334話 将来への投資

 大井川城 一色政孝


 1573年冬


「まず最初に彦五郎より相談を受けていた件についてだ」

「彦五郎殿にございますか?いったい何を」


 基本的に内政ごとを統括している昌友も、これに関しては耳にしてなかったらしい。

 まぁ変な噂などたっても困るし、彦五郎の判断は間違っていないわけだがな。


「私もよい歳にございます。そろそろ一色村の代官を誰かにお任せしたいとお願いしたのです」

「その通りだ。して誰を次の代官に置くかだが、とりあえずは長らく彦五郎の補佐をしていた房介にしようと思っている。故に福浦より呼び戻そうと考えているのだが、昌秋よ、どうだ?」

「房介殿にとっても非常によい話であることは重々理解しておりますが、そうなれば今や重要地域の1つである福浦の港、水軍の発展に遅れが生じることが予想されます。その辺り、如何いたしましょうか?」

「そのことも考えている。昌友に預けていた家利を福浦に向かわせる。元は家房に付き従って海に出ていた故、ある程度は勝手が分かるであろう。とうぶんは彦五郎の補佐の下で、その任について貰おうと思っている」


 ちなみに代官としての役目を終わりたいと申し出た彦五郎であるが、海の仕事に関しては今後も継続して務めたいと言っていたが故の配置換えだ。


「家房、そなたは如何思う」

「はっ。倅は荒事には向いておりませんが、こと内政に関しては昌友殿のお墨付きを頂いております。どこに向かわせても、殿にご満足いただける成果を出すかと。それに我が水軍は家清がすでにその実力を周りに認めさせつつあるので、安泰にございます。どうか思う存分使ってやってくだされ」


 家清とはかつて俺に小姓として仕えていた二郎丸のこと。勘吉や義兼が俺に仕えるのと入れ換えに、父家房が指揮する水軍へと配属した。

 順調に受け入れられているようで、俺としても嬉しい限りだ。


「ということだ。昌秋、どうだろうか?」

「いえ、そうであるならば何ら不満はございません。福浦に戻り次第、房介殿に伝えましょう」

「頼む。それと今こちらに残している昌頼も福浦へと連れて行け。信綱に師事させよ」

「かしこまりました。いずれ立派な跡継ぎとなるべく、しっかりとあちらで育て上げましょう」

「期待しているぞ。それとこれも道房に伝えよ」

「何と伝えましょうか?」

「道房の次子である吉房も大井川城から一色村へと移す。房介の補佐として、そしていずれあの地を任せようと思っているとな」


 そう。今回俺がしようとしていることは、若手の育成だ。

 今名前が出た者達の多くが、元服を果たしたばかり。

 その者らは本拠地である大井川領で、内政の基本を昌友から学び、時宗や時真、鶴丸の傅役としている佐助から戦のいろはを学んでいた。

 だがそろそろ実践に移る頃合いだろう。初陣も直にある予定だ。

 家清・家利の小山兄弟、昌頼は昌秋の長子、吉房は道房の次子。10才以上25才以下の者達であり、鶴丸が何事も無く一色家を継いだとき、間違いなく主力となる者達である。

 それに加えて昌友の元で一色分家の当主としての役目を色々学んでいる昌成、いずれは一色家の迎え入れる虎松、今頃重治にしごかれているであろう時忠、そして商人との仲介や交渉を受け持つ高瀬など将来有望な者達はとにかく多い。

 多いからこそ、そろそろ様々な経験を積ませる頃合いなのだ。


「なるほど。ではそのようにお伝えいたします」


 今後福浦に関しては昌秋の血筋に託すつもりでいた。

 故に子である昌頼もいずれは福浦城の城代としてあの地を統治していくことになるだろう。

 今からでも十分に昌秋のその様を目に焼き付けておくべきだ。そしてそれは一色村の代官補佐に任命しようと考えている尾野吉房も同様である。


「鶴丸が一色家を継いだとき、現役でいるものはそう多くは無いであろうし、そうならぬよう願っておかねばならぬ」

「たしかに」


 昌友が頷き、みなも同じく相槌をうつ。


「今が一色の最盛期であったと言われぬように、各々後継の育成をしっかりと頼む」

「かしこまりました!」


 昌秋が最初に頭を下げた。元々昌秋は一色分家を継ぐことができない立場だ。

 昌友はいっても優秀な男であったし、昌秋は何よりも次子であった。だから今川家が桶狭間以後の勢力のままであれば、いち将として生涯を終えていただろう。

 だが今、昌秋は大きくその未来を書き換えた。

 一色の本領である大井川領から遠く離れた、しかも北条との最前線と言っても過言ではない地域を任されている。

 それ故一番力が入っているのかもしれない。


「さて、家中の話ばかりして悪かったな。熊吉」

「滅相もございません。むしろそれが御武家様の本分にございましょう。それに商家の長として、今後も一色様が安泰そうであると再確認いたしましたので、それだけでもみなに成果として言い聞かせることが出来るかと思います」

「それはよかった」


 俺は熊吉の方へ身体を向けると、早速こちらの本題へと入る。


「して、例のものは出来たか?」

「はい。ご命令通りにさせていただきました。こちらがその証にございます」


 熊吉は自身の背後より、分厚く纏められた紙を俺の目の前へと差し出した。墨のしみこみ具合からも分かるのだが、目一杯に文字が書かれている。


「殿、これは?」


 昌秋はこれに関して何も知らない。知っているのは俺が昌友に命じて、熊吉に実行させたからこの3人と当事者である商人達だけであろう。


「これは所謂誓書だな」

「誓書、にございますか?」


 昌友が何気ない仕草で、俺の手が届く場所へとその紙を押してくる。それを手にして、折りたたまれたその紙を広げてみた。

 広げた紙には所狭しと大量の名前と血判が押されており、すべてが見慣れぬ名ばかりである。


「これは新たに一色保護下に入ることを決めた商人達の名だ」

「商人達・・・。あぁそういうことにございましたか」


 彦五郎は納得したと頷く。


「その通りにございます。ここにあるは新たに一色様の保護を得たいと申し出た者達にございます。ですが我らは無償で保護を受けているわけではございません。我らのすべきこと、そして商家保護式目の遵守など全てを約束出来る者達が署名しております。逆に言えばここに名があるにも関わらず、式目に反するような行いをした者は、我ら代表者をもってしても庇うことは出来ませぬ。如何様にも処罰していただければと」


 大井川の商人達は、一色家が長らくこの地を統治し、当主の実力をある程度認めていたためにこのようなまどろっこしい真似をする必要は無かった。

 当然だがかつては俺を侮った商人が式目に反するような真似をして、処罰の対象になったこともある。僅かな例ではなるが。

 だが余所に出れば余計に起こりえる話だ。

 だから先に誓わせた。もし反した行いをすれば熊吉達も助けを出さないことは伝達済みである。

 またこれを機に、『大井川商会組合』から名を改め、『一色商会組合』とした。これも他領への配慮の1つ。


「さらにこちらが新たに任命した代表達の名にございます。元からの方々に加えて、一色村と福浦城下、そして高遠城下から選びました。少なくとも代表不在の不平は多少減らせるかと思います」


 内訳としてはそれぞれの地から2人ずつ。

 当然大井川領に本拠を持つ商人達の権限が未だ強いが、それは大井川城を一色家が本拠地としているが故であると思って貰わなければならない。

 事実今一色領内で最も栄えているのは、やはり大井川領なのだからな。


「わかった。これでよろしく頼むぞ」


 熊吉は庄兵衛から長の座を引き継いで以降、よくやってくれている。

 喜八郎や他の代表らも手を貸してくれているらしい。有り難い限りだ。


「みなにも伝えておく。かつて俺達は今川家の財源を確保するための役割を担っていた。商人の協力を元から取り付けていたこともあって、当時は十分にその役割を果たしたであろう。だが今は違う。各々が今川家の為、そして一色家の為なるよう様々な方面より尽力せよ。それが我らの子や孫、その子孫らを守るための唯一の道である」


 人材不足を嘆いた頃とは違う。将来はきっと今以上に一色家は大きな存在となれるであろう。

 そう期待せずにはいられなかった。

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