887話 一握り

 伏見今川屋敷 一色政孝


 1588年冬


「随分と京に長く滞在しておられるな、政孝殿」

「この足をみれば分かるであろう。まともに出歩くことすら出来ぬというのに、随分と遠い大井川領になどそう簡単に戻れぬわ」

「結果として奥方衆を京に招いたと。すっかりと京の住人になってしまったように見える」

「そちらも似たようなものであろう。播磨は良いのか、秀吉殿」

「播磨の統治は若い者達が上手くやってくれておる。唯一心配なのは、秀長の調子が良くない事であろうか」

「苦楽をともにしたと聞く秀長殿か。そんなに悪いのか?」

「ワシに病の知識は無いゆえなんとも言えぬが、姫路の城下にある医者に診てもらったところ、顔を顰めおった」

「よほど悪い、か」

「さようなことがあってたまるか。秀長の代わりになる男はおらぬ。政が出来るだけでは、あの男の代わりは務まらぬのよ」


 自慢の弟だと秀吉は笑った。

 しかし後ろに控えている男は全く表情を崩さない。まぁ、それはそうであろう。

 秀吉からはそこまでの存在として見られていないと、公然と言われたようなものである。まぁ百姓から成り上がった秀吉だ。

 一族衆という存在はたしかに大きなものであったはず。心の拠り所であったことは間違いない。一色家も一門が少なかったゆえ、多少分かるところもある。

 まぁ昌友が一門衆何十人分の働きをし、昌秋が昌友の分を補う以上の武働きをしてくれたゆえ、そこまで苦しいと感じたことは無いが。

 もちろん一門でない者達も随分と働いてくれた。秀吉の気持ちに100%同意、賛同しきれないのはこういった違いがあるからであろう。


「その医者は法螺吹きだと罰しようと思ったが、秀長に止められたわ。『自身の状態が悪いことは、一番自分が分かっているのだ』と。そう言われたとき、ワシは何も言葉を返すことが出来なんだ。死を意識させるには十分すぎる言葉であった」

「死期を悟る。俺も最近胸を締め付けられるような思いをしたばかりだ」

「竹中殿のことか。まことに残念であった。しかし主を庇ったのであろう?ならば竹中殿も本望であったであろう」

「どうであろうな」


 元々秀吉は重治を京に帯同させるよう求めていた。後ろに控えている黒田孝高と会わせるために。

 しかし結局それも実現しないままに重治は死んだ。

 俺に1通の文を託して。


「人が当たり前に死ぬ時代は終わったと思っていたのだがな。重治はまったく別の道を歩んでいたはずだったのだ」

「なんと?」

「・・・いや、何でも無い」


 心の中で留めておきたかった言葉が漏れ出ていた。

 決して口にしてはならぬ言葉・感情が溢れてしまっていたようである。幸いにも秀吉の耳には届いていなかったようであるが。


「重治は死の間際、黒田殿に向けて文を用意していたようだ。此度、わざわざ屋敷に来てもらったのはそれを渡すためである」


 俺の隣に置いていた文を手に取り、それを秀吉に直接渡した。

 受け取った秀吉は宛名が黒田孝高となっていることを確認し、その場で開くことはせずに孝高殿へと渡す。


「開けてもよろしいのでしょうか」

「構わぬ。ちなみに中は俺も知らぬ」

「なるほど。では失礼して」


 孝高殿が文を開いて分かったが、随分と長い内容であったらしい。いったいどれだけかき込まれているのか、端から見ただけでも相当に凄まじい。

 しかしそれに関する感想を漏らすこと無く、孝高殿は黙々と文を読み続ける。俺と秀吉は、ただそれを静かに見守るだけである。


 それからしばらくし、ようやく孝高殿の手が止まった。

 途中、「なるほど」「まさかそのようなことまで」と声が漏れていたが、一切俺達を見るようなことは無かった。尋常ではない集中力で、重治からの文を読み切ったわけである。


「のぉ、孝高」

「秀吉様にも是非読んでいただきたく」

「ワシも読んで良いのか?」

「私は構いません。ですが」


 そこで2人の視線が俺に向けられた。秀吉が読むことについて、俺が拒絶することは無い。

 この文は重治亡き今、孝高殿の所有物。

 孝高殿が読んでよいというのであれば、秀吉も目を通せばよい。


「ではでは」


 再び受け取った文は、一度孝高殿に読まれているために随分と長く散らかった状態だ。少しばかり読みにくそうに、秀吉はゆっくり丁寧に丁寧に文を読み進める。

 たまにうなり声が聞こえるが、見たところ孝高殿と同じタイミングであるように見える。つまり2人の想像を超える何かがそこにあるということだ。


「――ー――ーなるほどのぉ。竹中殿はワシらに目をくっつけておったのではないか?」

「目?」

「うむ。島津との戦、政孝殿は織田の動きについて知らぬと申しておったが、重治殿は随分とこちらの動きについて詳しく把握しておる」

「そのようなはずは無い。俺は重治とほとんど行動を共にしておった。離れたのは島津の本隊とぶつかったときくらいのもの。その間に得られる情報などたかがしれておるであろうし、そもそも我らは肥後での織田の動きなどほとんど把握していなかったのだ。忍びを動員させるほどの余裕など無かった」

「しかしこの文には随分と具体的なことが書かれておる。まさにワシが危惧した例の部隊の問題点、その解決策など多岐にわたって色々な」

「・・・」


 重治は間違いなく、あの戦の最中に織田の情報は仕入れていなかった。

 ならば考えられることは1つ、か。


「黒田殿と会った際に話題が尽きぬように用意していたのやもしれぬ。軍師と呼ばれる者同士、一生語ることが出来る話題と言えばその辺りであろうと。重治からしても、例の部隊は目新しいものであったことに違いはないはずであるしな」

「竹中殿はその場にいなかったはずでありながら、実際に見ていたかのように鮮明に問題点を挙げておられます。あの場にいた者ですら、ここまで詳細に理解できていなかったものが大半であるというのに」


 孝高殿は感嘆の声をあげる。

 秀吉は相変わらずうなり声である。


「政孝殿、これは訂正が必要やもしれぬ」

「なんの」

「あまりにも惜しい男を亡くした。この先を見通す目、広く物事を見定める目は間違いなく今後も必要であったことであろう」

「俺も重治に同じ言葉をかけたわ。あの男の価値は、長らく時間をともにした俺が一番よく分かっている」

「言うまでも無かったか。しかし訂正だけはさせて欲しい」

「秀吉殿がそう言うのであれば受け入れよう」


 受け入れはするが、やはり寂しいものであった。他者からの評価は正直どうでも良い。

 なんとなく心に空いた穴があまりにも大きく、そして冷たい。死なせた責任は俺にもある。襲撃してきた人物は決して許さぬが、その気持ちは少なからず自分自身へと向けられている。

 なんと愚かな油断であったのかと。


「・・・のぉ、孝高よ」

「はい」

「政孝殿の元で幕府のために働かぬか」

「秀吉様!?わ、私には播磨の国を栄えさせるという役目が」

「先日の公方様のお言葉からも分かることであるが、帝に土地と民を返上するということは、これまでの生活や常識が大きく覆されるということである。土地や国に固執する必要も、近く無くなるやもしれん」

「いったいそれは」

「竹中殿とともに歩んでこられた政孝殿の側におれば、それが見えるやもしれぬ。竹中殿が見た景色がいったいどのようなものであったのか」

「・・・ですが私は」

「これは絶好の機会であろう。そもそも公方様の相談役として、今後の日ノ本を支えていくという人間は数万、数十万、それ以上にいる日ノ本の民のほんの一握りなのだ。今であればワシが政孝殿に頭を下げて、おぬしを側につけてもらうよう頼むことも出来る」


 秀吉は文の一番最後に書かれている箇所を、俺に見えるように手渡した。

『無理を承知でお願いいたします。近くこの世を去るであろう私に代わり、我が主をお支えしてもらいたい。死の間際にあり、我が目が曇っているようなことが無いのであれば、黒田殿にはその素質が十分にある』とあった。

 しかし言っても黒田は秀吉による播磨統治の上で重要な御家であることに違いない。

 旧主である小寺政職を切ってまで秀吉に播磨を託したのだ。以降は羽柴の軍師として、いくつもの戦場を共にしている。家臣であり、盟友であり。

 そんな孝高殿に対して、秀吉は俺の元に行くように勧めている。いったいどのような気持ちなのか。

 それこそ信頼出来る弟の体調が優れぬ状況であるのだから、優秀な人間は手元に残しておきたいと考えるはずであるが。


「今すぐに決断することはやはり出来ませぬ」

「そう、か」

「ですが必ず私の考えは一色様にお伝えいたします。しばらく京に滞在されるのでございましょう」

「そのつもりであるが」


 どのみち動けない。

 せいぜい近所を護衛やらなんやらをつけて散歩するくらいだ。


「では必ず私の考えをお伝えしに戻ります。どうかそれまで待っていただければ」

「俺はいつでも歓迎だ。どのような結論にたどり着いたとしても、黒田殿の考えを尊重する」

「ありがとうございます」


 しかし秀吉の表情は晴れなかった。

 この場で決断をしていたとしても、秀吉は何も言わぬであろう。今の秀吉はそういう男だ。


「あぁ、そういえば話は変わるのだがな」


 沈み掛けた表情の秀吉は突如として明るい声色で話し始めた。

 そのテンションの上がりように、ついていけずに変な声が漏れる。


「いっ、いったい何の話であろう」

「信長様が万里小路頭弁様に対して、政孝殿の官位を要求されたとのこと。これで多少は裏で動く者達も腰が引けるのではないかとのお考えでな」

「・・・はっ!?」


 寝耳に水の話とはまさにこれのことを言うのだと思う。

 俺に官位?それも信長が万里小路様を通じてだと!?


「頭弁様は先日、於光様を継室として迎え入れられた。その縁からであろうな」

「・・・し、しかし頭弁様、か。初めて万里小路様と顔を合わせたときはまだ侍従であったと記憶しているが」

「侍従・・・。いったいいつ頃の話なのであろうかな」

「堺の沖で大規模な水軍演習を行ったであろう。あのときだ。たしかその時、近衛権大納言様とも顔を合わせた。それまでは面識など無かったが、万里小路様の御父上とは親交が多少あったゆえ」

「・・・」


 秀吉は「なるほどのぉ」と溢しているが、孝高殿は絶句である。

 まぁ今や宮中の実力者の1人として名が挙げられる。

 頭弁と言えば、弁官と蔵人頭を兼任している者の名称。一方で近衛中将が蔵人頭を兼任している場合は頭中将と言ったりする。

 頭中将は上流貴族からなることが多いが、頭弁は宮中の諸政務にあたることも多く実務処理の能力が求められることから実務官僚であった藤原北家の勧修寺流・日野流などの中級貴族から任じられることが圧倒的に多い。万里小路家も勧修寺流の1つであること、そして万里小路様は求められている才を持っていることから頭弁に任じられることは必然であったとも言える。

 ちなみに言うと、正四位上左代弁兼蔵人頭となるわけだ。


「これ以上は孝高の身が持たぬ。とりあえず、近くその旨の使いが寄せられるやもしれん。頭弁様が信長様の愚痴を本気にされておればな」

「・・・信長様の性格を知っていれば、ただの愚痴であると分かるはず」

「信長様の性格を知っていれば、万が一の際に何をされるかよく分かっているであろう。それこそ頭弁様にとって信長様は義父にあたる。於光様は随分と信長様のご寵愛を受けておったゆえ、義父の機嫌を損ねるわけにはいかぬのぉ」

「随分と楽しそうではないか」

「楽しいに決まっておろう。いったい朝廷は政孝殿をどのように評価するのか。他人事で無ければこうも楽しめぬ。そうは思わぬか、孝高よ」

「・・・私にはよく分かりませぬが」

「正直に申せば良いのだ」


 ほれほれと孝高殿を小突く秀吉。

 まぁ空気を明るくしてくれようとしたのであろう。先ほどまでの俺の顔はきっと死んでいたであろうで。

 しかしそれに巻き込まれた孝高殿は不憫である。

 そしてまたも信長の暴走に巻き込まれる俺も不憫だ。朝廷から官位を与えられても、今さらであるように思える。

 大名でも無い俺は、やはり官位があったとしても狙われる気がしてならない。いや、あった方がマシなのか。

 よく分からんな。こればっかりは。

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