348話 躍動の水軍衆

 小田原城 今川氏真


 1574年夏


「九鬼嘉隆殿を中心に行いました三崎城への上陸は無事に成功し、三浦半島への上陸が続々と成功しているようにございます」

「良くやってくれた。これで相模での戦況に動きが出るであろう」


 これまで北条は前のめりに戦を繰り返しておった。ここ小田原城を奪還するためであろう。

 だが背後を取ったことで、こちらに向けられている兵は分散し隙も生まれるはず。


「正綱、以降も彼の地への上陸を続けさせよ。中継となる拠点を確保次第、さらに東へと上陸を仕掛けるのだ」

「かしこまりました。嘉隆殿にはそのように人をやります」

「長照、家康、野戦において無類の強さを誇るそなたら三河衆の出番である。これ以上の温存は好機を逃すであろう。出陣し、元信に代わって戦線をかき回すのだ」

「お任せください」

「かしこまりました」

「他の者にも言い伝えているが、此度の戦、活躍次第では大幅な領地の増加もあり得る。過去に色々あったとはいえ、そなたらにも十分にあり得ること。しかと励むのだ」

「楽しみにしております」


 家康と長照は同じ三河衆である忠次や数正、他多くの者達を連れて部屋を出ていった。

 しかしあの2人に三河を任せて以降、順調に彼の地は纏まりつつある。

 戦力としても申し分なく、両者過去の出来事を完全に払拭出来ていた。


「三河衆を動員することで多少なりとも戦場に変化は現れるでしょう」

「それが麻呂にとって良い方向に動けば良いが」

「そのためには北条よりも先に鎌倉公方家をどうにかしないことには、事態は厄介な方向に進みかねないかと」

「そうであるな。であるが本音を言えば、麻呂はもう今の幕府と距離を詰めたくはない」


 先日の和睦の一件。最近配下とした忍びの調べでは、手配したのは北条では無く鎌倉公方家であった。

 何故単独で事を起こしたのか。それは間違いなく身の危険を感じたからであろう。

 我らは小田原城を落とし、相模にて一進一退の攻防を繰り返している。

 だが周囲を敵に囲まれた北条。そして各地の戦況は決して良いとは言えない。

 相模の戦況がこちらの有利に傾き、戦線を東に移すようなことになれば、鎌倉公方家が御所を構えておる鎌倉など、すぐに戦渦に巻き込まれるであろう。それを避けたかったのであろうな。


「幕府に和睦の要請をしたとのこと。あれは脅しではございませんでした」

「海路にて相模に戻ろうとしていた一団の一部を捕縛したのであったな」

「はい。吐かせたところ、鎌倉御所に戻るつもりであったとか。室町第から戻って来ておったと申しておりました」

「敵ながら氏政殿が哀れよ。覚悟を持ってこの戦に臨まれておるというのに、その邪魔をされる。麻呂の判断次第で、氏政殿ら北条家の奮闘は水の泡となる。麻呂の元に差し出された子らはどうなるというのか」


 今は政孝の人脈を頼り、今川領から離れた地に逃している。ただ1人、国増丸を人質という体で神高島に残して。

 だが多くの者は、今川家の家臣であってもこの話を知らぬ。

 大事になれば、最悪多くの幼子らの血が流れることとなる。麻呂はそのようなことを望んではおらぬ。少なくともこの戦に終止符が打たれるまでは。


「その者らは捕虜として牢に入れておりますが、鎌倉公方家に何かあれば、きっと京の公方様はお怒りになられましょう」

「果たして本当に公方様が鎌倉公方家を大切に思っているかという疑問はあるが」

「はてはて・・・。あの御方は今川家を目の敵にしている節がございます。よほど幕府の要職への着任要請を断ったことが気にくわなかったのでしょう」

「違うぞ、正綱。公方様はもっと前より麻呂のことが気にくわなかったのだ。麻呂も随分と前より公方様を蔑ろにしていた自覚はあった。お互い様よ」


 まだその名が義秋様であった頃から、麻呂はあの御方を武士の長として仰ごうとは思っておらなんだ。

 かつて第13代の公方様が三好の凶刃にかかって討ち死にされた後、次の将軍に誰を推すかと求められたときがあった。

 あのとき麻呂が推したのは義秋様であったが、それも相応しいと思ったからでは無く、その将軍家を取り巻く環境を見て判断したに過ぎない。

 あの頃より幕府などきっとどうでもよかったのだ。


「将軍宣下の際、一部の大名は上洛し公方様に挨拶されたとか」

「麻呂は断った。それどころでは無かった故な」

「おそらくその際に敵味方をハッキリさせたのやもしれません」

「そうであろう。直に麻呂の悪評が広められる故、見ておくがよい。周囲の大名らから白い目で見られるの」


 正綱は苦笑いであった。あれも将軍家の悪い癖よ。


「とにかく幕府や、それに連なる者達の介入は一切認めぬ。これは我ら今川と北条の戦なのだ。両者外部からの邪魔立てなど求めておらぬ。万が一にも使者が来れば、追い返しても構わぬ。麻呂の意思をしかと相手側に伝えよ」

「かしこまりました。みなにもそのように伝えておきましょう」

「頼む」


 しかし三浦半島への上陸を果たした時点で、大きくこちらが有利になった。もう少し彼の地の制圧が進めば、北条家が現在居城としている江戸城も目と鼻の先となる。

 里見、千葉両家による房総半島の制圧具合を見ても、直に戦は終わる予感はしておる。

 そろそろ頃合いであろうな。


「十郎兵衛」

「はっ!」

「氏朝の仕掛けた火薬に火を付けよ。派手に燃え上がらせるのだ」

「かしこまりました。各城、各戦線に人を送り込みます」

「この策こそが、此度の戦の要である。失敗は許されぬぞ」

「承知いたしました」


 十郎兵衛は姿を消した。

 しかし先日政孝に紹介された忍び。元は武田家に仕えていたようであるが、実に頼りになる。

 これまで側に置いていなかったが、これほどまでに役に立つのであれば、早々に味方に引き込んでおくべきであったな。

 そうすればもう少し楽に勝てた戦もあったやもしれん。

 政孝らが重宝するのも分かるというものよ。


「三河衆が前線をかき乱せば、麻呂達も出るぞ」

「かしこまりました。いつでも出陣出来るよう、支度は済んでおりますので」

「うむ、では下がって良いぞ」

「はっ」


 正綱は下がり、側に残るは水軍を任せておる伊丹康直の長子である虎康とらやすのみ。


「そろそろ水軍に属するのも良いな。如何思う」

「父上のご活躍を聞く度に、憧れは強くなるばかりにございます」

「だが海での戦は陸での戦とは異なる。麻呂の側にいては、それを学ぶ機会にも恵まれぬであろう。どこかで海戦を学んだ後に、康直の下に付けようと思っておるのだが」


 虎康は一度深く頭を下げた。これは肯定と理解して良いのであろう。


「して、誰の元で学びたい。今であれば選ばしてやることも出来る。麻呂がそう命じれば、誰も断らぬ」

「では一色様の元で学びとうございます。あの御方の水軍は長らく今川水軍を引っ張られておりますので。一度この目でその様を見てみとうございます」

「うむ、ではこの戦が終わればそのように命じよう。政孝も嫌とは言わぬであろうからな」


 これまで何度も思わされた。何故今まで水軍の強化を進めなかったのかと。

 此度もそうである。海に強い一色、九鬼水軍を中心とした船団が三浦半島への上陸を果たした。

 もちろんその中には麻呂直属の水軍の含まれているわけであるが、やはり練度に圧倒的な差があった。

 そしてこれまでの経験を元に戦う九鬼水軍と、財力と人脈を用いて最新の技術を乗せて戦う一色水軍。もはや敵無しと言った様子である。

 現に北条家や里見家の水軍とも派手にやり合っては、各地で勝利を挙げているとのこと。

 頼もしいの一言に尽きる。


「虎康」

「はっ」

「しっかりと学んでくるが良い。これからそなたが得るであろうものは、きっとそなたにも、そして今川にも大きな変化をもたらすはずであるからな」

「かしこまりました!」


 若き力に期待せずにはいられぬな。


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