405話 逸る手柄
勝山城 真田信綱
1576年冬
「信綱様。敵は城の奪還を諦めて、本隊がいるであろう北へと撤退していきました」
「そのようですな。では城の守りを固めておくとしようか」
「追わぬのですか?」
名目上福浦一色家の大将として立てられた昌頼殿は、昌秋様の御子であり我が娘の夫でもあった。此度は海に出られぬ昌秋様に代わって、その大役を担われている。
ではあるが、未だ戦のことは分かっておられぬ節がある。
しかしそれは仕方が無きこと。
こうした攻めの戦は初めてなのだ。勝手が分からずとも仕方が無いと言えよう。まだまだ若い故、これから学んでいけば良いだけの話なのだからな。
おそらく福浦一色家は今後も少し変わった立ち位置で今川様のために働き続けることとなる。それゆえに場数を踏むほかないのだ。
「追いませぬ。今は奴らも敗走しておるが、北に進めば敵の本隊にたどり着く。この地に上陸した我ら単独の力では到底太刀打ち出来ぬであろう」
「では九鬼様のご到着を待たれるということに御座いましょうか?」
「その通り。それ故に昌頼殿がすべきことはこの城を守ることなのだ」
それにしても品川湊を出航する直前に落人殿が言われたとおり、この城の城主は我らが攻め寄せた段階で不在であった。
その理由は里見義頼が配下を纏めきれなかったことにある。安西家が守るこの城であったが、里見様への内通が疑われたため当主が城外にて殺されたという。
ここから南に位置する岡本城の城主が当主不在のこの城の守りを任されていたようであるが、さすがに沿岸の防衛も含めて多くの役割を担っているその者だけでは対処しきれなかったようであった。
「しかしまさか里見家が海賊を抱え込んでいたとは驚きにございました。その者らが一色保護下の商人を襲っていたということも」
「安房だけではやはり物資の確保が難しかったということに御座いましょう。それ故に海賊に商船を襲わせて、それを自分たちの蓄えとしていた。どうやらあの者らもただの海賊ではなかったようにございますので」
戦利品として押収した武具一式を見て私は答える。
「なるほど。ただ雑賀衆の方々が先んじてその者らに大きな被害を与えていたことが功を奏した形となったわけにございますな。まだまだ精進が必要な我らの水軍でもどうにか近海を制することが出来たのですから」
朝倉水軍を率いる朝倉在重様は海を眺めつつ、そのように言われた。現在海上は雑賀衆と朝倉水軍、そして寅政殿らが監視のために展開されている。
敵方に味方したどこぞの海賊らに大きな被害を与えたと聞いてはいるが、念には念を入れてとのことである。しかし今もどこかで再起の機会を求めていることであろう。
そしてこの地よりさらに南に位置する館山城には、他今川水軍の主力とその方々を率いておられる九鬼様が攻撃を仕掛けられているはず。城が落ちればすぐさまこちらに知らせが入るようになっている。
そしてそのままこの勝山城と館山城の間にある安房水軍の本拠とも言える岡本城に降伏の使者を送ることになっていた。
「いくら正室の子として正統な後継者であると名乗りを上げても、里見家の勢力図をひっくり返すには駒が足らぬ様子でございますな」
「義頼もせめて安房水軍が健在であれば、と思うておりましょうよ」
「今川様のお力を下に見た結果にございます。流石に海賊だけで守ることが出来るとも思っておらぬでしょうが」
私の言葉に朝倉様が頷かれる。
「殿は一度決裂した里見家との同盟をどうにか成らぬかと模索されている。この御家騒動の収拾がその助けとなれば良いのだが」
「たしかに。義頼に対して里見様は随分と慎重な御方の様子。そして今のお立場がよく分かっていらっしゃる」
「もしも義頼が跡を継げば、この地での戦はとうぶん終わらぬものとなりましょうで」
「そうなれば東への進出に遅れが出ます。それは我らの誰もが望まぬところにございます」
昌頼殿はジッと我らの会話を見ておられる。
今聞いた話が今後の糧になれば良い。すでに我らが出来ることは大半が終わっているのだから、大将がここで油を売っていようが問題は無いはず。
もしものときには昌頼殿自らが兵らを鼓舞する、さすれば我らはいくらでもこの城で耐えることが出来るのだ。
「しかし先ほど信綱殿はああ申していたが、敵がこの城に戻ってくるなどあり得るであろうか?」
「・・・そのことをいいますか?」
「いや、わかっておる。福浦一色家の存在は、我ら駿河の水軍衆からしてみても貴重な存在である。その跡継ぎがしっかりとしていないと、我ら水軍衆も困る。故にその指導のために申したことも」
「であるならば」
「だが我らも本来であれば悠長にはしていられぬ。今回の敵は1つではない。佐竹に千葉、それに加えて里見義頼。さらには」
「蘆名。そしてそれらを取りまとめている公方様」
朝倉様は顔を顰めて私を見られていた。
苦い思い出が沸き上がってきたのであろうな。私は外様ということもあってそれほど感情的にはならぬ。だが長く今川家に仕えている方々は、より公方様に対して思うところは多くあるであろう。
「元々の話をすれば、我らはただ公方様を支持した1家に過ぎない。幕府の混乱で誰かを推さねばならぬ状況であった。畿内やその周辺の状況を鑑みた殿は義昭様を擁されたに過ぎぬ。だがそのことを公方様は勘違いされていた。それが全ての始まりだったのです」
「そのように殿から聞いております。殿は随分と前から愛想を尽かしておいでのようで」
「そうでありましょうとも。今川家中でも政孝殿の公方様嫌いは有名でした。公の場では多少発言を控えておいでのようでしたが、義助様を最も好意的に見られているのも政孝殿ですので。それに今も何やら考えておいでのようでありますから。殿もそのことに関しては何も言われぬようで」
朝倉様は何かを知っておられるような口調で申された。この朝倉様もまた今川様に近しい御方。
今川館の側に居城を構えているからなのかも知れぬが、こうして私ですらも知らぬことを知っておられることがある。我が殿の事であっても、長らく側を離れている私には今の話は皆目見当がつかない。
「なるほど。殿がまた色々手を回しておられることはよくわかりました。まことに我らの存在意義が揺らぎかねませぬな」
「真田殿や竹中殿という頭の切れる方々を欲している御家は多くございます」
「褒められても朝倉様の元にはいけませぬが」
私がそう言えば、慌てた様子で朝倉様は首を振られた。
「そういうつもりで言ったわけでは!ただその2人を、いや新たに家臣として加えた方々の多くを若き者らの教育に回し、自身のことは長らく一色家の家臣であった者達で回しているのが羨ましいという話にございますよ。一色家の先は明るいと」
「なるほど。そういう話にございましたか」
私がチラッと昌頼殿を見ると、より一層力強くこちらの話を聞いている様子であった。
一色家中の事とも成れば嫌でも興味を惹かれましょうから、おそらく今の力の入りようはそのためであろう。ただ朝倉様の申されていることはまさにその通りであった。
我ら軍師としての立場が無いと嘆いてみても、結局はこうして後進育成のために我らも手柄を挙げることが出来る。そして今もまた大役を任していただいている。
殿はそういう人の使い方がとにかく上手く、そしてもう二度と一色家から離れられぬようにしてしまう。悪い意味ではなく、それだけ魅力があるという話。
「羨ましい話にございますよ、まことに。現在は他家の者まで教育を施しておられるようで」
「伊丹様の御嫡子にございますか。たしか今川様にお願いされたとか」
「その通り。父である康直殿に似て熱心な者にございます」
現在は海里殿の元で水軍のいろはを学んでおられるとか。しかしよりにもよって奥山の中に放り込まれるとは・・・。
あそこは一色水軍で一番厳しいと言われておるのに。殿も遠慮が無い。
「よくやっているようにございます。随分と大変な思いをされているようにございますが」
「それはそれは・・・。いやはや、かつてのことを思い出してしまいます」
冷や汗を流された朝倉様。
だがそんなやり取りをしている中、外から何者かが走る音が聞こえ始める。
そしてそれはまっすぐこの部屋へと向かってきているようで。
「物見の者が戻りました!」
「どこのであろう」
「敵本隊を探っていた者にございます」
「して、何を掴んだ?」
「里見義頼は北上していた軍を反転させ、南下してきております!おそらくこちらの動きに気がついたのであろうかと」
「・・・これは予想外か」
朝倉様はそう呟かれた。
我らの読みとしては、先に御家騒動に決着をつけると踏んでいた。佐竹と話が済んでいるのであれば、先にそちらに合流するのであろうと思っていたからである。
それに万が一義頼が南の我らを優先すれば、北の状況次第では挟撃されかねないという状況であった。にも関わらず・・・。
「気でも狂ったのでしょうか?」
「奴らの狙いが何であるのか・・・。安房は里見様が義頼の不満を抑えるべく分割した地」
「その地を奪われれば求心力が低下するとでも考えたか?それにしても」
「もしくは北側の状況が変わったことを察した?」
佐竹の状況が良くないと勘づいた義頼は安房にて立て籠もることにしたとなればどうであろうか?我ら上陸隊が少数であるとみて、先に安房からたたき出そうとしているのか?
「引き続き奴らの動きを監視せよ」
「はっ、では」
兵は出ていき、緊張した面持ちで昌頼殿が見ておられる。
「そう心配されずに。まずは南の状況を知らねば話になりません。港までの道を確保した上で、籠城の備えをしましょう。もし九鬼様の上陸が成っていないとなれば、早々にこの城を捨てて撤退します」
「折角取った城を捨てられるので?」
「このような本国から離れた城にこだわることは愚策。義頼が安房へと引きこもるつもりであるならば、結局十分な戦果を上げたことになりましょう」
「ですが!・・・それでは里見様との約定が果たせぬ事になります」
「里見様が恐れていたのは南北からの挟撃。我らがいつでも上陸出来ると頭にあれば、迂闊に里見様へと攻めかかるような真似をすることもないでしょう。そうなれば此度の策はとりあえず成功と言えます」
昌頼殿は不服げな様子である。すでに初陣を果たしたとはいえ、前回の小田原攻防戦では後方に待機されておった。私も側にはいたが、昌秋様は三河衆と共に前に出られていた。
そのことをたいそう不満に思われていたことも知っておる。そして今回も下手をすれば一戦も交えずに撤退となるやもしれぬ。
殿に早く認められようと焦っておるのであろう。なにも死に急がずとも良いと私は思うのだが。
「では残られますか?援軍が見込めぬこの地で」
「死地に向かうことは覚悟しております。その覚悟を持って出陣しておりますので」
「それは1人の兵が言う言葉にございましょう。昌頼殿が考えることは自分自身のことだけではなく、兵達1人1人のことも思わねばなりません。昌頼殿の自己満足に兵達の命を巻き込むのですか?殿は兵を如何に生かすかを考えられておりますよ。そのために自らを犠牲にすることはあっても、自らのために兵を犠牲にしたという話は聞いたことがございません」
「・・・それはっ」
「それにここに留まっているのは一色家の者だけではありません。朝倉様や雑賀衆の方々も含まれるのです。ここでの愚かな振る舞いは、昌頼殿が認めて貰おうとしている御方の顔に泥を塗ることと同じにございます」
ハッとした表情で頭を抱えられる昌頼殿。そして悔しげな表情をして、一度強く自身の顔を叩かれた。
頬を赤くして、我らの顔を見、そして頭を下げられた。
「朝倉様、申し訳ございませぬ!手柄に逸って、多くの方々を巻き込むところにございました!」
「・・・」
驚いた表情で朝倉様は私を見る。私が頷けば、了解したといわんばかりに強く頷かれ、そして昌頼殿に声をかけられる。
「そのように責任を感じることはない。まだ若いのですから間違いもありましょう。それを正すのがこの者らの役目。もし間違いを犯したともなれば、全て真田殿に責任を押しつけてしまえば良い。止められなかったこの者らの落ち度でありましょうで」
「その通り。むしろ考えを口に出して頂いた方が、こちらとしても大いに助かります。どのように考えておられるのかは顔色だけでは判断つきませんので」
再び昌頼殿は頭を下げられた。これまでで一番深く。
「信綱様、私は兵達に声をかけて参ります。もし籠城するとなれば、士気を高めておかねばなりませんので」
「それがよろしいかと。撤退の支度はこちらで済ましておきましょう」
昌頼殿は勢いよく出て行かれた。
「素直でよい男です」
「まことに。義理の息子となることが勿体ないほどで」
「そうか。たしか真田殿のところの姫と」
「殿からもお許しを得ておりますので、もう直の話にございましょう」
「まことに安泰にございますな。一色本家も一色諸分家も」
「嬉しい話にございます」
後に分かったことである。岡本家の抵抗が凄まじく、九鬼家の上陸は失敗していた。
我らは撤退を余儀なくされ、この地を捨てて海へと逃れる。ただ置き土産だけはしていた。これは昌頼殿が最後に提案されたこと。
「そろそろにございましょうか?」
「夕暮れ時。台所にも火が入る頃でしょうな」
江戸湾の真ん中。水軍衆の迅速な行動のおかげもあって、我らは誰1人残すことなく海上へと撤退することに成功していた。
そして暗い闇夜の中から我らは遠く小さくなった勝山城を眺めている。
「しかしこれで我らの役目は終わりにございます。水軍衆が持ってきていた火薬は底をつきましたので」
船団の長である寅政殿が空となった壺を我らに見せた。
そしてその刹那、大きな音と共に勝山城の一角が爆発する。赤々と燃え上がる勝山城。
「あれほど派手に爆発すれば、多くの者が巻き込まれたことにございましょう。これで奴らの足が完全に止まれば良いのですが」
「昌頼殿、お見事な罠にございます。勝山城は実質安房北部の守りの要でありました。あの爆発でその役目を全うすることは難しくなりましょう」
「本当は物資をため込んでいたという金谷城を燃やしたかったのですが・・・」
「成果は上々にございます。私から昌秋様にはご報告させて頂きます。そして殿にも」
勢いよく振り返られた昌頼殿。しかし考えられることが殿に似ておるな。まともに敵とやり合おうとしない様などそっくりよ。
一時は手柄に逸る感情に身をまかせた愚かな顔も見せかけたが、よくぞ持ちこたえたものである。
いや、まぁそれはよいか。それよりもよい土産が出来たことで私も一安心である。
ではでは昌秋様がおられる品川湊に戻るとしようか。
江戸川流域 一色政孝
1576年冬
「誰も直政殿を見ていないと」
「そうか・・・」
俺達がこの地にたどり着いたのが一昨日のこと。馬を走らせてようやくこの地にまで戻って来た。そして入れ替わるように数正らが敗走しているであろう千葉・佐竹の兵らを追撃に向かったわけだが、問題が別に生じたのだ。
ともに夜襲に向かったはずの直政がこの地に戻って来ていない。
暗かったせいで誰もその行方が分からぬ状況であった。そして行方が分からぬのは直政を含む僅か数名だけ。
端から見ればそれだけの被害で圧倒的多数の敵を誘い込んだのだから上々であると言えるのであろうが、それでも・・・。
「政孝殿、私はもう少し探してみましょう。もう少し戻れば、どこかに手がかりが」
「・・・いや、これ以上頼忠殿の時間を貰うわけにはいかぬ。先頭をひた走り、一番消耗しているのは間違いなく頼忠殿だろう。一度休まれよ」
「ですが直政殿はっ」
「戦場で犠牲はつきもの。これまでもそうであったし、これからもそうで有り続ける。この日ノ本が纏まらぬ限りは」
「政孝殿・・・」
まだ何か言いたげであったが、側にいた兵らが頼忠殿を連れて陣から出ていった。あの者らは俺がこうなると意見を曲げないことを知っている。
だから不満げな頼忠殿を連れて外へと出たのであろう。
ついでに俺の心中を察して。
だがそれでもこの場には俺1人ではない。
「落人、いるのであろう?」
「はっ」
「如何した」
「安房での任の達成は半々といったところにございます。安房と上総の国境に位置する勝山城を火薬による爆発で廃城に持ち込みました。ですが代わりに上陸地点と定めていた全ての地点より撤退しております」
「そうか。だが上陸に気づかれたということであれば、奴らも後方を気にし始めるであろう。確かに成功か失敗かの話で言えば半々、だな」
「・・・このような言葉を我ら忍びが発して良いのかは分かりませぬが」
落人は一度口を閉ざした。俺の顔を見たせいであろうな。
正直に言えば話半分に聞いている状態だ。
こんなことになるのであれば、最初から直政を連れて行くべきではなかった。数正らに預けて追撃隊に入れておくべきだった。そもそもあの夜襲に直政を連れて行く必要など端から・・・。
「落人、続きを申せ」
「・・・やはり無かったこととして頂きたく」
「そうか。すまぬ、少し1人にしてくれ」
色々言いたいことはある。
本当はこの後悔を誰かに漏らしたいのだ。だが誰にも漏らすことは出来ぬ。
大将が弱っている姿など見せれば士気が落ち込む。そうなれば勝てるはずの戦も逃し、大きな損害を出すことになるだろう。
氏真様にも迷惑がかかってしまう。
「かしこまりました。ではこれにて」
落人が姿を消した。今度こそ1人である。
「父が死んだときは泣かなかったのだがな」
父が桶狭間で討ち死したときも、康直殿が目の前で亡くなられたときも、すぐに今川の利となるべく動いた。
だが何故か今はそうならなかった。
何故なのか・・・。
「頼む・・・。直政、生きていてくれ」
いったいどこにいるというのだ。どこで道草を食っているというのだ。
早く戻ってこい、でなければ俺は・・・。
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