1270話 政孝と政宗
室町新御所 一色政孝
1598年夏
俺が別室でぐったりとしていると、誰かが部屋へと駆け寄って来る足音が聞こえた。入り口付近で俺の様子を見ていた定次殿が音の主を見て、慌てて頭を下げるものであるからいったい誰がやってきたのかと思えば、である。
「政孝殿!」
「これは…。伊達様ではございませぬか」
「伊達様では、ではございませぬぞ!なにゆえ襲われたなどという一大事を、この政宗に報せてくださらなかったのか!?報せを聞いた伯母上など、卒倒してしまわれたというのに」
「それは悪いことをしてしまったな。阿南殿の様子は如何でありましょうか」
「政孝殿、この期に及んで何故そのように他人行儀に振舞われるのですか。我ら、何度も助け合った仲ではございませぬか。あ、いや…。助けられてばかりは我らでございましたか。しかし幕臣としての地位を持つ政孝殿は我ら大名家と同等でございますぞ」
肩をがしりと掴まれたゆえに、思わず「うっ」と息が漏れかけた。
しかし政宗が何も言わぬところを見ると、おそらく表情には出なかったのであろう。だがさすがに痛いものは痛い。
それとなく手を払い、俺は崩していた佇まいを改めた。立場云々では無く、他人様に見せられぬようなだらけ具合であったゆえ、これは普通に人としての礼儀として正しただけだ。
政宗の言うように幕臣の地位は役持ちでなくてもそれなりに高い。大名と同等かと言われると、さすがにそこまででは無い。それに政宗は現在陸奥国のほとんど全域を影響下に置いている大大名だ。さらに独自の外交ルートを持っていることからも、他の大名家に比べても少しばかり格が高い方に位置する。
そう気軽に「おぉ、政宗殿か」なんて肩を組んだ日にはどんな非難が待っているか。それこそアンチ勢力に叩くネタを与えてやるようなものである。
「外は私が見張っておりますゆえ、遠慮なく話してくだされ」
そう思っていたのだが、気を利かせてか定次殿が外に出て廊下の前に腰を下ろす影が見える。
ならば仕方ない。何やら話もあるようであるし、俺が一歩引いていては話がそもそも進まない。政宗も納得しないであろう。
「今だけであるからな、政宗殿」
「距離を置かれていたことが悲しゅうございました。政孝殿」
政宗もあの頃の可愛らしかった僕ちゃんではなくなっているのだ。そのような発言は誤解を与えるゆえにやめてほしいところではあるが…。そういえば阿南殿もそうであるが、伊達家の面々は人への好意を伝える時、随分と積極的かつ直接的である。
もはやそういう血筋なのやもしれぬ。
「それよりも政宗殿、何か用があって俺を探していたのではないのか?」
「そうでございました!襲われたと聞いていてもたってもいられず、侍所とは別に伊達の手の者を使って調べさせました。未だ逃亡した下手人が捕まっていないとか」
「そのことも知っていたのか。実はそうなのだ。当初は手の甲に傷のある者を探せばすぐに見つかるであろうと言われていたのだがな。京へ繋がる道に侍所からの人員を派遣し、外に出るものについては厳重なほどに確認をしてもらっていたようなのだが」
右の手の甲を指しながら説明する。政宗は頷きながらも、首を徐々に傾けていった。
「手の甲に傷のある者が外に出た形跡は無いと」
「早い段階で京の町から行ける山中の捜索も行われた。町や村などに人相書きを広め、見廻組なども潜伏していないかどうか調べたようなのだが」
「それでも成果が出なかったと。襲われた時期から考えても、おそらく傷は治ってしまっておりましょう」
「侍所でもそのように結論付けた。ゆえに出入りする者の人相のみを確認してくれているというが、ここまでくると外に逃げ出したりはしないと思う。政宗殿はどう思う」
「大方似たような考えでございます。ここまで隠れおおせていたのであれば、今さら外に出るようなこともしないかと。それよりもその下手人が黒幕かどうかという点について調べた方が、今後のためになるかと思いますが」
あまりにも自信たっぷりに言うゆえに、それを伝えにわざわざ俺のもとにやってきたのだと悟った。
わずかばかりに膝を政宗の方へと摺り寄せれば、政宗も意図を察して身を低く下げて頭を寄せ合うような形になる。
「して?」
「本当の黒幕かどうかはわかりませぬ。ただここ最近、京で噂されていた怪しげな者たちの情報についてかき集めたところ、異国の者たちと密会する者たちがいると」
「異国、な」
「宣教師の黒装束では無かったようでございますが脱げばそのようなものはなんとでもなりましょう。それにあの装束は目立ちますゆえ」
「怪しげな者たちと密談するのであれば、そのように目立つ格好は避けるであろうな」
政宗は頷き、そして外に一瞬目を向けた。
「安心せよ。たしかに定次殿は布教禁止令の反対派筆頭ではあったが、今ではその立場も捨てている」
「捨てさせられたが正解でございましょう」
「なんだ、そこまで知っていたのか」
情報収集能力について、思わず感嘆の声を上げる。
すると政宗は誇ったような表情で自慢げに笑う。
「伊達の山科屋敷には京に関連する情報を広く集めるようにと命じております。我ら伊達家は京から最も遠く離れた地より馳せ参じる身でございますゆえ、どうしても京やその周辺の情勢に疎くなってしまいます。無知は御所内で行われる評議において数歩どころの出遅れではございませぬゆえ」
「なるほどな。さすが政宗殿だ」
しかしそれだけ情報に重点を置いているのであれば、俺が襲撃されたことを知らなかったというのはおかしな話である。
真っ先に知りえる情報でありそうなのだがな。
「…他の大名が絡む話はさすがに。島津と政孝殿は因縁もございますゆえ、あまり深入りすべきでは無いと伯母上に反対されまして」
「そういうことか。いや、阿南殿のことを考えればその日の内に知られなくてよかったのやもしれぬ。数日は目が覚めていなかったゆえ、それこそ死んだと勘違いされたやもしれぬでな」
俺は笑って見せたのだが、政宗は一切笑わなかった。ずっと真剣な面持ちで俺を見ている。
「政孝殿、そろそろ御身を大事にしてくだされ。政孝殿は誰よりも働いて来られました。非業の死など誰よりも似合いませぬ」
「自身のことであるとはいえ、俺に恩を感じてくれている政宗殿の前で死を茶化すような物言いは悪かったと思っている。しかし非業の死はおそらくこの京にいる誰よりも俺こそが似合っている。間違いなく、な」
今度はおふざけなど一切含まなかった。
心の底から、それだけは間違いないと言い切ることが出来る。そもそもあの信長が畳の上で大往生したのだ。ならばなおさらその運命が俺に移った可能性は高い。
そうなるだけの行いはしてきたと自覚しているゆえに。
「そのようなことを言わないでくだされ。少なくとも我らは微塵も思っておりませぬ。もし幕臣という地位がその命を脅かしているというのであれば、あとは我らに任せて余生を過ごしていただきたいとすら考えているほどでございます。さすがにそれに政孝殿が頷かれるとも思っておりませぬが…」
「よくわかっているではないか。まぁそれはよいのだ。先ほどの怪しげな異国人の密談について、侍所に報告を上げたのか?」
「すでに赤松殿には話が通っているかと。しかしこれもそれなりに前の話。未だ何の進展も無いところを見ると、おそらく手掛かりという手がかりも得られなかったのかと思われます」
「仕方あるまいな。侍所は随分と俺のために動いてくれている。京の治安も守らねばならぬのだから、これ以上の無茶は言えぬわ」
しかし俺が襲われた原因がいくつか思いつく中で、異国絡みである可能性が大幅に高まったというのは一つの成果であろう。
恨まれる覚えがあるということは、それだけ色々な派閥から命を狙われている可能性があるということ。いったい何絡みかすら分からなかったゆえに、これが仮に事実であったとするならばやはり布教禁止令に関しての恨みのはずだ。
「ただ随分と嫌われてしまったものであるな」
「元々そういった御方であると理解しております。今さらその嫌われっぷりに驚きなどいたしませぬが、それでも命だけは大事にしてくだされ。伯母上に今は無理をさせられぬと見舞いをやめさせる身にもなっていただきたいのでございます」
「それは悪いことをした。しかし良き判断でもあるな。あれほどまでにやせこけた姿を見せては、また卒倒してしまうやもしれぬ」
阿南殿にはまた改めて詫びをしなければならぬな。先日、山科の屋敷で政宗と顔を合わせた際に言葉をいくらか交わしたが、それ以降は何のかかわりも無かったゆえに。
「…政孝殿、いっそのこと伯母上を傍においてはくださりませぬか。もはやあの男のことなど誰も覚えておりませぬ。二階堂の家も倅らが立派についでおりますゆえ、我ら伊達家に対する配慮は不要でございますぞ」
「そうは言ってもな」
これまで世間体がどうだと、一線だけは守ってきた。初めて政宗にこの件を言及されたような気がするが、阿南殿は果たして何と言うであろうか。
老後の余生として想い合う者同士が一緒にいることは決して悪いことではない、はずだ。久や菊がよいといえば、それもまた一つの選択肢やもしれぬな。
「…わかった。考えておく」
「その言葉を聞けて安心いたしました。我らは引き続き下手人の裏にいる者について探りを入れます。今後はより頻繁に報せを入れますゆえ、その際はどうかよろしくお願いいたします」
それだけ言った政宗は出て行った。
「進展でございますな」
「聞こえておりましたか」
「えぇ。それよりも普段は伊達様とあのように話されるのでございますね。さすがはあのような場を設けてしまわれた御方だ」
しっかり聞かれているではないか。そういえば政宗も俺も、途中から普通の声量で話していたな。ついついであるが、外に定次殿がいなければすべてが筒抜けになっていた。
危ないところである。
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