960話 唆した者

 伏見今川屋敷 一色政孝


 1589年夏


「今日は晴れか。堺も晴れているであろうかな」

「西の空を見ても、雲1つございませんでした。おそらく晴れているものと思われます」


 昌友は屋根の向こうに見える空を見上げながらそう教えてくれた。

 なぜ俺が天気を気にしているのかと言えば、今日は公方様が堺へと出ておられるからである。

 というのも、今日堺の港に西国の大名らが奥羽へと送り込む追加の部隊が到着する。

 所謂大浦討伐隊だ。

 その激励のために公方様自らが足を運ばれた。これは一種の誠意である。

 最後の戦と銘打ったにも関わらず、一揆の鎮圧が最後とならなかったゆえに。ただ幕府としては大浦の討伐も一揆に連なる挙兵として定めているため、表面上は公方様はまだ約束を違えておられぬことになっている。

 あまりにも長い出兵となってしまってはいるがな。


「それはよかった。公方様も長らく御所にこもり続けておられたゆえ、これが息抜きになればよいのだがな」

「そう願うばかりでございます。ところで慶次殿は?」

「慶次も堺だ。公方様の身に何かあってはかなわぬでな」


 まぁ慶次にとって、俺が下した命は渡りに船と言うべきであったのやもしれん。定期的に堺に顔を出したがるゆえ、こうして俺の命で向かえることを喜んでいるはずだ。

 ちなみに最近知ったことなのだが、慶次にはちゃんと子どもも妻もいる。

 織田家を出奔する直前に、信頼出来るところに逃がしたのだそうだ。また迎えにいくつもりであったらしいが、信長の暗殺に失敗した今、なんとなく迎えに行くタイミングを逃し続けているようだ。

 俺は重治のときのように、今からでも迎えに行ってやればよいのにと言っているのだが、なぜか頑なに拒否している。

 罪悪感からくるものなのか、あるいは息子が逃亡先でそれなりの地位を得たからなのか。

 いずれにしても慶次はもう夫として、父としての顔を見せるつもりはないとのこと。

 随分と身勝手なものだとも思ったが、まぁ慶次らしいかといえばそうとも言える。

 ただひたすらに慶次の妻と子どもが可哀想だとは思うが。


「そういうことでございましたか。きっと今頃、どこかで遊び歩いているのでございましょうな」

「さすがに護衛くらいはやってくれると思うがな」


 公方様に何かあれば一大事である。

 一応義種様は義任様とともに御所に残っておられるが、まだ義種様には将軍という肩書きは荷が重かろう。

 そして義任様はきっと固辞されるはずだ。平島公方家はそういったもめ事に敏感であるからな。


「まぁおかげで今日は多くの方々が休みなわけであろう?昌友も含めて、久方ぶりにゆっくり出来るわけだ」

「実は長宗我部家の土居様に京の甘味巡りは如何かとお誘い頂いたのでございますが」

「清良殿からか?いったい何故昌友を・・・。いや、そういうことか」

「はい。土居様は熱心に領内の農事に取り組まれておりました。大井川近辺でも同様の動きをしておりましたので、おそらく興味を抱かれたのかと思います」

「ならば行っておくべきであろうな。何かよい収穫があるやもしれぬ」

「今さらありましょうか」

「語り合ってみなければわからぬであろう。それに他家の方々に力を認められる良い機会ではないか。長宗我部家は奥羽でも存在感を示している。そんな御家の人間に認められれば、今後やりやすくなるであろう」

「ならば行って参ります。長宗我部様の屋敷は少し遠いので、馬を使うことといたしましょう」

「護衛はつけておけよ。今は今川の人間というだけで襲われかねぬからな」

「かしこまりました」


 しかし昌友も屋敷を出るのか。

 俺は公方様が御所に不在だとしても、たいしてこれまでの日々と変わりがない。どう1日をすごそうかと考える。

 まぁいつも通り、明後日以降昌友に話させる諸々について考えるのでも良いのだがな。

 それか例の本の続きを読むのでもよい。まだまだ読了まで先は長いゆえ、勉学のためだと思えばあっと言う間に1日など過ぎていくことだろう。

 ・・・この違和感はなんであろうか。


「では私は支度のために」

「昌友、実は1つ気になることがあるのだが」

「気になることでございますか?神妙な顔つきで言われるということは、幕府絡みでございますか?」

「いや、どちらかと言えば朝廷絡みだ。俺は玄昭の言葉がずっと引っかかっていたのだがな」

「はぁ、興福寺の玄昭和尚でございますね。して、いったいどれが引っかかっておられたのでございますか?」


 昌友の言い方から分かるように、玄昭が俺の前で語った真実について、いくつも腑に落ちないことがあった。

 その中でも最も腑に落ちない、納得できないのが玄昭に接触したという高貴な御方とやらである。

 そもそも俺と親交のある公家衆の方であれば、わざわざ名を隠す必要など無い。さらに玄昭を介する必要も無い。

 官位や家格、どちらも俺より上なのだから強制的に巻き込めば良いのだ。

 しかし何故か回りくどい真似をして、興福寺を巻き込むようなやり方を選んでいる。これはどう考えてもおかしな動きなのだ。


「玄昭に接触したという高貴な御方。あれの目的について1つの仮説が浮かんだ」

「単にご隠居様の力を必要としたものではないと?」

「その可能性はもちろんある。しかし今の状況を鑑みれば他の可能性もあると思うのだ」


 俺が一度言葉を切ったことで、緊迫した空気がフッと解けたような感覚になる。思わず昌友が息を吐き、口元に手をやった。

 これは考えを巡らせる際の昌友の癖である。ちなみにそれを見てか俺もするようになったし、遺伝なのか昌成もよくやっていた。


「今の状況、そして向けられた先・・・。まさかご隠居様の目を背けさせるために、あえて玄昭和尚に接触したと考えておられるのでございますか!?」

「あぁ。今、急にその考えに至った。俺の暗殺に関与していると思われる鉢屋のならず者らに探りを入れていることが勘づかれたのやもしれぬ。そこでこちらの動きを鈍らせるため、早急に取り組むべき課題を与えた。さすれば黒幕捜しが疎かになると思われたのやもしれぬ」

「・・・実際黒幕捜しは難航している上に、ご隠居様の関心は興福寺の訴えへと移っておりました」

「もどかしい気持ちにさせられるわ。たとえこの仮説が正しかったとしても、玄昭は接触してきた者が誰であるのかを知らぬ。これでは何も進展が無い」

「随分と悪知恵に長けているのでございましょうか」

「公家の中でも政争にさらされて続けて、そういった方面の才を磨いた者はいるであろう。まんまと俺はその者に操られていた、かもしれない」

「まったくもってあちらが尻尾を出しませぬ。これではキリがありませぬ」


 大炊御門権大納言様は白だと断定できたわけであるが、以降ほとんど進展が無い。よりにもよって掴んだ情報が鉢屋の忍び衆の関与だけ。

 これは実質何も無いのと変わらない。というか情報を得ることが出来ない。

 せめて蒲生の方々が何か掴んでくれれば良いのだが、正直限度はあるだろうなと思っている。


「それで、いま思いついたことがある」

「・・・思いついたことでございますか?いつもご隠居様は突拍子も無いことを思いつかれますので、今回もあまり良い予感はしていないのでございますが」

「なに、そうおかしなことでは無い。近く例の三家についての沙汰が正式に帝より下されるという話だ。その前にこちらから接触してみようではないか。折角、官位という都合のよいものを授かったのだからな」


 そう言うと昌友は頭を抱えてしまった。

 だが俺は本気だ。

 もう忍びなどという姿や情報を上手く隠してしまう連中とじゃれ合っている時間など無い。

 仮にあの仮説が正しかったとすれば、奴らは間違いなく裏で動いているはずだ。それこそ武家の格を落とすために、信長の周辺を嗅ぎ回っているかもしれない。

 絶対に信長の死だけは利用させぬ。色々と託されたのだから当然のこと。

 手始めに四辻に行ってみよう。近衛様や万里小路様を頼っても良いが、今回は大炊御門様に話をつけて貰う。例の火縄銃騒ぎのこともあるゆえ、早々にそちらの問題も解決したいところであるしな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る