417話 健気な弟

 船橋城 一色政孝


 1576年夏


 結論から言えば千葉家との戦は終わった。

 氏真様から出された条件をのんだ千葉胤富は、里見家との衝突問題にまで発展した下総南西部の全割譲と当主胤富の隠居、そして蝙蝠外交を胤富の元で積極的に推し進めていた良胤の廃嫡をもって単独での和睦に踏み切ったのだ。

 この電撃的な和睦にさすがの千葉家中でも反発が起きるのかと思ったが、案外平和的に奴らは撤退していき俺達も問題なくここ船橋城にまで戻ってくることが出来た。

 何故こうもあっさり事が進んだのか。

 おそらく昌頼の考えが当たっていたということであろう。


「千葉家の当主は双子の弟である邦胤殿になったというわけにございますか」

「そのようだな」

「しかし佐竹は如何するのか。千葉家の単独和睦など想定していなかったと思われますが」

「さてな。だが気がかりなことも1つある」

「それは?」

「千葉家中は高城と原による対立が随分と前からあった。これは周囲を欺くための策というわけでは無かったのだと思う。ならば此度の和睦の話、両者納得の上での決着であったのか。それが疑問で仕方が無い」


 氏規と家康。少し寂しいものではあったが、3人で酒を飲む。

 出てくる話題は千葉家とのこと。そして佐竹とのことばかりだ。


「噂では此度の和睦を押し進めたのは高城であったと聞いております。あれだけいいようにやられての降伏であれば、佐竹も多少は仕方が無いと思うのではないかと」

「だがおかげで佐竹はより一層窮地に追い込まれたこととなった。佐渡の平定により、上杉の目は越後の北部へと向けられているのだ。伊達領に攻め寄せていた蘆名もその手を止めなくてはならない」

「どうにかこちらの事情に上手くかみ合っておりますな」


 家康は部屋の真ん中で酒を一気に飲み干した。

 つまみとして用意されていた魚に箸を刺し、酔っている手つきながらしっかりと身をほぐして食べている。

 氏規はそんな家康の姿を見ながら酒を飲んでいた。


「佐竹との戦もじきに終わろう。あの男らもこれ以上の戦が無謀であることは理解していようでな」

「ならば良いのですが・・・。佐竹家もまた北関東の完全なる統治を実現するために躍起となりましょう。此度今川本隊により制圧された下総北部や、佐野家によって切り取られた宇都宮家の城複数を奪還するために動くことは目に見えております」

「勝てぬ戦をする馬鹿はおらぬ。例外で、目的のための負け戦は演じる者はいたやもしれぬが」


 これが此度の千葉家の立ち回りのことを申しているのだということを2人は分かっている。

 だから何も言わずにただ俺の話を聞いていた。


「とにかく氏真様より正式に書状が届けられれば、里見家にそれを渡さねばならぬ。場所は小弓城で足利頼純様の前で証を示すこととなった」

「頼純様の前で・・・。しかしこれで里見家との同盟が成れば頼純様は如何されますでしょうか?」

「鎌倉に入られることとなるであろう。そしてその地にて義助様とお会いになられる」

「ならばいよいよにございますか。まだ現公方様の幕府が京に残っておりますが、周囲では次の公方様へと代替わりした際の準備が着々と進められることとなる」

「その通りだ、家康。鎌倉公方は頼純様ら、小弓公方家によって今後は引き継がれることとなる。それを知ったとき、いったいあの男がどのような反応をするのか。実際にこの目で見れぬ事が残念で仕方ない」


 家康の笑いは呆れであろうか?俺の義昭嫌いも随分と家中で有名になったことだ。


「それで話を戻しますが、実際領地の分割はどのようになるので?」

「先んじて送られてきた者曰く、下総の南西部は全て里見領となるとのことである。今川との国境は江戸川となるが、実際どこまで南西部であるのかといえば高城の旧領までであろうな、西は」

「では東は?」

「そこまではどうなるか。あの辺りは一度千葉家がその領地を追い出された際に里見領へとなっており、以降国境が入り組んでいる。佐竹と敵対関係となることを思えば、あの辺りを力の弱まった千葉家に託すべきではないと思うが」

「それは当事者で決めるしかないと?」

「氏真様からは特に何も言及されてはおらぬようだな。千葉家はともかく、里見家とは対等な同盟関係であるから余計な口出しは控えるべきであろう。不満を抱かれても困る」


 氏真様が保証されたのは本佐倉城とその周辺の領地だけである。それ以外は大幅に削り取られるとは予想していたが、あとのことは義弘殿の良心次第。

 近くどうなるかの報せもあるであろうな。


「とにかくこの地での戦は終わりだな。千葉家領内に入っていた佐竹の援軍も退いたようだ。随分と大人しく退いたのは援軍が入らぬと分かったからか、それとも」

「多大なる被害を出したために、これ以上の戦が困難であると分かっていたからか」

「どちらにしても千葉家の自演に付き合わされた者達はたまったものでは無いであろう」

「千葉家に対する憎しみは増大するばかりにございます」


 だからこそ里見との本当の関係修繕が求められるわけだ。果たしてどうなるであろうか。そればかりは読めない。

 そんなとき、わずかに遠慮した様子の直政が部屋へとやって来た。

 俺達が旧知の仲であることは知っているが故の遠慮であったのであろう。だがこのような状況であるにも関わらずやってきたということは、それなりに重要な案件であることも容易に想像がつく。


「如何いたした」

「殿にお会いしたいという御方が参られております。殿は席を外せませんとお断りを入れたのですが、どうしても会わねばならぬとのことでしたので・・・」

「名を聞いたか?」

「はい」

「何と申していた」


 直政は僅かに間を空けた。言いづらい名であり、そして俺達が知っているということだ。

 果たして誰なのか、このような夜分に事前に人も寄越さず参った無礼者は。


はら胤親たねちかと申しておりました」

「原胤親?」


 俺の問いかけに答えたのは直政ではなく、背後でその様子を見ていた氏規であった。


「原宗家当主である原胤栄の弟であったかと」

「・・・会うべきであろうな」

「会うべきにございましょう。あまりにも迅速な動きにございますので、これを無視することは出来ぬかと」

「同感だ。だがここでは会えぬ」


 部屋の中では何時の間にか潰れてしまった家康がいる。長期にわたる緊張状態は歳を重ねようが、いつになっても慣れるものでは無い。

 此度の戦では、家康にも随分と無理をさせたからな。

 疲れと酔いで寝てしまうこともまた無理はない。


「別室に向かおう。氏規殿」

「家康殿の事はお任せを」


 俺が頷けば、氏規もまた頷く

 直政の案内で、胤親なる男が待つ部屋へと急いだ。


「一応隣の部屋に人を置いておけ」

「かしこまりました」

「それと小六も側に」

「小六も、にございますか?」

「あぁ、何かを勘づいているということも考えられる。おそらくそれは無いとは思うが一応な」

「かしこまりました。では小六も呼んでおきましょう」


 そして部屋に入ると、1人の男が頭を下げて待っていた。


「面を上げられよ」

「はっ」


 あげた顔は夜という視認性が悪いということを抜きにしても、少々顔色が悪いように見えた。

 それに痩せているのか?すこし度が過ぎるようにも見える。


「俺が一色政孝だ。そなたは」

「はい。原胤親と申します。此度はお願いがあって参りました。いきなりの訪問、どうかお許しくださいませ」


 そう言うと再び深々と頭を下げる。

 しかしお願いか、こうなるとやはりあの線が濃厚であろうな。


「それはこれからの話次第。早速本題に入られよ」

「はっ。此度一色様の元に参ったのは他でもございませぬ。我ら原家を今川様の元で働かせていただきたく思います」

「何故?原家と言えば千葉家の古くからの重臣一族であろう」

「最早家中に我らの居場所はございませぬ。胤辰殿がその命を危険に晒してまで手にした和睦という形。この和睦は千葉家として誰もが望んでおったものにございます。それを成し遂げたあの男の功はあまりにも大きく、対して里見家に対して有効な手を打つことが出来なかった我らに対する信用は地に落ちたと言っても過言ではない」

「ここからやり直すことも出来るはずだ」

「大名として主家が独立していればそれも目指したことにございましょう。ですがこれ以上千葉家が大きくなることはない。西に今川、南を里見に囲われております。そして北には我らを裏切り者として定めた佐竹もおりますので」

「かつて主として仰いだ家を見捨てるか」

「・・・一色様も武家の人間であれば分かるはず」


 何が言いたいのかはわかった。

 たしかにこの戦国の世で向上心を無くした者は終わり。当然それがすなわち死を意味するなんていう物騒かつ極端な思考をしているわけではないが、せめて力を持っていなければ守りたいものすら守れない。そんな世界であるとは思っている。

 力を欲する理由は人それぞれではあるが、これ以上大きくなることはないと思われる千葉家に尽くすことを原家全体としては無いと選択したわけだ。


「俺としては今川家に尽くすという気持ちがあるのであれば、誰でも氏真様に繋ぐことはする。だがもし臣従を表明した千葉家との関係が悪化するのであれば、話は当然変わってくる」

「それはご安心を。我ら一族の暇は既に頂いております。邦胤様も我らの立場が微妙なものとなったことはご存じでございますので」

「むしろ友好の証としてその立場を確立すべきでありましょうな」

「是非そうしていただければ、我ら一族の最後の奉公とさしていただけるかと」


 許しを得ているのであれば問題は無いか。さすがに原家の旧領に戻ることは出来ぬが、それは承知であろう。

 旧領一帯は全て里見の勢力圏となることが決まっているからな。


「俺はしばらくこの城に留まることとなるであろう。近く一族を連れて参られよ。そのときはもう少し賑やかに出迎えることとさせて頂く」

「ご配慮感謝いたします」

「気にするな」


 この話はとりあえず終わりだ。

 だが1つだけ気になることがあった。すでに許可を貰っている話であるのならば、何故このような遅い時間にやってきたのか。

 まるで疑われている人間の行動に見える。

 一応気になったが故に尋ねてみた。


「何故このような時間を選んだか、にございますか?」

「そうだ。堂々と参れば良かったとも思うが」

「それは私と兄、胤栄の関係が悪いからにございましょう。もしものときは一色様を使って秘密裏に私を処理させようとした。おそらくそんなところかと」

「何故そのような」

「私が本当は宗家筋の人間では無いからにございましょうか?幼い頃の記憶でございますので何とも言えませぬが、本当の父は別人であるのでは無いかと」

「その待遇に不満を持っていたと?」

「そればかりは兄に聞いてみなければ・・・」

「今川家中で不穏な出来事があってはたまらぬ。もし何かあれば俺を頼るが良い。助けを出すことくらいは出来るであろう」

「度重なるご配慮、まことに感謝申し上げます。ですが私は兄と対立することを望んではおりませぬので、助けを求めることは今後無いかと」

「であれば良いが」

「では私はこの辺りで失礼いたします。次は予め人を寄越しますので」


 そう言って胤親は帰っていった。

 しかし健気な弟であるな。俺が短気であり短絡的思考の持ち主であれば本当に死んでいたかも知れぬというのに。

 それでも兄に尽くすか。


「結局小六のことにも触れず、か」


 やはり千葉家の名を名乗らせることは問題しか生まぬであろうな。火種を持ち込むのは氏治殿だけで十分だ。

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