328話 悪天候

 志賀川流域 一色政孝


 1573年秋


 数日前、西牧城に入っていた長野業盛隊が西に向けて兵を動かし始めたと報せを受けた。

 予め決めていたとおり武田の本隊は志賀城に留まり、他今川武田の連合軍が内山城と平賀城、そして五本松城へと入城。

 俺達は志賀城の東に位置する笠原城に入り奴らの背後を狙っていた。その後も随時栄衆のもたらす情報を頼りに俺達は山越えを実行する。眼前にある山を越えて下れば、業盛らが沿って進軍してくると予測される滑津川流域に出られるはず。

 一色勢には土地勘が全くと言って良いほど無いため、武田家の案内役に先導を頼んでの進軍となる。


「しかし風が強いな、空も暗い」

「確かに。山を越えた先で一度休息を入れた方が良いかも知れません。このまま強引に兵を進めれば士気が著しく低下していることも予想されますので」

「たしかにそうだが、よくわからぬ山中での休息も兵らの内面に良い影響を与えるとは限らぬ。安息の地はまだ遠いのやもしれん」

「かしこまりました。ですが本当に危険であると思えばそこで兵らの歩みをお止めください」


 重治はそう言って列の前の方へと進んでいく。そんな俺の隣に義定がやって来た。


「もうじき雨が降るやもしれません。ちょうど良い場所での停止を進言いたします」

「分かるのか?」

「はい、寺にいた頃はよくやっておりました」

「その予測はどの程度当たる?」

「そうですな・・・。ですが10度読めば、半分以上は当たるかと」


 的中率は50%ちょっとといったところか。だが季節的に考えれば、この風、そしてこの匂いと湿度は台風を思い出させる。

 これは義定の経験なんかよりもっとアテにならない、俺の懐かしい感覚程度の話。


「雨が降る前に山に籠もれば、しばらく寺に戻ることが出来ません。それ故に雨を読んでおったのです」

「なるほどな。実は先ほど重治からも兵を休めるよう進言があった」

「ではちょうど良いではありませんか。それに奇襲を実行する前に我らが疲弊していては元も子もないでしょう」

「それもそうか。わかった、2人の案を採用してこの後しばらくしてから休息を取るようにしよう」


 義定は頭を下げて、やや後ろに下がる。何やら時忠が義定に聞きに行っている様子であったが、流石に声までは聞こえなかった。

 その後しばらく、歩を進めれば進めるほどに雨の匂いを感じ始める。まだ俺達がいる場所には雨も降っていないが、ここより近いどこかですでに降り始めているのかもしれない。ちょうど滑津川側の中腹辺りで、休めそうな緩い勾配の場所がある。


「時忠、全軍を停止させよ」

「かしこまりました!」

「ついでに雨に備えるよう伝えよ」

「はっ!」


 時忠は馬の腹を蹴って列の先頭の方へと駆けていった。残された義定は馬から下りて俺の指示を待っている。そしてそこに重治もやってきた。


「しばし休ませる。その後は一気に山を下りたいところだが」

「もし雨が本当に降れば、川の側にまで下るというのは危険です。下手をすれば我らも呑まれかねません」

「そうだな。西の空が相当に暗い、あれは間違いなく降っているだろう」

「しかしそうなれば山中で雨を凌ぐというのもなかなかに危険な話です」


 万が一の土砂崩れ、万が一の川の氾濫。最悪はいくらでも想定出来る。

 この時代に天気予報がないことで、思いも寄らぬ窮地へと誘われた。


「とにかく無駄な被害は防ぐよう努めよ。崖の側では休ませるな、水場の近くも厳禁だ」

「かしこまりました」


 重治は頭を下げて離れていく。

 俺達も陣を張らせようかと周りを見ていたところで、側に何者かが寄ってきたような気がした。

 何故姿を現さないのかはともかく、察知出来たのは栄衆との繋がりが深い故だったのかもしれない。


「お報せいたします。この地より少し下ったところに、長野業盛隊も待機しております。当初予測していた滑津川よりも北にございます」

「・・・そうか」

「では」


 名乗りもせずに離れていった。つまりは栄衆の者では無い。

 おそらく勝頼殿の目、という可能性が有力か?偽報で無いのであれば、だがな。


「義定、この地の周辺の安全を確保したい。物見を出すよう手配してくれ」

「物見にございますか?ですが今は物見とはいえ、動かすことは危険であるかと思いますが」

「安全確保を怠って、俺達が全滅する方が危険だ。我らはすでに孤立した場所にいることを自覚せよ。敵が俺達の思惑通りには動くと勘違いするな」

「申し訳ございません!気が抜けていたようにございます!すぐさま」


 そう言って義定もまた物見の支度のために走っていった。すでに俺が留まる陣は完成しており、しばらくはここで過ごすこととなる予定だ。

 業盛らがこの近くにいないのであれば、の話ではあるがな。だが、もしいた場合はすぐさま動かなくては、あちらに察知されれば蹂躙されかねない。


 それからしばらくして義定が血相を変えて戻って来た。


「どうだった」

「この地よりやや下ったところにおそらく長野隊と思わしき一団が休息していたとのことにございます。幸いにもこちらに気がついていないようですが、如何いたしましょうか?すぐさま攻撃を仕掛けましょうか?」

「そうだな・・・」


 本当は油断している背後を急襲するか、敵の退路に網を張り一網打尽にする予定だった。

 だが休息している最中を奇襲するにしても、やはり俺達は孤立している上に兵数は圧倒的にこちらが下回っている。

 立て直された後は一気に不利となるだろう。そうなったとき、内山城やその他の城からの追撃隊が間に合うのかと言われれば、この雨を考えても絶望的であると言えた。


「今は迂闊に動けない。こちらの被害を極力減らして今回は勝ち戦としたいのだ」

「ですがそうなると、この場からも動けませんが・・・」

「幸いにも天気は雨だ。俺達の存在をかき消してくれるであろう」

「そう祈るしか無いということですか」

「そうだな」


 雨がぽつりぽつりと降り始める。兵には長野家の存在を知らせず、ただ何があるか分からない故に静かに過ごすようにだけ命令した。

 あとは奴らが動き始めるのを待つだけ。奴らが完全に内山城を標的としたころにこちらも動く。それがおそらく最善、のはず。


「長い夜となりそうだな」

「まことに」


 とにかく今は耐えるとしよう。




 京 明智光秀


 1573年秋


「明智殿、京に戦火が及ぶことはあるのであろうか?」

「現在は我ら織田家と赤井直正様が京の守備についております。すでに山城国内には三好家が侵入してきておりますが、京には一歩も入らせておりません」

「そうか、織田の精兵が護衛してくれているというのであれば安全でありましょうな」


 関白二条晴良様は一度軽く息を吐かれた。

 その隣におられる九条兼孝様もまた安堵の表情をされている。


「しかし義秋殿は如何されておるのか?こうして京に入った限りは、両家の方々と共に京を守ってくれておるのでありましょうな?」

「はい。今も朝廷に賊が侵入せぬよう、守りを固めておられる頃であるかと」

「頼もしいことです。そうですね、父上」

「まことにな。織田殿とともに兵を率いて入京しただけはあるわ」


 二条様は義秋様の推挙によって関白へと再任された。そのあたりの事情からも非常に恩を感じられている様子。

 対して九条様は少々異なっていることがうかがえた。先ほどは共に義秋様を持ち上げるようなお言葉を口にされていたものの、どこかそう褒め称える表情は冷めておられる様子。


「父上、少々明智殿と話がしとうございます」

「そうか。儂も三好の侵攻と聞いて少々気をはっておったのだ。少し休むぞ。その後は主上の元に向かわねばならぬでな」


 そう言われた二条様は部屋を後にされる。残された私はどうしたものかと、九条様を見た。するとやはりさきほどの笑顔はまるで嘘であると確信を持たされる。


「明智殿、改めてお尋ねしますが義秋殿は今どこにおられるのでしょうか?」

「・・・」

「やはりそうでしたか。もはや京に戦火が及ぼうとて守りにも出ぬのですな、あの男は」

「そうではないのです。義秋様もできる限りを尽くしておられる」

「今の義秋殿に求めることは数少ない。結局我らが待っていたのは義秋殿では無く、織田殿という強大な力を持つ者であったということなのでしょう。事実、あの男に将軍宣下がされて以降、なんら今の状況は好転しておらぬのでな」


 九条様が信長様に対して大きな信頼を置かれているというのは朝廷に出入りする関係上知ってはいたが、まさかここまでであったとは。

 そして義秋様に対して何ら期待を持たれていない。

 これが先ほどの二条様との差、ということか。


「明智殿、近う」

「はっ」


 九条様に呼ばれるがままに側に寄る。側に寄れば分かった。この御方も相当に苦労されているというのが。

 だがそれを今の今まで気がつかせなかったというのは、よほど周りに気を遣われているということか。


「麻呂は将軍が義秋殿である必要は無いと思っておる。父上はそう思わぬであろうがな」

「・・・何を仰られているのです?」

「正直に言えば、義助殿は思った以上にやり手であった。長らくその本分を果たさなかった将軍家が久しく機能したのは、後ろ盾としていた三好家の介入をほとんど許さなかったが故であろう。それは三好が弱っていただけなのか、はたまた義助の力量であったのか」


 信長様も似たようなことを申されていた。だが、一度頼ってこられた義秋様を捨て置くわけにはいかないと上洛を決められた。

 すなわち信長様もまた義助様を認めておられたということ。


「朝廷との関係も着実に修復しておった。だが麻呂は・・・、麻呂はな、三好と手を組む近衛殿が主上ですら止められぬほど大きな存在となることが許せなかったのだ」

「・・・」

「愚かなことをしたと思ってはおらぬ。今は後悔している場合では無い」

「今のお話をどうして私に?」

「織田殿にどうか伝えて欲しい。もし足利家を見捨てぬと言うのであれば、義助殿のことをよろしく頼むと」

「よろしいのですか?」

「義秋殿よりは随分と良い。我が儘な話ではあるがな」


 話は終わった。直に信長様も京に入られる。

 今の話、一応伝えておくとしよう。もし信長様が将軍家に対してまだ思うところがあるというのであれば、きっと今の九条様のお話に興味を惹かれるはずであろうからな。

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