255話 対北条への心持ち

 大井川城 一色政孝


 1570年春


「町田の首は北条へと届けられるようにございます」

「そうか。急な代役すまなかったな」


 未だ寝所から出させて貰えていない俺の元に昌友が報告にやって来た。

 本来ならば俺が今川館に赴いて、此度の神高島の海賊騒ぎを含む全てを氏真様にお報せしなくてはならなかった。

 だがここ数年の疲れが数日前に爆発した。

 今川館へ向かうための支度を進めていた俺は、城の廊下で突如として倒れたらしい。たまたま側に二郎丸を連れていたから良かったが、疲労が溜まっていることを誰にも言わずにいたことを随分と久に怒られた。


「お加減如何でございますか?」

「もう問題は無い。だが医者が安静にするよういった分はここから出して貰えぬのだ」

「お方様からの御命にございますので」


 昌秋が俺の枕元に座って申し訳なさげに頭を下げる。何故昌秋なのか。それは力尽くで抜け出そうにも、昌秋に俺が力勝負で勝つことが出来ないからだ。


「首は間違いなく北条へと渡ったのだな?」

「はい、これで両家の関係悪化は確実になりましょう。殿からの文も今川様にはお渡しいたしました。里見との同盟、北条との戦に備えた国境の防衛策、北条を取り囲む周辺国への工作など、すべて殿のお言葉をお伝えいたしました」

「ご苦労だったな。氏真様はなんと言われていた」

「皆様とじゅうぶんに協議した後、決定すると」

「それで良い」


 俺は一安心だと息を一度吐いて布団へと寝転んだ。家臣であるとはいえ、数少ない血のつながりのある者たちの前だ。

 油断した姿を見せることが出来るのも、久や母の前以外ではこの2人だけであろうな。


「どうしてもお聞きしたいことがございました」

「如何したのだ」

「政文様がお討ち死にされた際、殿は泣いておられませんでした。みなが声を上げて泣いていた中でただ前を見ておられた」

「あったな。もう何年も前の話だ」

「言っては悪いですが、貞綱殿の死は殿にとって政文様よりも大きなことであったのですか?」


 そう言われても仕方が無い。俺はあの時涙を流しはしなかったものの、感情的になって声を荒げた。

 北条への復讐を誓い、あの場でその決意を周囲に示した。

 昌友はそれを疑っているのだ。


「大きな事だろう。貞綱殿は高齢であったが、間違いなく二心無く今川を支える立派な御方だった。そのような御方があのような死に様を迎えれば、俺で無くともああ言っていたはず」

「政文様の時よりもその感情が表に出た、と?」


 昌友の疑いの目は晴れることは無かった。昌秋までもが俺を疑うような目で見ている。


「まぁ怒りにまかせての言葉では無かった。2人は信用出来るから教えてやろう。俺の本当の狙いを」

「本当の狙い、にございますか?」

「昌友、何故あの首を北条に送らせたと思う?本来であれば興勝に力を貸した里見であると思わぬか?」

「はい、思いました。こちらは里見の考えを見抜いているという警告として送るのはありであると。そうすれば迂闊なことも、裏工作も今後はしてはこないであろうと」


 昌秋も頷いた。おそらくこの行動に疑問を抱いている者は多くいるだろう。

 だがこれも考え無しの行動ではない。ちゃんと理由があった、それも複数だ。


「里見家とは氏真様に進言したとおり、現状は同盟を結ぶべきだ。だがそれもかつて上杉と交わしたような一時的なもの。対北条において結ぶだけのもの。北条領を削ったとしても、我らが隣り合えば必ずや争いは生まれる」

「故に軽度の同盟を結ぶと?」

「あぁ、ただの共闘だ。ともに策を立てるわけでも無く、ただ共に北条と戦うことを約束する程度におさえる。それ以上の関係はむしろ足枷となるだろう」

「軽度とはいえ、同盟を組む上で無用な軋轢を作る必要は無いということでしょうか?」


 昌秋の言葉を俺は否定した。同盟など今の関東の情勢を見れば組んでも組まなくても正直変わらない。今川も里見も同盟を組まずとも北条とは敵対するしか道が無い。

 だがそれでいうのであれば個々で対するよりも、同盟を組んだ方が北条に圧をかけることが出来る。本当にそれだけが目的。あとは対北条戦の最中に裏切られないようにするくらいだ。


「ならば何故?」


 2人ともまったく分かっていない様子。だが昌友はおそらく今川館で俺が懸念していることを見てきたはずだ。

 そして昌秋は大井川港で俺がやっておくべき事の一端を見ている。


「昌友、今川館で町田興勝の首を北条へ運ぶように言ったとき、他の家臣の方々はどういう反応をされていた」

「反応、にございますか?」

「あぁ、誰がどのような反応をしていた?」


 昌友は思い出すように首をひねった。現場にいなかった昌秋には分からぬ事。

 思い出そうと唸っている昌友の様子を昌秋はただ黙って眺めていた。


「・・・駿河衆の方々の反発が凄まじいものでございました。葛山様はもちろんにございますが、朝比奈様もどこか困惑されていた様子。他にも伊豆との国境を任されている方々はみな似たような反応をされておりました」

「であろう?これまで駿河は安全な国であった。特に武田と北条とで結んだ三国同盟以降は最前線となることも基本的にはなかった。故に北条と敵対するであろうことに対して、未だに実感がないままなのだ。このままなし崩し的に戦が起こればどうなる?」

「各々で国境を抜かさぬように動かれるでしょうが・・・」

「これまで三河や信濃に兵を出したものの多くは遠江や東三河の者たちだった。駿河の者たちはどこか腐抜けている。それを痛感出来たのではないか?」


 前の武田包囲戦において、駿河からも甲斐へと兵を進めている。だがそのころより伊豆国境を守っていた方々は、桶狭間以降長く戦場に出ていない方が圧倒的に多い。


「俺が北条に首を送ったのは、駿河にて城を預かる方々の覚悟を決めさせるため。もはや北条との戦は避けられぬところまで来ているということを自覚させるためだ。そして北条にはこちらが怒る理由があることを知らしめさせるため。元より両家を恨むものを野放しにしたのだ。こうなることが見えていた中で、その責は北条にあるのは火を見るより明らかだ」

「上杉は静観する構えをとっているとか」

「その通りだ、昌友。そして俺が大井川港であの場にいたみなを煽ったのは、団結させることと、俺の味方を作るため。北条には肥沃な大地と広大な土地に住まう多くの民がいる。御家騒動の後、時が経てば経つほどに北条はかつての力を取り戻す。戦をするのであれば、なるべく早くなければならない。それに織田の上洛戦が終われば、上杉が関東の混乱に介入してくることも考えられる。それは今想定する中で1番最悪なことだ」


 だから俺は貞綱殿の死を利用した。

 北条との早期開戦と、駿河衆に覚悟を決めさせる。そして里見家を油断させる。それらの目的のために、あの場で復讐を誓ったのだ。

 織田との同盟が成った今、俺達は東に進むことはすでに決定事項なのだ。ならばできる限り被害が出ない方法を選んでいくしかない。

 特に上杉や北条と敵対するのであれば、な。




 近江国滋賀郡坂本 織田信長


 1570年春


「信長様、ご無事でございますか!?」

「大事ない。ただの掠り傷よ」


 俺の腕には強く布が結んであり、その布も赤く染まりきっておった。


「それで俺を撃った者は見つけたのか?」

「いえ、未だ発見に至っておりません」


 先行してこの地に砦を建てるよう命じた光秀であったが、俺が狙撃されたと聞いて本陣のあるこの地にへとやって来たようだ。

 俺が狙撃されたのは、三雲城を離れこの地へと兵を進めだしてすぐ。

 山中で馬に乗っているところを狙われた。放たれた弾は2発。1発目で馬の足を撃ち抜かれ、俺は暴れる馬を抑えきれず地面へと投げ出された。

 そして2発目。俺を囲むように護衛の者らが寄ってきたが、僅かな隙を突かれた。破裂音と共に、俺の左腕に強烈な痛みが走る。

 みれば鎧は裂かれ、そこから鮮血が舞っていた。


「そうか。・・・坂本への砦はどうなっておる」

「それも苦戦しております。延暦寺の僧兵が邪魔をしております」

「であろうな。だがこれで俺に敵対する者が浮き彫りとなった」

「如何されるおつもりで?」


 此度の戦では残念ながら京には入れまい。伊勢の平定が思った以上に進んでおらぬ。三雲城も未だ落城させていない状況を鑑みれば、三好に決戦を挑むわけにはいかぬ。兵を無駄死にさせるだけよ。

 兵を雇うにも訓練するにも金がかかっているのだ。無駄に捨てるわけにはいかぬ。


「三好との戦はお預けだ。それに朝廷内は完全に三好に傾いた」

「真にございますか?」

「俺に味方すると言っていた九条からそう報された。帝は飯盛山城に入っている足利義助に対して将軍宣下を行うことを決定したそうだ」

「ではこの上洛戦は」

「次に行う上洛戦の支度といったところであるな」


 あの者が聞けば、また喧しく騒ぐのであろう。だが負け戦をする趣味はない。

 此度は三好の勝ち。14代将軍の座は義助に譲ってやるとしよう。


「此度の戦は、次の戦に備えて邪魔者を徹底的に排除する。すべきことは三雲城を落とし、六角を滅ぼす。この地に砦を築き京での戦に備える。そして本願寺同様、俺の邪魔をする延暦寺をこの地より追い出す」

「延暦寺を・・・。それは可能なのでしょうか?」

「寺が無くなれば奴らもいられまい」


 光秀の表情が固まった。そういう表情をする者は最近いなくなっていたからな。

 随分と懐かしい反応だ。


「長島で俺が行ったことを聞いているであろう」

「本願寺の僧のいっさいを撃ち殺したと」

「そういうことだ。延暦寺の坊主共も俺に逆らったことを後悔するであろうな」


 呆然とする光秀を置いて俺は外へと出た。

 外はこれから起こるであろう事を一切知らぬであろう様子である。この眼前の山を坊主共の血で染める。

 これは見せしめだ。俺に従う者には生を、俺に抗う者には死を。それを敵対する者どもに見せつけるのだ。

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