254話 復讐の連鎖
大井川港 一色政孝
1570年冬
夜も更けた頃。昼間は活気のある港も、さすがにこのような遅い時間ともなれば静まりかえっている。
そんな中、海賊もどきの討伐作戦は島長の協力もあって思った以上に早く決着が付いた。
俺達の前には神高島へ入るべく、近海に姿を現した者たちが縄に縛られて地面に座っている。
その中でも1人。俺とそれほど年の変わらぬであろう男が強く睨み付けてきていた。
未だその理由は分からぬまま。
「そろそろ話してくれても良いのではないか」
「・・・全員をここに呼べ。でなければ何も話さぬ」
「そのようなことをお前ごときが決められるはずもないであろう。まずはその理由を述べろ、でなければずっとこのままだ」
舌打ちをした男は一瞬俺から目を切り何かを見ている様子であったが、すぐにまたこちらを睨み付けている。
だがそれ以外の捕縛している者は、今の状況をとても恐れているように見えた。ならばコイツだけが俺に対して強い憎悪を抱いているのであろうか。
分からないことだらけのまま、すでに何度目かの問答を繰り広げた。
「・・・話が進まぬ。ならば良い」
俺が手を挙げたことで、やはり他の者らは恐ろしげに身体を震わせた。
これでようやく確信出来た。この男と他の者たちは根本的に目的が違うのだと。結果が違うだけで、その過程は互いに利があるから共に行動していたのだと。
「道房、他の方々をここへ」
「よろしいのですか?」
「でなければ話がいっこうに進まぬ」
「かしこまりました。少々お待ちを」
わずかに口角をあげた男。ようやく睨む、憎悪以外の感情を見られた気がした。ただ俺に対して負の感情であることには変わりが無い。
「ようやく話が出来そうにございます」
「はい。ただ未だ油断は出来ません。この者らが何を考えているのやら、まったく見えないので」
澄隆殿の言葉に俺は相槌を打ちつつも、いくつか想定されることを一通り頭の中で思い描く。
1番有力なのはやはり里見の工作。
今川と北条の戦端を開くこと。
だがそれだと俺だけが睨まれる意味が分からない。それも解明せねば気持ち悪いな。
「如何いたした?この者らのことに関しては政孝殿らにお任せすると殿から仰せつかったのだが?」
貞綱殿ら、主だった方々がそろい踏みで陣の中へと入ってこられた。みな疑問を呈した表情であったため、俺は現状をいちから説明する。
なるほど、と頷いた康直殿はため息をひとつ吐き捕縛した者たちを見下ろす。そこには普段は見られぬ面倒くさいといった新たな一面があった。
「何を企んでおるのだ。まさかこの状況から生きて帰られるなどとは思っておらぬであろう」
「ここで死ぬ覚悟などとうに出来ている!だが俺は、ここで、父親の無念を晴らさねばならぬのだ!」
感情をむき出しにして吠えた。康直殿は再び「ふむ」と言って一歩後ろざると俺や澄隆殿の横に用意された椅子へと座った。他の方々も同様に。
「それで父親の無念と言ったか。このような時代である、名を聞かねば話は進まないであろう。せめて名乗れ」
「町田、町田興光。お前達に濡れ衣を着せられ、故郷から遠く離れた地で腹を切った男は俺の父親だ!」
「町田・・・、と言えばたしか・・・」
康直殿が表情を強ばらせた。そしておよそ20年前のとある出来事を知る方々も同様に身体を強ばらせる。
「政孝殿、その町田というのは?」
志摩国出身であるために状況が分からぬ澄隆殿の言葉に俺は当時の出来事を改めて思い出しながら説明した。思い出したくもない、だが間違いなく俺にとってターニングポイントとなったあの日を。
「駿相同盟締結のために、今川と北条間では婚姻を結ぶことが決められておりました。ですが未だ北条の姫様は幼く、嫁ぐことが出来る歳になるまでは北条の男子が人質として駿河へと入っておられたのです。北条家現当主の弟である北条氏規殿。その世話役兼護衛として同行していた男の名が町田興光でした」
「なるほど、両家の同盟にはそのような歴史があったのですね」
「ですが北条内には今川と同盟を結ぶことを良しとしない派閥が存在しており、その者たちのとある計画で1度両家の関係は絶縁寸前にまで持ち込まれた。それが氏真様の暗殺未遂」
領内視察の最中に襲われた。俺や当時人質として今川家にいた家康もたまたま同行していた、その最中に襲われたのだ。
俺は初めて命の危険を感じた。だが人を殺すことに対して躊躇い、結果として氏真様を窮地に追いやった。そして同行していた護衛も、1人が俺の目の前で殺された。
氏真様もまた右腕に傷を負われた。それは一生消えぬと言われた、今もまだその傷跡は腕に残ったまま。
「襲ってきた者らの中に、首謀者と思わしき者からの文があったのです。成功した際の褒美などが書かれていたので、大事に持っていたのでしょう。その文を押収した今川家の方々によって、その差出人が町田興光であると判明いたしました」
「違う!でたらめを言うな!父上はそのようなことをしておらぬ!」
「だがあれがそなたの父のものであったのは事実だ。今川家としては当然北条に強く抗議した。そして同盟もたち消えるかと思われたが、今川にしてみれば河東地域の平和は上洛を目指す上で成すべき事。北条としては関東方面で多くの敵を抱えていたため今川との関係悪化は避けなければならなかった。北条のとったことは1つ。家中の反今川派の一掃、そして今川が決定するであろう町田興光の処罰に関して一切非難の声を上げないということ」
「長く御家をお支えしてきた父上を北条は見殺しにした!今川は父1人を犠牲にしたことで成ったかりそめの平和に甘えているのだ!故に俺が両家の関係を本来の姿に戻すと決めた」
「それが北条と今川の戦か。それも河東地域で再び」
「そうだ。そして伊豆を俺が奪い、疲弊したお前達を脅かす存在となる。これぞ乱世、父上も黄泉の世界でお喜びになられるであろう!」
まるで自身が神にでも成ったかのような言い方。そしてようやく見えた。
里見の狙いが、この男が何故ここまで自信たっぷりであるのか、そして先日今川館に送った北条家臣を名乗る男の目的が。
「なるほど。騙されているのだな、お前も、お前達も」
「お前ではない!俺の名は町田興勝、この国を制する男である!」
「制するというのであれば、まずはその縄から脱せ。それも出来ぬようではこのまま首を刎ねられるだけだ」
俺はこの男の妄言に従い、ここに連れてこられた者たちが急に不憫に思えた。
何がこの男、町田興勝をここまで動かすのか。もちろん両家に殺された父親の復讐もあるのであろう。だがそれでもやはり。
「里見家は伊豆を里見のものとしようとしている。お前のものにはならぬ」
「義頼様は俺に伊豆を任せるとおっしゃられた!俺が伊豆より河東地域を制し、相模や駿河にっ」
「お前に騙され、ここに連れてこられた者は、例えこれから解放されたとしてもお前に付き従うことは無いであろう。あまりに夢のような、いや現実を見ていない戯言に命をかけることなど出来ぬ」
「ならばこうするまでだ!」
突如として腕にかけられていた縄がほどけた。本当に縄から抜け出した興勝は、懐より小さな茶釜のようなものを取り出す。
取り出した勢いで何かが宙を舞った。そしてその際に俺の鼻孔には嗅ぎ慣れたあの匂いが僅かにした。
「止めよ!そんなことをすればお前もろとも」
「最早俺はここから逃げられることなど出来ぬ!ならばここで仇の1人を確実に殺すまで!」
興勝は完全に油断していたであろう側に立っていた兵へと体当たりをすると、その兵が持っていた松明が地面に転がる。それを拾い上げると、茶釜の蓋部分を開ける。僅かに黒みがかった粉状のものが見えた。
「みな伏せよ!!」
一大事。俺の言葉に誰もが素早く反応する。
椅子を蹴り飛ばし地面に伏せる。だがそんな中、誰か1人が俺の前へと飛び出す姿が見えた。
「貞綱殿!?」
康直殿の言葉が僅かに聞こえた気がした。だがそれも直後に響き渡る轟音に全てかき消される。
ゴォーン!という耳をつんざくのでは無いかと思うほどの爆発音。幸いであったのは火薬の量が非常に少量であったために、この周辺を吹き飛ばすほどではなかった。
そして俺達に被害を出さなかった理由はもう1つあった。
地面に伏せた俺はすぐさま周囲の安全の確認のために身体を起こして目を巡らせる。
爆発の勢いに弾き飛ばされたのか、黒く焦げたような興勝はかなり離れた場所にピクリとも動かず倒れている。
そしてもう1人。
「貞綱殿!貞綱殿、ご無事でございますか!?」
倒れているのは貞綱殿であった。駆け寄った康直殿が身体を抱えると、貞綱殿の手にはすでに爆発により最早原型を残していない何かがあった。
そして爆発を受け止めたであろう身体はあちらこちらから出血しており、胸の辺りは焼け焦げていた。いや焦げているという表現は正直適切ではないほどの火傷がある。
これはおそらく・・・。
「道房!急ぎ城下の医者を連れて参れ!たたき起こしても構わぬ」
「は、はっ!急ぎ!」
俺がそう声をかけたと同時に誰かに手を引っ張られた。
「政孝殿、よい。儂はもう駄目であろう」
「何を言われるのです。この程度の火傷、我が領内にいるお医者様にかかればなんということもありませぬ」
「己のことは1番わかっておるつもり。長くは、もつまい」
正直に言えば、俺も感じていた。
だがそれでも諦めることなど出来ぬ。このようなことで貞綱殿を失うわけにはいかぬ。
せめて医者に診て貰えれば希望が見えるやもしれん。素人意見などどうとでもなる。
「老いぼれの命を医者に診せるより、救える領民の命を救わせる方がよほど良い選択であろう。それが良い領主の成すべき事。・・・それに儂はよくやった。船での戦も、楽しかった」
だんだんと貞綱殿の言葉は途切れ始める。その様を涙を目に溜めて康直殿が見ていた。
「何を仰られますか。これからも共に海で戦うのです。氏真様のため、今川のため。某1人では駄目なのです」
「・・・倅に跡を託す。康直殿、倅のこと、水軍のみなのこと、よろしくお頼みもう、す」
事切れた。俺達の目の前で。
「貞綱殿・・・。貞綱殿ぉ!」
この場にいる今川家臣がみな涙を流す。
遅咲きの水軍指揮官は、海の上では無く陸の上で、きっと無念であったであろう死を迎えた。
だが俺の目に涙は流れていない。それを不思議に思うことも無かった。
桶狭間の日に決めた覚悟は今尚俺の心を作っているらしい。
「寅政」
「はっ」
「あの男を今川館へと連れて行く。生きていようが死んでいようが構わぬ。氏真様の許可がおり次第首を刎ね北条へと送り届けさせよ」
「そのようなことをすれば」
「俺は改めて氏真様に里見との同盟を進言する。北条の管理不足が招いた事態。此度の責任は北条に取らせねばなるまい」
「政孝殿・・・」
目を腫らした康直殿が俺を見上げていた。
「康直殿・・・、如何されました?」
「某も政孝殿とともに殿に進言いたします。もはや北条とは手を携えていける関係にありませぬ」
「ありがとうございます。共に貞綱殿の無念を晴らしましょう」
俺達の行いがきっと里見家の思うつぼであることも分かっている。
俺の決断が町田興勝と似たようなことであることも分かっている。だがそれでも理性だけで生きていくことは出来ぬ。そういうことも全て込みでの話をしているのだ。
そして今がそういう世であるということもわかっているつもり。
「我らも微力ながらお力添えいたします」
「在重殿・・・」
「貞綱殿にも政孝殿にも我らは日頃よりお世話になっております。これが恩返しであると思い、私に付いてきてくれているみなとともに北条を苦しめて見せましょう」
氏真様は俺の決断をどう思われるであろうか。もしかすれば一時の感情にまかせた発言の数々に対して怒られるかもしれん。
だがそれでも・・・。それでも、いずれは北条と対することとなるのだ。
それが早くなっただけのこと。それに北条を本気で叩くつもりでいるのであれば今しかない。
奴らは徐々に力を取り戻しつつあるのだからな。
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