325話 火縄銃の産地
三峰館 一色政孝
1573年秋
この1年はまさに激動であった。今川を取り巻く環境も大きく変わり、新たな同盟相手である上杉が出来た。
そして信濃の大部分を今川領として、上杉家の親北条勢力の排除にも尽力した。
上杉景虎もまた関東武者として最期まで顕景と戦ったのだという。圧倒的劣勢であるにもかかわらず、前線へと打って出て、最期は顕景のいた本陣に迫るほどの大立ち回りであったらしい。
その首は顕景によって丁重に葬られた。御館の乱よりも早く始まった御家騒動は顕景の勝利で幕を閉じたのだった。
「そしてそのまま上杉家の家督を継承。政虎は関東管領職をついに辞し、いよいよ正式に山内上杉家にその職が戻ることとなったわけか」
「上杉憲景様は中立を表明しようとされていたようですが、北条からの圧力に屈し、半ば属国のような扱いを受けております」
「氏政の弟の退路を上野統一の好機とみて、恩人である越後上杉からの要請だと沼田城を攻撃したのだ。氏政に恨まれても仕方あるまい」
ただ氏政の言い分は、北条が支えている鎌倉公方を助けるのは関東管領の務めであるのだから関東管領である憲景は足利義氏に従うのは当然だ、というのである。
これが一昔前ならば鎌倉公方対関東管領という構図になったのだろうが、今は両者にともに力が無い。沼田を押さえ上野の大部分を手中に収めている山内上杉家であれば、鎌倉公方よりはマシであろうが、その鎌倉公方を囲っているのが北条なのだから結局憲景に勝ち目は無いに等しい。
つまり一番関東で力を持つ北条の言いなり状態だ。
「昌続、ここまでで良い」
「かしこまりました。外でお待ちしましょうか?」
「この館にはまだ空いている部屋が多かったはず。侍女に案内して貰うがよかろう。終われば呼ぶ」
「かしこまりました」
ここ三峰館は高遠城を南に進んで少ししたところにある、最近建てた館である。住んでいるのは信濃衆が差し出した人質と、その世話役ばかり。
館の主は予め決めていたとおり菊。ついに完成したため、来年には今川館にいる人質達が送られてくるはずだ。ただし妻を人質として出していた義昌殿のような方にはすでに領地へと送り届けている。
そして代わりの人質はすでにこの屋敷に移り住んでいるのが現状だ。
「小柴、菊と今話すことが出来るだろうか」
「姫様にございますか?今は・・・」
「何かしているのか?」
「暮石屋様より館内の装飾に関して色々相談されているようでございまして」
「ならば少し待ってみる。空いている部屋はあるだろうか」
「ではご案内いたします」
小柴は側に控えている別の侍女に後を託して、床から立ち上がった。
長らく座っていたはずだが、それを苦にした様子も無い。さすがに忍びとして鍛えられているだけはあるという感想を抱きつつ、その小さな背中を追う。
しばらく歩いていたのだが、1つだけ思ったことがある。この館はあまりに大きすぎる。
設計は全て保護下の商人や職人に任せたのだが、下手な城よりもよほど広いとさえ感じてしまう。
「申し訳ございません。なにぶん、これらの部屋は全てこれより送られてこられる方々の部屋として決められていますので」
「いや、気にするな。ただ少々・・・、驚いているだけだ」
にしても菊に一任した館内の装飾も良い。
大井川城の内装もよく観察しているようであったためか、俺の趣味と合いすぎる。
そんなとき、廊下の奥の方から誰かが歩いてくる音が聞こえた。聞き慣れた声も聞こえ、小柴は足を止める。
『では近く、それらの品をお持ちいたします』
『お願いいたします。代金は全て大井川城の一色昌友様へとお願いいたします』
『かしこまりました。旦那様にもそうお伝えいたします』
そして足音は2つに分かれる。1つは遠のいていき、もう1つは軽やかな足取りで俺達の方へと寄ってくる。
そして曲がり角を曲がったところで、立ち止まって会話を聞いていた俺達が視界に入ったのだろう。
慌てておしとやかに歩き始めたが、姿が見えない内のスキップでも始めるのかと思わせるほど軽やかな足音は今更どうあがいてもリセットされることはない。
俺は小柴を追い抜かし、菊の正面に立った。見上げてくる可愛らしい菊であるが、俺に嫁いできた頃に比べて随分と大人びたものだと改めて思う。
歳でいえば16か、その辺り。夫婦として何らおかしくない年齢になったのだとようやく思えた。本当にようやくだ。どれだけ歳が離れていると思っているのだ。
16の菊に対して、俺は30を越えているわけだからな。
「菊、そう恥ずかしがらずとも良い。いつものことであろう?それよりも少し話がしたい」
「はぃ。かしこまりました」
もう腕白でごり押しする菊はいないのだろうか?恥ずかしがる菊はそそくさと空き部屋へと歩みを進める。
そして広い部屋へと通された。高遠城にもある広間と似たような作りをしている。
本来この館にそのような役割を求めることはないが、これも菊の趣味だ。俺は管理を任せた者として何も言わない。
「それで話というのは?」
「いつだったかに話をしたであろう?俺がみなと上杉の話をしていたときのことだ」
「その時のことならばハッキリと覚えております。ですがそれが何か?」
「菊はあの時、商人に常陸の話を聞いたと言っていたな」
「はい。ですがそこまで詳しくは聞いておりません」
「それでも良い。その時聞いたことを全て教えてくれはしないだろうか?」
昌友から返事があった。時忠は今川館に行っているため、別に人が送られてきたのだ。
それによれば、やはり源左衛門も源四郎と似たような話をしていたという。
つまり雑賀には一時期とはいえ、俺以外に関東方面からの客がいた。
当時は大量の火縄銃を買い込んでいたのだというが、今は全くと言って良いほどに雑賀で買い付けていないらしい。
「あのとき話さなかったことにございますか?話さなかったこと、話さなかったこと・・・」
そもそもこの話をした日自体がそこそこに前である。思い出せないのもまた無理はない。
だが話次第では、一時マイナスとなった黒幕探しが一気に進展しそうなのだ。
「あぁ、そういえば・・・」
「そういえば?」
だが菊はそれ以上口にすることなく、口を閉ざした。
閃いた!といわんばかりに笑顔に成ったかと思えば、直後には急に顔を朱色に染める。そして手をもじもじさせ始めたかと思えば、俺へと期待を込めた視線を送り始めた。
「菊?」
「そろそろ私を妹のように扱うのはお止めください。私も今であれば子を成すことが出来ます」
「・・・」
「まだ私では幼いでしょうか?」
「そういうわけでは無いのだがな。だが」
「では問題ないではありませんか」
菊もついにそういった感情に目覚めたのか。別にそれが悪いことだとは言わないが、なんとなく高瀬同様妹のように接してきた菊を、妻として見て欲しいと言われたことに衝撃を受けた。それはショックだとかそういうことでもない。
「いや、悪かった。俺がそれとなくそういう扱いをすることを拒んでいたのだ。だがそうだな、考えを改める。これで良いだろうか?」
「はい。あとは行動で示していただければ嬉しく思いますが・・・」
また菊は視線を泳がせる。恥ずかしいのであれば言わなければよいのだが。
「わかった、約束だ」
「まことにございますか?」
「あぁ、だからこの話は一度やめとせよ。顔があまりにも赤くなっているぞ」
慌てて自身の顔を隠すように手の平で覆った。そしてその隙間より俺の様子をうかがうようにチラッと見てくる。
こういうところが未だ妹のように見えてしまうのだ。そのことを自覚していないらしい。だが俺がこの話を一度止めるように言った。これ以上は掘り返さない。
一度咳払いをして話を強引に切った。そして改めて菊の顔を見る。
「先ほどの話、続きを聞いても良いだろうか?」
「あ、そうでした。そのとき、確か別の事も話されていました」
「別の事とは?」
「常陸では、というよりも佐竹家の領内では火縄銃の製造が進められているようです。大々的にとり行っているようで、佐竹家の政策として堺や国友から鍛冶職人を招いて領内生産をしているようです。すでにその領内生産での所有数が大きく増えており、北条の保有する火縄銃の数すらも凌ぐほどであるとか」
北条がどれほど持っているのかなど、外の人間が正確に把握しているわけもないので、多少なりとも誇張してあるとは思う。だが佐竹も火縄銃の生産に手を出していたとは。
おそらく様々な火縄銃を買い漁っていたのは、領内で作るためのサンプルを得ていたのだと思われる。
「実際にその商人は火縄銃を製造しているところを見たと言っていたか?」
「いえ。ですが佐竹家は優れた冶金技術を用いて、領内の金山を有効利用しているとも言っておりました。そのおかげで豊富な資金があるのだとか」
「ずいぶん色々聞いているではないか。何故あの時言わなかったのだ」
「・・・忘れていたのでしょうか?」
俺に聞かれても困るが、その菊に色々言い伝えた商人はあまりに立派な置き土産をしてくれたかもしれない。
今度この地にやって来たときには、盛大に礼をしなくてはならぬ。
「まぁよいか。菊、よい話を聞いた」
「お力になることが出来たでしょうか?」
「十分すぎるほどにな、先ほどの話はいずれ近いうちに。覚悟しておくのだぞ」
とりあえず城に戻って重治らと策を練ろう。ついでに常陸に改めて注目しなくてはならぬ。
佐竹家を蘆名の背後にいる最有力として、探りをいれてみるとしようか。
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