498話 奇跡の生還

 三河国福釜城 一色政孝


 1578年夏


 なんとなく意識が覚醒したのは数分前のことだ。

 三河を抜けようかというとき、一向宗の連中に襲撃された。状況が悪いことを加味して福釜城へ後退を開始しようとした時、どこからか狙撃されたのだ。

 胸部辺りに強烈な痛みが走り、そのままに意識を飛ばした。そこまではかろうじて覚えている。

 しかしこうして冷静に思考を巡らせているということは、俺は無事であったということなのか。それともすでにこの世のものではないのか・・・。

 撃たれたであろう胸部の状況を確認するために手を動かそうとした。しかし痛くて動かない。

 ・・・痛くて?


「殿、ようやくお目覚めにございますか?」

「・・・昌友?ここは大井川城か?それとも黄泉の世界か?」

「やはりまだ意識がハッキリとしていないようにございますね。もしここが黄泉の世界であれば私も死んでいることになりましょう。そして大井川城でもありません」

「ならば・・・」


 身体は手同様に動かないが、首だけなら動かすことが出来た。

 周囲を見渡せば、見慣れない部屋にいることだけがかろうじて確認できる。


「ここは松平まつだいら親俊ちかとし様が城主を務めておられます、福釜城です。刈谷城を目前に一向宗に襲撃された殿は、怪我を負われて意識を失われ、みなに運ばれるような形でこの城に匿われたのです」

「・・・そうか。しかしよく生きていたものだ。確か胸に・・・」


 しかしここに来て大きな違和感を覚えた。

 たしかに胸を撃たれたはずなのだが特に痛くは無い。痛いと言うのであれば、腕や足の方がよほど痛いくらいである。


「色々聞きたいことがある。何故俺は生きている。たしかに狙撃されたはずだが」

「狙撃はされたようにございます。その者は随分と腕が良いようで、いやはやまことに」


 やや呆れながら昌友はそう言った。

 そして自身の背後より何かを取り出す。差し出されたそれは、たしかに俺の所持品である。


「これは・・・」

「殿が助かったことは奇跡にございます。景里殿の考察からそのように結論づけさせていただきました」

「・・・そうか」


 まだ俺の腕が動かないことを知っているのであろう昌友は、布団の上にソレを置いた。

 高瀬が堺から買ってきてくれた奇妙な土産物である鉄扇を。


「親骨・中骨が鉄製で助かりました。狙撃の距離がそれなりにあったこと、撃ち出された弾が粗悪品であったことが幸いしたようで見事に貫通しておりません」


 閉じられた鉄扇。その持ち手の骨部分に鉛の弾がめり込んでいた。ほとんど潰れてしまっている弾が。


「・・・奇跡だな」

「まことに」

「高瀬に礼を言わねばならんわ。この命、一度高瀬に救われた」

「しかし元々鉄扇は護身用にと所持している方もいるとか。さすがにここまで露骨な設計のものは無いでしょうが、それでも高瀬は最初から護身用として買ってきたのではありませんか?」

「どうであろうな。高瀬も俺に土産を渡す時に微妙な表情をしておったし、その真意はわかりかねるが」


 前世でもこのような展開、都合の良い創作だと思っていたが、こんなことが本当に起ころうとは。

 本当に救われた。

 しかしそうなってくると気になることもある。

 あのあと、一向宗の連中がどうなったのか。


「奴らはどうなった」

「殿が運び込まれた後、松平様が自ら兵を率いて出陣されたとのことにございます。尾張へと落ち延びようとした者達は、関所にて水野様らが捕縛したとのこと。じきにこちらに引き渡されるかと」

「そうか。逃亡されたわけでは無いのだな」

「はい。また松平信康様が自ら指揮を執り、殿を狙撃した者を探しているとのことです。周辺に潜んでいるやもしれませんので、殿もしばらくはしっかりと側に護衛をお付けください」

「わかった。十分に気をつけるとしよう」

「それと四家会談にございますが、殿の現状を見て見送ることを決定いたしました。代理に朝比奈様が向かわれるとのことにございますが、おそらく商圏設立に関しては進展することも無いでしょう」


 発案者が俺であるからな。惜しい話ではあるが仕方あるまい。


「お医者様曰く、胸部に大きな損傷は無いものの、着弾した際に受けた強い衝撃が尾を引いているとのこと。当分は違和感が残り続けるとのことにございます。しかしそちらよりも落馬した際に受け身がとれていなかったことで手や足が酷く腫れております。無理に動かせば治るにも時間がかかるとのことで絶対安静であると。松平様からは容体がよくなるまで城に留まって欲しいと言われておりましたので、殿にはそのようにお願いいたします」

「そのような心配した目を向けずとも、美濃に向かったりしない。さすがにこれではな」


 腕も足も動かないようでは無理も出来ない。

 それ以前の問題だ。


「そのお言葉をいただけて安心いたしました。では私は皆様に殿が目を覚まされたことをお報せしてきます。何かあれば外に直政殿がおりますのでそちらに」

「あぁ。だがまだ気分が優れぬで少しだけ眠らせて貰う」

「かしこまりました」


 昌友が出ていき部屋に一人となった。

 外には直政の影が見えるが、何も言わずにただジッと見張りをしているようである。

 わずかに影が揺れているのは見間違いでも無いだろう。


「よく俺を助けてくれた」

「我らは護衛失格にございます」

「あれが刀を持った刺客であればな。だが火縄銃での狙撃から俺を守ることは無理があった。こちらから視認できない位置からの狙撃であった今回は特にな」

「・・・」

「景規にも伝えよ。責任を感じるばかりでは前に進めない。俺はお前達に非は無いと思っているが、もし責任を感じているのであればこの難しい状況での護衛のやり方を新たに考える必要がある、とな」

「かしこまりました」


 言いたいことは言えた。

 少し無理していたが、やはり胸辺りが痛い。きっと昌友が先ほど言っていた違和感とやらがこれであろう。

 さすがに疲れたからな、もう少しだけ眠るとしよう。

 此度のことは場数をそれなりに踏んだ俺ですらもなかなかに堪えた。




 堺 前田慶次


 1578年夏


 茶屋の二階より港の様子を見ながら扇子を扇ぐ。

 部屋の片隅では女が三線を弾いていた。今年の夏は異常なまでに暑いというのに、この音を聞いているだけでどこか気分が涼しくなる。海から吹き込まれる風も影響するのであろうがな。

 ともかく三線の音色を楽しめるこの茶屋は俺のお気に入りであった。


「して売れ行きは?」

「好調にございます。特に南蛮の者達は日ノ本の民よりも体格が良いためかよく売れております」

「そうであろう。やはり俺の見立ては間違いで無かったと言うことだ」


 扇ぐ力も自然と強くなる。


「元々風流なものを護身用として持つことが間違っているのだ。本来はこうして扇ぐものであるというのに」

「しかし前田様が織田様に話を通してくださったことで、その本来の使用法として異国の者達に伝えることが出来ました。限られた使用法から解かれたことにより、鉄扇の需要も大きく増えております。ですが1つだけ気になることも」

「気になること?なんだ、それは」

「先日、前田様が日ノ本の民に、それも女子に鉄扇を渡しておるところを見かけました。あの御方はいったい・・・」

「あの女子を知らぬと申すか」


 たしかにこの男は堺の人間では無い。俺も直接の面識があったわけでは無いが、側にいた男の紋を見れば大方予想もつきそうなものである。

 観察できていないな、商人であるにもかかわらず。


「あれは今川一門に連なる女子であった。それも護衛を引き連れて堺にまで来ているとなると、それなりの立場のものであろう」

「・・・女子が御武家様に仕えるものであったと?ならばそれは姫ということにございましょうか?」

「そういう風には見えなかったが。しかしその一門の当主とは面識があった。ゆえに土産を持たせたのだ。上手くいけばさらに儲かるぞ?」


 俺の言葉に随分と嬉しそうなことだ。

 本来はそなたら商人の役目であろうに。しかしまあ良いか。

 こうして繋がりを得ていくこともそう悪いことではない。じきに開かれるであろう四家会談の行き着く先は、儲けてなんぼの世界になるであろうからな。

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