347話 暗殺騒ぎ

 武蔵国松山城 一色政孝


 1574年夏


 深谷城から南進した俺達であったが、ここ松山城の城主である上田うえだ長則ながのりが降伏勧告に従い城を明け渡したことで、一旦進軍をストップした。

 理由としては手持ちの兵糧と兵站維持の関係上、これ以上深入りしたとき枯渇の危険があるとの判断からだ。

 残念ながら武田領から侵攻した別働隊との合流は果たせていない。

 あちらも下総の守りにつく氏邦同様、氏政の弟である北条氏照の防衛戦略に悩まされているらしい。当初の快進撃はただ釣られていただけかもしれない。


「何かあればお呼びください」


 寝所の外を守る者がそう一言申して部屋を出た。

 随分と久しぶりにゆっくり眠ることが出来る。ここ最近は重治らを呼んで夜な夜な軍議やそれに近しいことをしていた。

 もう身体は限界だった。

 すぐに睡魔に襲われた俺は、あっという間に眠りに落ちてしまう。

 だがそんな幸せな時間もすぐに終わりを迎えたのだ。何者かの気配が部屋の中にあったせいで。

 うっすらと目を開けた俺は、身体を起こすことも無くその気配の元を探った。

 おそらくいるのは俺の右側足下。


「何者だ」

「・・・勘づかれましたか」

「殺気が漏れ出ていたぞ」


 本当はそのような気など漏れ出ていないのだが、あり得る可能性を先に告げた。この男の反応が見たかったからだ。

 だが狼狽えた様子も無く、男は淡々と返事をしてきた。


「そのようなはずは」

「で、何者か。その問いには答えぬのか」


 僅かな間の後、その者は口を開く。


「一色政孝殿とお見受けいたします。我ら風魔の忍びを一色殿の元で雇って頂きたい」

「風魔?代々北条に仕えてきた忍びであろう?ここに来て北条を見限るか?」

「北条が生きながらえる故、共にしていただけの話。今となっては存続が危うい故、そろそろ潮時であると一族の者達が判断したのでございます」

「何故俺の元に来た。風魔の忍びであれば当然知っていると思っていたのだがな」

「尾張の忍びを雇っておられることは存じております。ですが我らであれば共存もまた難しい話では無いかと。得意分野が全く異なりますので」

「そこまで知っているのか。ならば風魔の得意分野とは何である」


 この問い。

 その答えを待っていたのだが、僅かな違和感があり俺は咄嗟に布団から飛び上がった。

 枕元に置いていた刀に手を伸ばす。

 しっかりと掴んだ村正を引き抜き、月明かりによって僅かに煌めいたその者の刀身めがけて、引き抜いた村正をぶつけた。

 キーンという甲高い音が鳴り響く。


「やはり実力は本物でしたか。気配を察知された段階で逃げるべきでした」

「そのようだな。まさか俺も目がまともに使えぬ中で、短刀を弾くことが出来るとは思ってもみなかったが」


 あまりの生命の危機に手が震えていた。

 だがそれは逆に言えば、確かに生を実感出来ているとも言える。

 だがあれだけの音が響いたというのに、外にいるはずの兵達は誰も入ってくる気配がない。


「・・・この城で何人殺した」

「外の見張りを2人、部屋を囲むように潜んでいた忍びを3人ほど。本当はもう1人増える予定でしたが、正面より斬り合うことは得意としておりませんのでここまでのようです」

「負けを認めるか」

「今は、ですが。またどこかで会えることを願っております。では御免」


 障子を突き破って外へ飛び出たその男は、月明かりにて僅かに顔を晒したが、その顔というのも布で覆われていたせいで特徴を掴むことが出来なかった。


「風魔・・・。俺を暗殺しに来たか」


 いつかは来るであろうと覚悟をしていたが、まさか一番気を抜いた今であったか。

 油断も隙も無い。

 いや、戦場であるのだ。油断などしてはならぬのだが、どうしたって気が抜けてしまう。

 あっさり城を落とした後であるからな。狙われたのかもしれない。


「殿!?これは一体」

「頼安か。やられたわ」


 おそらく外の兵の惨状を見て、大方察しているであろう。心底悔しげに、だが申し訳なさそうな顔をしていたが、俺はかろうじて無事である。

 それよりは今後のために対策を練るべきであろうな。

 こうして俺が暗殺の危機にさらされたのは初めてであったから、今後対策をしていけば良い。

 だがそのために5人の犠牲を出してしまったわけであるが。


「その者、風魔と名乗っておった。北条を見限り、俺の元で雇って欲しいと言って来おった」

「ですが落人殿のことがあります。2家の忍びを雇えば後々問題が生じる危険性も」

「俺もそう思った。だが得意分野が違う故、問題ないと返事してきた。その得意分野を聞いた途端に短刀を抜いてきおった」


 今日の天気が曇りか雨か。とにかく月が出ていなければ俺は死んでいたかもしれない。

 より確実を選ぶのであれば、月の出ていない日に実行すべきであったのだ。だがおそらく風魔の忍びは俺の油断と天候を天秤にかけて今日を選んだのだと思う。

 俺の刀の腕前は大したことが無いとの認識であったのかも知れない。本当に命拾いをした。


「殿に危険を与えたのは間違いなく俺の不手際にございます。罰は如何様にも」

「罰は与えぬ。忍びの暗殺に備えるにはそれ相応の訓練が必要であろう。頼安、今後はその備えを兵達にさせよ」

「罰を与えて頂けぬと申されますか?ですがそれだと殿の、そして俺の面目が立ちません。何か形だけでも」

「ならそうだな・・・。演技でも練習するか」

「演技、にございますか?」

「あぁ。外の者らを弔ってやる際、思いっきり泣いて詫びろ。そして周りにいる者たちに誓えば良い。もう二度とこのような死を迎えさせぬ、と。見ている者達の感情に刺されば、お前を咎めたり軽蔑する者は出ないであろう」


 外で殺された兵達を見に行くと、目立った外傷は無かった。

 死因はおそらく首に刺さっている小さな吹き矢による毒殺か。

 手を合わせて頼安に後を任せた。翌日にでも弔ってやろう。

 生まれ故郷に埋めてやることは出来ぬが、それは最早仕方が無い、このような時代故、我慢して貰うほか無い。


「もう今日は寝られぬな」

「俺もこの者らを思うと悔しくて寝ることなど出来ません。戦場で無いところでこうして人が死ぬのは余計に辛いこと」


 頼安の言葉は決して演技では無かった。本当に悔しげで、この者達に対して申し訳ないという気持ちが漏れ出ている。


「そうだな」


 そんなとき、僅かに廊下の向こう側が明るく照らされる。

 誰かがろうそくに火を付けて、こちらに来ているようだった。

 ジッと目をこらして見ていると、それは眠そうな顔をしている重治。


「このような時間に何をされているのですか?・・・その者達、死んでいるのでしょうか」

「あぁ。つい先ほど風魔の忍びによる襲撃があった。狙いは俺であったが、失敗したと判断した途端に逃げていったわ」

「暗殺にございますか?ですが殿を襲うとは」

「的確の一言に尽きる。此度の関東出兵は一色保護下の商人らが全面的に協力している。もし俺が死ねばその動きが鈍ることは間違いないからな」

「ご無事で安心いたしました。ですがこの者達には悪いことをしましたね」


 重治もまた手を合わせた。

 その後、他の者達を呼んで殺されたと言われていた忍びの亡骸も丁重に部屋へと出してやる。

 この者達の亡骸は、後々落人へ渡すことになるだろう。

 あとのことは栄衆のやり方に任せることになる。


「明日、長則殿に聞かねばならぬな」

「正直に申しましょうか?」

「わからぬ。だが知っていたのかどうかは確認を取らねばな。でなければ安心して味方になど出来ぬ」

「もし本当に何も知らなければ?」

「俺達の兵糧事情を知られていた上で、この城に留まる今日を狙われた。それもまた十分に考えられる」


 というのも、この城の城主である上田家は過去に何度も主家の鞍替えを繰り返しているのだ。

 長則殿の父である上田うえだ朝直ともなお殿の話である。

 最初はここ松山城主であった伯父の難波田なんばだ憲重のりしげと共に、扇谷上杉家の当主であった上杉うえすぎ朝定ともさだに仕えていた。だが河越夜戦にて山内上杉家・扇谷上杉家・古河公方家を中心に結成された反北条連合は大敗し、朝定と伯父の憲重は戦死した。これにて最初の主家であった扇谷上杉家は滅亡している。

 その後、縁戚関係であった太田おおた資正すけまさに従い、資正が太田家を継承するために岩付城に入ると、元々資正が入っていた松山城を任されている。だが朝直殿は、城ごと北条氏康に寝返った。

 そして越後上杉家が関東に介入し始めた頃、今度も城ごと上杉へと寝返っている。その際、松山城は上杉の命で太田資正が城主に任じられた。

 さらに上杉が越後へ戻った頃、北条への帰参が許された朝直殿は本貫地である秩父郡への移動を経て、武田・北条の連合で奪取した松山城へ再三の入城を命じられた。

 こういった経緯もあって、最初から目を付けられていたのかもしれない。次は今川に寝返るであろうと。


「ともかく明日だ。此度は生死の境を彷徨ったせいで気分が昂ぶっている。まだ寝られそうも無い」


 もう少し身の回りの安全を確保しなければならないな。でなければ、安眠出来る日など来ないであろう。

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