969話 秘密の共有者

 指月伏見城 一色政孝


 1589年夏


「政孝、父上との約束に従い例の約束を果たして貰いたい」

「かしこまりました。ですが信秀様にとって帰蝶様は血が繋がらずとも育ての親にあたる御方。まことに当事者抜きで交わされた約束を実行に移してもよろしいのでございましょうか?」


 信長亡き指月伏見城の主は、侍従織田信秀様である。

 信長の父親と同じ名前であるが、こちらは信長の六子だ。また信長に従って、長らく伏見で育ってきたため、公家との交友関係が相当に広い。

 侍従に叙任されたのは、親しい公家からの推挙があったという話も聞いている。

 生母は織田家中の者の娘であったらしいが、その者は早くに死去。子がおられなかった帰蝶様が育ての親として養育してきたとのこと。

 こうして伏見の後継者として指名されたとなれば、実力もあるのであろう。それはここまで会話した中で見た所作1つ1つからも感じ取れる。また熱心な切支丹でもあり、伏見での宣教師保護は信秀様が率先して行われていた。

 中でも南蛮寺・コレジオ・セミナリオなどの建設を推進したことで、伏見は織田領内で最も活気のある異国情緒溢れる都市へと変貌している。

 まぁそれでも元々今川・織田が定めた布教活動の制限を課した上でのものではある。

 ただ港町でもない伏見を、宣教活動の許可地としたのは異例中の異例とも言えるが。


「構わぬ。私は父上の死を隠すために、変わらず伏見を統治しなければならない。養母様が己に傷をつけられたとしても、それに気づけぬやもしれぬ。もし手遅れになったとなれば、きっと父上は私を呪い殺そうと夜な夜な枕元に立つことであろう。それだけはなんとしても避けなければならない。それに1つ気になることもあるわけだが・・・。これはまた後でも良かろう」


 何やら意味ありげな言葉を残されたが、今はそれ以上言及されないようである。

 しかし信長が夜な夜な枕元に立っている。想像しただけでも恐ろしい光景だ。


「・・・一概に冗談と笑い飛ばせぬところがなんとも」

「決して冗談で言うたわけでは無い。それに父上の話は抜きにしても、養母様は母亡き私をここまで育ててくださった恩人である。死なせるわけにはいかぬ。せめて尾張で行う葬儀までは今川屋敷で預かってもらいたいのだ」


 信長は遺言で葬儀は尾張の萬松寺であげるようにと残しているらしい。ここは織田家の菩提寺であり、うつけと言われていた頃の信長が父信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつけた事件でも有名である。

 葬儀の際は参列を強制せず、自主的に参列の意思がある者だけを集めて行うようにというのが信長の要求であったらしい。

 それでも多くの人が参列することにはなると思うがな。


「葬儀はいつ頃になりそうでございますか?」

「わからぬ。しかし殿が戻られてからになるであろう。それは確実であるゆえ、全ては奥羽での戦次第とも言える」

「なるほど。そうなると少し長めに見ておかねばならぬやもしれませぬ」

「本当は私も兵を率いて行きたいところであるが、私が伏見を離れればもぬけの殻となってしまう。最近は京も物騒であるから、目を光らせておく必要もある。祈りの時間すらも取れず困ってしまうわ」


 ため息をつかれた信秀様の首元にはキラリと光る十字架のペンダントが見えた。

 大切に扱われているのか、くすみはほとんど無いようである。


「それでさきの話、引き受けてくれるであろうか。養母様にはすでにお伝えしているが、あまり乗り気では無いようであった。それも当然であろうが、決して私は養母様を織田家から追い出そうとしているわけでは無いということを何度もお伝えしている」

「聞き入れてはいただけぬということでございますか?」

「頷かれはした。しかしそれは私が困り果てることを避けるためであると思われる。本当は父上と過ごした時間の詰まった伏見の屋敷を離れることを惜しんでおられるのであろう。もちろん、そのお気持ちは痛いほどに分かる」

「なるほど・・・」


 当然であるがこの話はすでに久たちにもしている。いきなり今川の屋敷でお預かりするわけにもいかぬで当たり前である。

 そして側には似たような経験をしている虎上をつけるつもりであった。

 しかし今の話を聞いていると、どうにも重荷であるように思える。信長の遺言の1つであるから、俺としては叶えてやりたいとは思うのだが、それはあくまで俺のエゴであって、帰蝶様の意思はまるっきりの無視。

 信秀様の表情が暗いことも当然であった。


「それと養母様がいきなり今川の屋敷に滞在しては、周囲に父上の死を予感させかねん。そこでいつも通り、父上が政孝の顔を見に行くという体で人を揃えて2人で入っていただく。その後、養母様のみを残して馬車で1人で帰ってきていただこうと思っているのだ」

「1人で?信秀様が信長様に扮するということでございましょうか?」

「まさか。私は亡き母上の血を強く引き継ぎ過ぎたのか、父上とはまったく顔が似ておらぬ。ふとしたことで私が父上でないことが周囲に漏れてしまう危険もある。こうなると、もう父上の死を隠し通すことも出来なくなるであろう」

「ならば信長様にそっくりな影武者を用意するということでございますか?」

「まぁ、正しいと言えば正しいか。そこは適任がおられるのでな」


 そういって信秀様はスッと視線を奥の襖へと向けられた。

 待っていたと言わんばかりに襖がガタンと音を立てて開け放たれる。そこに立っておられたのは、収集癖という俺と共通の癖を持つ織田一門の変わり者。魯鈍こと織田信照様の姿が。

 手や首には異国のものらしい装飾品が飾られており、顔にはわずかばかりに不満感が漂っている。


「信秀!叔父に対してこのような乱暴な仕打ち、決して許されるものでは・・・」


 そういって信秀様に詰め寄ろうとされた信照様であったが、その最中に俺と目が合って急な方向転換を決められた。


「おぉ!政孝ではないか!?おぬし、足を怪我したと聞いたが出歩けるまでに回復したのか!」


 両肩を掴まれてガクンガクンと振り回される。もう五十路に近い者のテンションだとは思えないのだが、心配してくださっていたことは凄まじいほどに伝わってきた。


「よき医者と薬師が診てくれておりますので。もう弾を受けた足はまともに動きませぬが、出歩くことくらいであれば多少は」

「そ、そうであったか。いやはや、おぬしが襲撃されたという話を聞いたときは肝を冷やしたものであったが、こうして無事な姿を見ることができて一安心よ」


 ジャラジャラと金属が擦れる音が耳元で鳴り響く。

 相変わらず外からの交易品には目がないようで、信照様も特におかわりがないようであった。


「ところで例の影武者とは」

「うむ。叔父上には父上に扮して今川屋敷に入っていただこうと思っている。そこでおぬしと世間話をしてもらい、適度な滞在の後に戻ってきていただく。その際に養母様を今川屋敷で預かって貰おうと、そういうことである」

「兄上の遺言は聞いた。俺も政孝であれば安心できると思うが、しかし帰蝶様のことを思えば伏見の屋敷に残すべきではないのか?」


 信照様の疑問は尤ものものである。

 俺としても信長亡き後、誰も頼ることが出来ないような状況になるのであればと引き受けたが、今の状況を見れば決して心配するようなこともないように思える。

 幸いにも頼りになる子息もおり、織田の一門・家臣の大半が奥羽に向かっている現状でも安心できそうなものであると。

 しかし信長も、そして信秀様も保護を求められた。


「叔父上は尾張に籠もっておられるゆえにご存じないのやもしれませぬが、父上亡き織田家の舵取りを誰がするかで揉めるのは必至でございます。特に殿の側に誰が付き従うのか、これは我ら兄弟、そして叔父上方の今後を大きく左右することになりましょう。全ては紀伊・伊勢木材の着服事件が発端なのでございます。最も織田一門筆頭に近いと言われていた伊勢の兄上方が評価を著しく落とされましたので」

「他の一門がその座を目指して内輪もめを始めると?」

「目論む御方がいるかどうかはわかりませぬが、利用される危険はございます。そして養母様は殿の養母様でもあり、その立場が利用される危険は大いにあり得ます。一門の大半すら知らぬ父上の死を叔父上にお伝えしたのは、そういった話に興味を示されぬゆえのこと。どうか、ともに養母様を家中の争いから離脱させて欲しいのでございます」


 たしかに信照様は自身の趣味に没頭するばかりで、出世話には無縁の生活を送られている。

 あくまでコレクション中心に世界が回っているため、末森城に仕えていた者達が信長に没収されてもさほどダメージを受けてはおられなかった。

 また摂津衆による信長襲撃事件。あれだって影武者としてじゅうぶんに役目を果たされたというのに、褒美という褒美はあまり無かったはず。むしろ京の馬揃えをサボったことで褒美が相殺されたほどであった。

 だからこそ信秀様は信照様を巻き込まれたのであろう。


「正直に申しますと、今織田家が揺らげば宮中にある反武家勢力が増長しかねません。もし帰蝶様が納得されるのであれば、私は喜んで受け入れましょう。ここで改めてそのようにお伝えいたします」

「・・・俺も政孝と同様だ。まさか俺が尾張に籠もっている間にそのようなことになっていたとは驚きであるが」

「私とて同じでございます。どうやら喜んで煽り立てている者がいるようで、急ぎその者達の身元を探らせております。この話、判明すれば共有させていただきたいと思うのですが」


 信秀様の問いかけは俺に対してでは無い。少なくとも俺には必ず共有すると言われているのだ。

 なぜならばこの動きが俺の襲撃と絡む可能性があるからである。

 一方で信照様はあくまで巻き込まれたような立場だ。他の一門同様に、何も知らずに信長の葬儀を迎える可能性もあったわけだから、これから巻き込むことになっても良いかという形式上の問いかけ。


「普段であれば、京の馬揃えの時と同様に断るのだがな。此度はそうも言っていられぬ。織田家がなくなれば、俺も放蕩三昧ではいられぬであろうからな」


 ここに秘密の共有者が突如として誕生した。

 まことに帰蝶様を巻き込む内輪もめが起こるのかは分からぬが、少なくとも織田家中も火種を抱えることにはなりそうだ。

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