418話 次期鎌倉公方
小弓城 一色政孝
1576年夏
「此度の馳走、安房への牽制、何から何まで有り難い限りだ。我らは南北を敵に挟まれ、何も出来ずに終わってしまった」
小弓城、足利頼純様の前で俺は頭を下げていた。
頼純様の側に座っている里見義弘殿は、此度の今川ー千葉間で結ばれた和睦を聞いてそのように申される。
こちらが和睦を結んだことをきっかけに、千葉家新当主となった千葉邦胤より正式に和睦の使者があったこともすでに把握済みであり、ようやく房総半島で長年にわたって繰り広げられた戦は終わりを迎えようとしていた。
「いえ。我らは盟友である里見様を手助けした程度に過ぎませぬ。どうか今後も良い関係を築けていけたらと」
「俺も同じように思っている。そう今川殿にお伝え願えるか?」
「かしこまりました」
再び頭を下げると、義弘殿は満足げに頷かれた。
そしてその様を見て安堵の表情をされているのが頼純様である。一時は隠遁生活を送られていたが、この房総半島での混乱を機に再び表舞台へと立たれた。
一度は千葉家によって滅んだ小弓公方家を再び名乗ったことで、古河公方を鎌倉に入れた北条と対立し、長く厳しい戦へと身を投じたのだ。
北条が滅び、千葉との和睦が成りそうなことでようやくそれも終わりを迎えよう。
「足利頼純様には近く鎌倉へと入って頂きます」
「鎌倉か。一度も行ったことは無いが・・・。一色よ、鎌倉はどのようなところであった?」
「私も何度かしか彼の地に赴いたことはございませんが、それでも良いところであったとは思います。長年戦に巻き込まれていなかったことも大きいでしょう。そしてかつて北条家が古河公方家を迎え入れた際に、本格的に整備したこともよかったのかと」
「なるほどの。長らく世話になった義弘の元を離れるというのは寂しい話ではあるが、これがこの荒れた関東を治める助けとなるならば出ねばならぬ事は確かであろう」
「頼純様・・・」
「そう心配せずとも今川殿も我を蔑ろにするような真似はせぬであろう。そうだな、一色よ」
「もちろんにございます。これまでとは状況が違います」
これまで、というのは古河公方から鎌倉に入った足利義氏の扱いのことを言っている。あの男の場合は幕府と密接な繋がりがあった。
だから危険視されて捕らわれたのだ。
もし幕府との関わりが無ければそこまでのことをしていない。
なんなら北条の代わりに今川が庇護者として、義氏のことをまつり上げたことであろう。
「その言葉を聞いて安心したわ。してあの話はまことなのか?」
「あの話、と申されますと?」
「前将軍、足利義助様が生きておられるという噂よ。京からやってくる公家の方々は、みな口を揃えてそう言うのだ。今川領に匿われている、とな」
まだ確信は無いような口ぶりであった。
だがやはり公家内で情報を広げたことは大きいようだ。下向先にも伝わる故、直接こちらが何かせずとも一気に噂話レベルで伝わっている。
かつての幕府と今の幕府を比べて、義助様の時代が良かったと思う者はこうしてコンタクトを取りたがるからな。
駿河も例年に比べて公家の下向が増えている。ありがたい話である。
「その話、まことにございます。畿内での混乱の際に織田様によって保護されました。後に駿河へと参られ、今は機を窺われております」
「機、か。つまり返り咲かれようとしているわけであるな」
「その通りにございます」
「誰がその後ろ盾につくというのか。・・・いや、いらぬ問いであったか」
「おそらく思われている通りかと」
「織田家に今川家・・・、これほど頼りになる後ろ盾もあるまい。かつての三好など比べものにならぬ」
俺と頼純様の話を聞いていた義弘殿はそう呟かれた。その言葉にどのような感情が含まれているのか、それは本人のみぞ知ることであろうが、それに俺がとやかく言うことはない。
信長と氏真様が義助様の後ろ盾となるのはただの事実である。それ以上のことは無く、三好が過去どうであったかも関係はない。
ただ我らの目指す世のために三者が手を取ったのだ。
「頼純様には鎌倉にて義助様にお会いしていただきとうございます」
「義助様に」
「はい。そして再び義助様が返り咲かれた際には、鎌倉公方としてこの関東を治めて頂きたい。当然それを支えるのは我ら今川であったり、里見様であったり、上杉家であります」
「勢揃いであるな」
「もはや新たな時代の統治体制は出来つつある。それを邪魔する者達を排除するのが、今我らのすべきこと」
頼純様はわずかに口角を上げられた。
面白そうだと思われたのか、それともようやくだと思われたのか。
だがおそらく現在空白となっている関東管領職も、義助様復権後には再び任命されるであろう。
間違いなくその役目を負うのは山内上杉家となる。
越後上杉家はその権利を返還し、そのことを義助様も認められている。今川家も保護しているという観点からなる可能性はあるかとも思われたが、御一家としての立場を重んじると義助様は申された。
つまりは義昭と違って、義助様は今川家を幕府の要職には任命しないと考えられている。
それは不名誉なことでは無く、本来あるべき形の話だ。
「おそらく佐竹は反発しよう」
「それも些細なことにございます。現在義助様をお支えしようとしている勢力は、反対勢力に比べて随分と大きくなっております。日ノ本の中央はこちらで押さえておりますので、いずれ反発することにも疲れましょう」
現段階で信長の実効支配済みの国は10。今川が7。浅井が2と両上杉家と武田家、能登畠山家がおおよそ1、里見も分割状態の今であればおおよそ1。
中央部はすでにこちらの手中にあり、国土の大部分が同盟勢力となっているのだ。
義昭が京から追放されれば、何の障害もなく再び義助様による幕政をスタートさせられるはず。
「まことに頼もしい。いずれあとを託すであろう乙若丸も安心して我の跡を継ぐことが出来よう」
「我らが全力でお守りいたします」
その言葉を聞いた頼純様は満足げに頷かれた。
ちなみに話題に上がった乙若丸という者。頼純様の嫡男であり、数年前の出生であるため未だに幼い。
現在囚われの身である義氏、その娘である氏姫の婿として名の上がっている御方である。
「今後も長い付き合いとなるであろう。改めて頼もう、今後ともよろしくとな」
「こちらこそにございます。このような事、口にすべきでは無いとも思いましたが・・・。本当はこのようなことを望んでおられぬのではないかと」
「我がか?」
「はい。一度は隠遁された身。政治利用するような形になったこと、我が主も心を痛めておられました」
俺の言葉に頼純様は義弘殿を見られた。
そして何かを確認するかのように2人は頷きあう。
「それは心配せずとも良い。我は望んでこの地位に就いた。最早後悔などしておらぬ。だがもし我を心配してくれているのだとすれば1つだけ願いを聞いて欲しい」
「喜んで引き受けさせて頂きます」
俺が即答したことに2人は微かに笑った。
「よいのか?即答などしても。面倒な話やもしれぬぞ」
「構いませぬ。それで心穏やかに過ごして頂けるのであれば」
「ふむ」と頼純様は頷かれる。
「いや、そう大した話では無い。我が姉はここにいる義弘の元に嫁いでいるのだ。そのおかげもあって我はこの地位に戻ることが出来た。だがそれだけでは不安でな、ゆえに我が娘を今川殿の元に嫁がせようと考えている。もちろん無理は言えぬ、今川殿も織田の姫に北条の姫と大層苦労していることであろう。故に誰か世話して貰えればそれで良いのだがな」
「頼純様の姫様にございますか?」
「うむ、名を嶋と申してな。気前の良い娘なのだが、どうにも嫁ぎ先にはこまっておっての」
聞けば歳は9才であるという。
まだ結婚という話は少し早いように思えるが、許嫁がいてもよいとは思う。頼純様も娘が行き遅れにならないかと心配されているようであるし、その結婚が結局今川家と鎌倉公方家の架け橋となればなお良い。
断る理由も無いか。
「かしこまりました。では誰か探してみることといたします」
「何から何まですまぬ。だがこれで安心して夜を眠ることが出来よう」
心底安心されたような仕草をされた。
その後もお二方と話をしたが、ほとんど雑談で終わる。
だが船橋城に帰る間際、俺は義弘殿に1つだけ進言をしてから帰ることとした。
「安房の弟殿は幕府と繋がりを持っている」
それだけを伝えて。
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