第二次上総錯乱
396話 予感
江戸城 一色政孝
1576年正月明け
寒い寒い海路を用いて、俺達は品川湊へと入港した。そしてその足で江戸城へと入城する。
現在この城の主は家康であるが、すでに国府台城に援軍として向かっている。その家康に代わって待っていた者がいた。桶狭間以降家康に味方していた東三河の国人衆の1つである西郷家の者である。
名は
史実でいう愛姫は、ここにある義勝の妻であり、その後家康に嫁いだため江戸幕府2代将軍の徳川秀忠の実母でもある。
「お待ちしておりました。一色様」
「済まない。随分と遅れてしまった」
「いえ、そのように伺っておりましたので謝罪は不要にございます」
義勝の案内で俺達は一時の休息を得る。しばし休んだ後に下総にまで兵を動かすことになるであろう。
だがそれよりも何よりも、先日熊吉より聞かされたとある話がずっと引っかかっていた。それは房総半島におけるあまりに不穏すぎる噂であった。
「義勝、1つ尋ねても良いか」
部屋に案内されている道中、俺は僅かに前を歩く義勝に話しかけた。義勝もまさか話しかけられるとは思っていなかったのか、僅かに驚いた後に返事をする。
「何なりと。とは言っても、私が知っていることなどそれほどあるわけではございませんが」
「それでも良い。聞きたいことは1つだ」
俺の言葉を待つかのように、義勝はその足を止めて俺の方に視線を移す。わずかな緊張が流れたのは、この男に今川家をわずかにでも恨む気持ちがあるからであろうか。
当然このような事を言う限りは思い当たる節があるからであった。
かつて家康が三河での独立を望んで起こした戦。その際、この男の父である
氏真様は家康を再び家臣として迎え入れた後、西郷元正の徹底抗戦を問題視し、元正の弟であった
そういった理由もあり本来であれば西郷家を継ぐはずであったこの男は廃嫡とされたのだ。今は家康の側に仕えているが、当然そのことを不満に思っていても不思議ではない。
「里見家の事。何か家康は聞いているのだろうか?」
「里見家・・・。いえ、じきに大きな意味を持つ同盟を組むやもしれぬという程度にしか聞いておりませぬが」
「・・・そうか。それは誰に」
「おそらく今川様から遣わされた方からかと思います。ですがそれ以上のことは」
「なるほどな。ならば良い」
俺が話を切ったことで、再び義勝は歩を進めた。空いた部屋へと案内されて、しばらく1人で時を過ごす。
誰も周りにいないことを確認した後に、懐から1枚の文を引っ張り出した。書いたのは栄衆の者であり、里見家の状況を探っていた者の1人であった。
『里見家にて不穏な動きあり。当主の異母弟である里見義頼、館山城にて兵を募っている様子があり注意が必要』
これが千葉家に対して向けられるものであれば、俺の心配は杞憂に終わることであろう。
だがもしこれが里見義弘の首を狙って支度しているのであればどうだ?そうなれば里見義頼は間違いなく佐竹と手を組んでいる。例え一時的なものであったとしてもな。
でなければ義頼のこれまでの行動に説明がつかない。
「そもそもあの男が里見との因縁の始まりであったな」
大元を辿れば氏真様の暗殺未遂にまで遡るわけだが、一応あの事件に関しては首謀者の切腹という形でケリが付いている。
それをどこで見つけたのか、町田の遺児を今川に差し向けてまで俺達と敵対しようとしたのだ。あまりにも果てしない野望のために。
対して異母兄の義弘はどこまでも現実的な男である。そしてしっかりと物事を捉える力を持っている。これまでに集めた情報から察するにそういう一面が読みとれた。今の里見家が出来る限界を見極めているのは、やはり当主にとっては必要な能力であろう。義頼にはそれが無い。
ただただ果てしない野望があるだけだ。実現させるにはあまりに現実的ではない野望だけが。
「しかしこれはもう不要の代物であろう」
火鉢の中に手に持つ文を投げ入れ、俺はその存在を無かったものとした。このようなもの、万が一間違えであったとき余計な混乱を引き起こすに決まっている。
あくまで俺の頭の中に留め置き、この佐竹への備えが落ち着き次第氏真様に報告するとしよう。
里見家との同盟はやはり慎重であるべきであるとな。
それからしばらくしたとき、直政が俺の留まる部屋へとやって来た。
「支度は整いました。いつでも出立出来ます」
「わかった。すでに本隊は葛西城に入っていると言っていたな」
「はい、そのように聞いております」
「ならば俺達も急ぐとしよう。遅参の許しは得ているが、全てが終わった後にたどり着くことは流石によろしくない。せめて少しでも手柄を挙げねばな」
「かしこまりました」
直政は出ていき、俺も支度をする。と言ってもそれほど何かがあるわけでも無く、ただ外していた刀を腰に差し直し、愛銃と化した火縄銃を背中に背負う。それだけのことだ。
そして部屋を出て、外に待つ家康配下の者らと外へと出た。
「俺達が目指すは葛西城である。まずは氏真様と合流を果たし、その後に前線の援軍に向かう。そう心得よ」
主だった者らが頭を下げた。そのまま馬へと跨がり進軍を開始する。
目指すは葛西城。この江戸城の北東に位置する城で、最終目的地である国府台城の目と鼻の先に位置する城である。
だがやはり気がかりを残したままの進軍はどうにも気持ち悪かった。
「直政、家清を呼べ」
「家清殿にございますか?かしこまりました、すぐに」
直政は後ろの方を歩いているであろう家清を呼びに走る。俺はその間にもゆっくりとした足取りで馬を進めた。
そしてしばらく経った頃、後方より2人がかけよってくる足音が聞こえる。
「殿、如何されましたでしょうか?」
「家清には陸での戦も知ってもらいたと思っていたが、少々状況が変わった」
「状況が変わったとは?」
「そなたの父に伝えよ。水軍衆は江戸湾を含む、周辺の海上巡回に人を十分に割くように、とな」
「海上・・・」
「時間があまりない。水軍衆の者らを連れて今すぐに品川湊へと向かうのだ」
「か、かしこまりました!」
今度は1人で後方へと戻っていった。そしてしばらくした頃に、俺達の一団から離脱する者達が出た。
間違いなくそれらは家清らであり、俺の命通りに品川湊へと向かったことも確認出来た。
「・・・里見を警戒されているので?」
「声が大きいぞ、直政」
「も、申し訳ございませぬ」
「だがそれは当たっている。少々此度の戦は不穏な気配が漂っている。何事もなければ良いのだがな」
だが何と言おうとこの戦が止まることはないだろう。
それほどに里見義弘と佐竹義重の関係は悪化している。千葉家の扱いを巡ってな。
里見を味方として後顧の憂いを絶とうとしている我らからすれば、どうしたって里見の味方をしなくてはならない一戦だ。
だがどうにも嫌な予感が拭いきれない。
「しかしそうなると物資を運び入れる商人らにも被害が出るのでは?殿の懸念されていることが当たった場合に限りますが」
「・・・失念していたな。俺は命じられたとおりに物資搬入を依頼してしまった」
「如何いたしましょうか?このままでは大きな被害を出しかねませぬが」
「どうもこうもない。急ぎ追加で人をやるしかあるまい。兵助に護衛船団を多すぎるほど出させる。奴らが近づけぬほどに」
間に合うであろうか?いや、おそらく第一陣はもうそろそろ江戸湾に入る頃合いであろう。
しくじったな。これは・・・。
有岡城 織田信長
1576年冬
「そうか、すでに二条御所はもぬけの殻であったか」
「そのようで。現在公方様は槇島城に入られているようにございます」
「わかった。下がれ」
しかし驚いていような、義昭も。毛利上洛のための一手であったはずの山名家の分裂には。
ときを見極めてこちらに寝返らせたのは非常に大きなことであった。
山名祐豊は分裂した旧山名領の奪還に時間を割かれ、浦上の援軍など到底果たせそうもない。
そして予定通り宇喜多は毛利の足止めに動き、奴らの足は完全に止まった。
「サルよ、播磨の国盗りはならずであったが、その調略の手腕は見事であった」
「勿体なきお言葉にございます。して名の方は・・・」
「約束通りである。国盗りならず、今後もとうぶんサルのままよ」
あからさまに肩を落とすサル。であるが、認めねばならぬ事もある。
この男はよく先が見えておる。山名堯煕をこちらに引き込んだことも、その地に尼子勝久を入れたこともサルの策であった。
そしてそれが見事に当てはまった。今頃アレは悔しがっておろうな。
早まって俺と敵対してしまったことを。であるが、まだ希望は持っておろう。
三好に松永、そして本願寺に赤井が挙兵したと思っているのだ。奴の回りは俺の配下で固めているというのに。
「しかし正直に申し上げますと、播磨に殿が入ることは未だ危険にございます」
「と言うと」
「ワシが姫路城に入ったとき、好意的に関わってきたのは小寺ではなく黒田にございました。殿に従う方々に血判をお願いした際にも、積極的にそれに従ったのはほんの一部の方々のみ。ワシからすれば別所当主の名代として参った別所重棟も危険であるように見えました。それに今は講和という形を取っている三木家もまた、本願寺が兵を挙げれば再び武器を取りましょう」
「話による解決は出来ぬと?」
「殿に播磨での調略を命じられて以降、長らく話による解決を目指してきましたがこれが限界にございます。ここ播磨はあまりにも毛利から与えられる影響が大きすぎるのです」
「泣き言など聞きたくは無い。であるがサルの言葉も尤もであろう」
俺はこの城から見える城下の様子を眺めた。
「この辺りは俺よりも義昭の影響がより大きく及んでおるのであろう。俺がこの地に入って以降、明らかに活気が落ち込んでおる。その原因がまるで俺だと言わんばかりにな」
「ですがこの城は荒木殿の城にございます。荒木殿は摂津平定において殿に協力したと聞いておりますが・・・」
「伊丹や池田も同様であった。結局は力を持つ者にすがりついてくるのだ。そしてその力が減少していると思えば遠慮無く鞍替えをする。この地の者らはそうやって今日まで生き延びてきたことを思えば仕方無いのやもしれんが、俺の影響下となった限りはそのようなどっちつかずの態度は決して許せぬ」
「背後の公方様は如何されるので?」
「放っておけ。まずは播磨からだ。毛利の足が止まっている間に切り取れるだけ切り取る。先鋒はサル、お主に任せるゆえ存分に手柄を挙げよ」
「は・・・、はっ!かしこまりました!このサルめにお任せを」
サルと入れ替わるように信忠が入ってきた。
「父上、お耳に入れたきことが」
「如何した?内密の話か」
「はい」
言いきった信忠を見て、俺は一度息を吐いた。
今まさに、という時にそのような厄介な話を持ってくるとは。信忠も分かっておらぬな。
俺が手を横に払ったことで部屋の護衛についていた者達が外へと出て行く。信忠は正面に座ると、1枚の書状を俺へと差し出してきた。
「これは」
「畠山政頼様からにございます。どうか一度父上と会って話がしたいと申しております」
「罠であるということは」
「おそらく無いかと。畠山様が恨んでいるのは父ではなく、公方様にございますれば」
「であるが俺の首を手柄に公方にすり寄るつもりやもしれぬ」
「・・・ならば私が会いましょう。父上の意向を教えていただければ、私がそれに従って」
未だに話し終わらぬ信忠であったが、俺は思わず扇子にてその言葉を遮っていた。
「俺が死ねば跡を継ぐのはお前がおる。が、もしお前が死ねば誰が俺の跡を継ぐのだ」
「・・・何を」
「畠山は信用出来ぬ故、滅ぼしてしまえと言うのではないかと期待しておった。お前に足らぬのは過激さよ。どこまでも人を信用しすぎるな」
その手にある書状を俺は引っ張って手元に置く。
「畠山の狙いが何であるか分からぬか」
「・・・何でございましょうか」
「雑賀の者らが紀伊の北部を統一し、以後は今川との関係を重視するために畿内の戦に関しては中立を表明しているのだ。さらには和泉も義継の手腕で落ち着きを取り戻した。結果として山城より最も離れた地である紀伊の南部は畿内でも有数の安全地帯へと切り替わった」
紀伊には多くの公家らが戦を避けるように下向していると聞いておる。そして氏真からの報せでは、義助の元に多くの公家らが助けを求めていると言っておった。
つまり政頼はどこかからか、義助が実は生きているということを聞いたとも考えられる。俺が義昭と対立した後、誰を擁立しようとしているのか。そこまで予想がたった今、畠山家が目指すは一度は排斥された幕政への復権。
俺も氏真も管領と管領代を断った故に、今ならばあり得ると思っているのやもしれんな。
「奴が直々に俺の滞在している城に頭を下げに来るというのであれば拒むようなことはせぬ。だがどこかに出向けというのであれば、そのような話に乗るつもりはない。そう伝えよ」
「・・・かしこまりました」
「信忠」
「はっ」
少々気落ちした様子の信忠である。であるが、すでにこの者の弟らを他家に養子入りさせているが故に俺の想いは強くなる一方なのだ。
周囲の敵に呑まれるような男になるな、と。
「もう少し物事を広く見よ。決して目の前にあることだけが全てではないと心得よ」
「かしこまりました。今の父上のお言葉、深くこの胸に刻ませていただきます」
再び頭を下げた信忠は部屋をあとにする。
それからいくらか日が経った頃の話であった。僅かな護衛を引き連れた畠山政頼が俺の前に姿を現したのは。
そして頭を下げて請うた。俺に口添えを頼みたいとな。
正直な男であるな、まことに。だがそれで良い。
武士の頭は思ったよりも重たいでな。その頭を下げたのだ、今回は信じてやるとしようか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます