1049話 淡海遊覧、再び
伏見今川屋敷 一色政孝
1591年夏
「京都見廻組の活躍は目覚ましいものでございますね」
「たしかに。しかし公然と武力を行使できる組織は忌み嫌われることも事実。汚れ役を誰かがやってくれねばならぬことを誰もが分かっていながら、そこから目を背けているのでございましょう」
第一次の応募により、とりあえずの形で結成された京都見廻組。
すでに侍所の指揮の下で活動を開始し、京の治安維持に乗り出している。主な任務はほとんど地域のお巡りさんのようなものなのだが、やはり怖い集団というイメージは京の民に持たれている節がある。
そりゃ武力行使は当然のように行われるし、むしろ血に飢えたような連中だって多いゆえだ。嬉々として刀を抜き、治安を乱すものを容赦なく取り締まるゆえ仕方が無いのだがな。
「まぁ近く堺に造貨所が開かれますので、よからぬことを考える連中が増えることが予想される今であれば少しくらい怖がられてもよいとは思いますが」
「それはたしかにそうでございますが…」
幽斎殿の頭によぎるのは間違いなく新免父子であろう。親子で手合わせしたこともあるゆえ、やはりその後が気になるようで、悪評が聞こえるたびにこうして気をもんでいるのだ。
まぁすべての民から恐れられているわけでは無いのだがな。歓迎する声はやはり多い。
それは牢人の流入で治安悪化を肌で感じていた層なわけであるが、そういった者たちからすれば京都見廻組はまさにヒーローである。
「いずれにせよ、そう簡単に倒れるようなものではございますまい」
まぁ断言も出来ないものであるがな。
特に最近は幕府の動向に関して、朝廷を蔑ろにしているのではないかという不穏な思想を持つ連中もいるという。
間違いなく公家諸法度による公家への制限と、処罰の決定権の一部を公方様が持っているからなのであろうが、やはりこれもどこかに煽る連中がいるのであろう。
今では荒ぶる牢人の一部が公家に仕えているという話もよく聞こえてくるゆえ、余計に京都見廻組の仕事が増えるのだ。いよいよ新選組のような存在になり始めたわけである。
「ただまぁそこまで気になるのであれば、別のことを考えて気を落ち着かせますか?」
「…別のこと、でございますか」
「えぇ。幸いにして、今は倅が屋敷に留まっておりますし、少しくらい留守役である私や幽斎殿が屋敷を空けても問題ありますまい」
「留守役の役目を口にしたうえで屋敷を空けるとなりますと、京の外に出るということでございますか?」
「その通り。春も過ぎ、気温も高まってきた今だからこそ淡海見物でも如何でしょう」
前回の淡海見物は正直かなり寒かった。
時期も時期であったゆえ仕方がない部分もあったが、ともに船に乗っておられた義種様は見事に風邪をひかれてしまったゆえ、実際相当に身体が冷やされたものである。
しかし今であれば問題など無い。
1つ懸念するとすれば、梅雨の時期が近付いているということ。だがまぁそれは数日の休暇の中から適当な日を選べば問題ないはずで。
「淡海。つまり近江でございますか」
「えぇ。実は2年前の比叡山の調査の際によき縁を得まして。淡海の遊覧もよいものだと知ったのでございます。大洋と違って潮の流れなど無く、非常にゆったりとした時間が過ごせます。しかし経済活動が活発な同地でございますので、我らのような者は英気を養うことも出来る。邪念を払うにはちょうど良いかと」
「…公方様にお許しを得て、屋敷ですべき役目の引継ぎをして、諸々すべきことがございましょうが、出来る限り早く行けるように手配いたします。近江には幕臣であったころに何度も通ったものでございますが、そのようなゆったりとした時間を過ごしたことなどありませんでしたので。今回お誘いいただき、非常に楽しみでございます」
了承してもらったことで、俺も諸々の手配をする必要がある。
まずは山科に屋敷を持つ飛鳥屋に人をやる必要があった。数日滞在し、天候を見極めるなら飛鳥屋の屋敷以上の適任は無い。
それに敵の多い俺であるからこそ、下手な場所に寝泊まりなど出来ないのだ。信頼できる者のところでなければ困る。その点で言えばすべての面倒事をクリアできる飛鳥屋の存在は非常に助かるもの。数日の猶予が出来たため、飛鳥屋の主人である宗仁からも返事を得ることが出来るであろう。
「淡海遊覧…」
そもそも幽斎殿が近江に通っていたのは六角家が健在であった頃の話。もはやその姿形すら消えてしまったことを考えれば、本当に久方ぶりの近江訪問になると思われる。
もちろん一色家のもとに預かっていた後に一度流浪の身になったことがあったゆえ、その時期に近江入りしたことはあるやもしれぬが、目的を考えれば決してゆっくりなどしておられなかったはずであるし、今川家へ仕官して以降はずっと信濃におられたゆえ、近江入りなどしている暇が無かった。
言葉の端々から喜びの感情が読み取れるのは、やはり幕臣時代というもはや何十年も前のことではあるが、思い入れがあるということなのであろうな。
「ではさっそく手配してまいります。公方様には改めてお時間を頂き―――」
態度は落ち着いているが、その凄まじい手配のスピード感から見てもよほど楽しみであるらしい。
俺もさっそく如信に屋敷を出る用意をさせる。
何が必要かと言えばやはり馬車だ。もはや馬には乗れぬ身体であるゆえ、遠出する際の必須品である。それゆえに外出のハードルがグッと上がっているのが厄介な点であろうか。
そんなことを考えていると、おそらく如信から話を聞いたであろう政豊が鶴殿を伴って顔を出した。
「父上、先ほど如信より聞きました。近江に向かわれるようで」
「耳が早いな。少しばかり気分転換よ。幽斎殿が京都見廻組の二番隊を預かる新免殿を気にしておられたでな」
「屋敷で手合わせしたという新免殿でございますね。いや、たしかに彼らの活躍は凄まじいものでございますが、これの結成に父上が噛んでいるという噂が出回っております。それゆえ“また”敵が増えました」
「…それは初耳だ。そもそも彼の組織の結成に関して、俺の関与などほとんどないはずなのだがな」
「巻き込みたい勢力がいるのでございましょう。実際あの者たちを敵視する者たちもおります。そして敵視している者たちは戦い慣れた者たちが大半。元は大名家に仕えていた牢人でございますので当然のことではございますが。それゆえ屋敷の警備を強化するように殿よりお達しがあったほどでございます。屋敷の警固の人数を増やすため、駿河より人員が送り込まれている最中に近江入りは些か」
決して口にはしないが、鶴殿も背後から心配そうに俺を見ておられた。
すでに俺が厄介ごとに巻き込まれる体質であることを目の前で見ておられるゆえであろうか。
しかし政豊をたてるためなのか、あのときのやんちゃさは見事なまでに隠れている。これは相当に実家かその上から釘を刺されたのであろう。
ちなみになのだが、菊と美和は水軍衆らとともに小山の屋敷に戻った。美和の嫁入り適齢期になれば盛大に京入りを果たすという約束で、今は両家しかしらぬ協力関係を密かに結んだ状態。
後々の身内のため、何か面倒な火の粉が降りかかれば互いに協力して振り払う。そういった約束を取り決めたわけだ。
話を戻すがようは2人とも俺の身を案じてくれていた。
だがそのようなことを言い始めると、俺はこの先ずっと屋敷に閉じこもる必要がある。そのようなつまらぬ余生は送りたくない故、多少は危険を冒す覚悟も持っているわけだ。
湖上であれば襲撃の手段も限られている上に、見通しのよいかの場所での襲撃難易度はグッと上がる。まぁ襲われてしまえば、死ぬ可能性が高まるわけだが。
その辺りはもちろんこちらで手を打っておくゆえ、今回は幽斎殿の息抜きを優先させてもらうとしよう。
「牢人連中から恨まれているという話は初耳であったが、護衛に関してはそう心配せずともよい。こうして多数の敵を抱えて何年経つと思っているのだ。そのあたりの知識も多数ついたゆえ、十分に気をつける」
「…言い出した父上は、私が何を言うても折れませんので」
「はぁ」とわざとらしいため息を吐いた政豊であったが、突如としてグッと視線を上げ、俺と目を合わせた。
「であるならばせめて護衛として片時も傍から離さない存在として直政をお連れください。最近は政務にも慣れ、役目の合間には武の修練を再開するまでになっております。如信や慶次を信じていないわけではございませんが、父上に対する忠義心で直政に勝るものは絶対におりませんので。何かあっても直政であれば傍を離れることはございますまい」
まぁ如信は離れぬであろうが、直政がいればなおさら心強い。それに護衛対象が俺だけでないことを思えば、信頼して傍における者がもう1人いるということは心強いものである。
問題は直政の大井川領復帰が遅れるということ。最近子が生まれたというのに、会えないというつらさを俺は痛いほど知っている。
まぁ出産には立ち会えた点で言えば俺より幾分も幸せなことであるがな。
「…まことに大丈夫であろうな」
「手を抜く男でないことは父上が最も知っておられるはず。直政も喜んで付いていくことでございましょう」
「まぁそれはそうか。ならば直政も同行させるとしよう。それと俺が留守の間にすべきことを引き継いでおく必要があるゆえ、夕餉の後にもう一度ここに来てくれるか」
「かしこまりました。では我らは一度失礼いたします」
そういって2人は部屋から出て行った。
さて、ではさっそく引継ぎの準備をするとしよう。
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