が繰り広げられていることを悟ったとき、一体どう思ったのだろう?

「うわ、こっわ」

 唯はおれの冗談に頬を緩める。面白かったからではなく、敵対する種市の悪口をおれが言ったことに満足したのだろう。

 種市は唯に危害を加えることはしなかったが、唯がはしゃいだりテンションが上がると、水を差すように挑発的な笑い声を度々あげていた。

 唯も種市を相手にすると面倒だとわかっているのだろう、おれに多少愚痴を言うくらいで、基本的には我慢しようとしているようだった。唯のなかでは、フラストレーションがたまり続けているに違いない。

 卒業までもう少しだ。

 おれは唯のストレスをいつも押し込め、その場しのぎで誤魔化すことばかり考えていた。

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