354話 噂

 摂津国松永屋敷 織田信長


 1574年秋


「久秀、随分と調子が良さそうではないか」

「長らく戦漬けの日々にございましたのでな。少々休みを頂いていたのです。国には頼もしい子らがおりますのでな」

「それはよい。信忠も早くそれくらい頼もしくなって欲しいものだ」


 この屋敷は、久秀が若き頃より摂津に持っていた屋敷である。

 一時は長治ら、三好勢に占領されていたようであるが、瀬戸内方面へと押し返した際に奪還していたのだ。

 そしてつい先日、久秀はこの屋敷を受け取ると共に俺を招待した。


「して義継はどうしておる」

「倅からの報せによれば、厄介なことに公方様に目を付けられてしまいました。ですがそのおかげで懐深くに入り込むことが出来そうにございます」

「ならば良い。そのまま義昭の状況をこちらに流すよう命じよ」

「かしこまりました」


 義継や丹波の赤井はすでに俺に対して恭順の姿勢を示している。実質家臣として俺の指揮下になっているのだ。

 だが義昭はそれを知らぬ。故に俺に対して兵を挙げるよう声をかけた。

 そしてそうなるであろう事を見越していた俺は、義継や直正に対して義昭に従うように命じている。間者として情報をこちらに流すと共に、いざというときに義昭らの勢力を内から荒らすために。


「してこれらの骸骨は一体?」


 久秀は俺の前に並べられたいくつかの頭部の骨を見て、そう尋ねた。これは越前より届けられたものである。


「一乗谷城の焼け跡から発見された朝倉の者達のものである。ようやく彼の地での戦が終わったということよ」


 義景はよく耐えていたと思うがな。あれだけ家中から裏切りが頻発すれば、こちらの攻勢を凌ぐことなど出来なかったというわけよ。

 早々に畿内の情勢を読み、俺に従っておればこのような事にならずに済んだというのに。


「越前は如何されるので?」

「此度の戦、一番の手柄は長政である。浅井家に越前一国を全て譲ろうと思っている」

「それは随分と太っ腹にございますな」

「若狭を俺のものとしてしまったからな。せめてもの償いよ」


 近江を囲むように俺は兵を進めてしまった。これでは同盟という対等な関係を築いておきながら、現状長政を家臣のように扱っていることとなっている。

 それ故の詫びという意味も込めて越前を全て譲ることを決めたのだ。


「そういえば、堺の者より聞いたのですが」

「堺?如何した」

「風の噂では、関東の北条が今川様に降伏したとか」

「それは真の話か?俺の元には未だに何の報せも無いが」

「商人の耳は早うございます。そして殿と今川様の同盟による広大な地が、戦の無い安定した領地経営をされております。商人らからすれば、その領地が増えることは大きな儲け話が転がってくるのと同じなのでしょうな」


 故に耳が早いか。確かに氏真が北条を下したとなれば、佐竹らとの関係上どうなるか未だ不明な部分もあろうが、報せにあったとおりの具合であれば大部分の北条領を得ることが出来るであろう。

 そうなれば、これまで敵対していて行き来の難しかった地域での商いも可能となるであろう。

 未だ不安定な畿内での商いよりも、面白い商売が出来るやもしれん。故に堺の者達もあちらを注視するのであろう。


「北条が滅びたともなれば、これは日ノ本の一大事にございます。正真正銘、今川様は天下を二分するに相応しい実力を示されたわけにございます」

「桶狭間の後、今川は勝手に滅びると思っていたが」

「殿の予想は外れたわけにございますな」

「見事なまでにな。今川を泥船とも表現したことがあったほどだ。岡崎城で出会った今川の家臣に、俺に仕えぬかと勧誘したときのことである。今では立派に今川を支える将として奮闘しておるが」


 一色政孝。あのとき俺に仕えておれば、と何度も思ったほどである。だがこうして俺達の背後を守る頼もしい今川という存在がいるのは、あの時強引に引き抜きをしなかった俺の強運であったのやもしれぬ。


「兎にも角にも関東の情勢を急ぎ知る必要がある。人をやり、早急に報せを持ち帰らせるとしよう」

「それがよろしいかと」

「久秀、今日は随分と楽しい時間を過ごした。次に直に会うのはとうぶん先になるであろうが、それまで義継を任せたぞ」

「お任せを。といいたいところにございますが、儂の支えが無くとも義継様は立派に殿の命を遂行されましょう」

「ならば良い。それと義昭には気をつけよ。妙なところで勘が鋭い」

「かしこまりました。ではお見送りをいたしましょう」


 俺が腰を上げたことで、久秀も俺を見送ると部屋を出た。


「ではな」

「はい。次に会うのは敵同士にございましょうが」

「お前達の働き、期待している」

「ご期待に必ずやお応えいたします」


 義昭が俺に対して兵を挙げるのはいつになるであろうか。その時には、再び畿内で戦が起きるであろう。

 だが今の俺に怖いものなどそうそうない。

 全てをねじ伏せ、この地に安寧を築こうぞ。




 室町第 足利義昭


 1574年秋


「鎌倉御所が今川の手によって落とされたと?」

「駿河へと向けた者曰く、そのように」

「・・・」


 上杉は予の要請を断りおった。関東管領職を越後上杉家の世襲とするとまで言ったにも関わらず。

 政虎と違い、此度の当主には忠誠心も野心も無いと見える。

 この戦国の世に、越後1国で満足するとはなんと野心の無いことか。今であれば北条との挟撃により上野や、上手くいけば信濃まで奪還出来たというのに。

 上杉景勝、まことに頼りにならぬ男である。


「こうなれば仕方あるまい。駿河へ向けた者は今どの辺りにいるのだ」

「三河の地に滞在しているとのことにございます」

「であれば、そのまま今川の元へと向かわせよ。本来の目的は果たせぬが、今川と北条の間を取り持つことはまだ間に合うであろう。さすれば周囲の者達に幕府の存在意義を見せつけることが出来る」

「かしこまりました。そのようにさせていただきます」

「しかし最近、藤英の姿が見えぬが如何しておるのだ」

「藤英殿は体調を崩されているため、しばらくお休みを頂いているとのことにございます。療養に出たいとも申されていたとか」

「・・・そうか。病であれば仕方があるまい」


 藤英の弟である藤孝は、兄が存命であった頃に幕臣の地位を捨て今川の家臣となった。

 そのことがある故、藤英のことは警戒しておく必要があろう。予に隠れて今川に繋ぎを持とうとしていることは十分に考えられる。それはすなわち、余に対する大きな裏切り行為である。


「元政、藤英の分の仕事が増えるであろうが、今は懸命に働くのだ」

「お任せくだされ」

「それと三好義継の元に嫁がせる妹の支度もな」

「かしこまりました」


 しかし妹は此度の輿入れにあまりに乗り気で無いようである。兄を殺したも同然の三好家に嫁ぐ故仕方が無いのやもしれぬが、当人を前にはせめて隠して欲しいものであるな。

 三好家を抱き込むことは、それだけ大きな力となる。まず第一に紀伊の畠山を防ぐことが出来るからな。それに大和の松永を同時に味方とすることが出来る。

 故に義継との関係は、例え兄のことがあったとしても予が寛大な心を持って許さねばならぬのだ。そうでなければ、この局面で信長に勝つことなど到底出来ぬ。


「余は妹の元へと向かう。戻るまでは誰も寄越すで無いぞ」

「はっ」


 今日も妹の機嫌を取りに行かねばならぬな。

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