乱世は再び動き始める

246話 関係悪化を企む者

 神高島近海 小山家房


 1569年冬


「奴らを逃すな!海に落としてでも捕らえるのだ!」


 「おぉ!」という兵たちの声に合わせて、再び船は海賊と思わしき船に近寄る。

 奴らも奴らで俺たちを近寄らせまいと必死に抵抗している様子が、船の上からでも伺えた。


「家房様!敵増援が我らの側面に現れました!」

「部隊を二手に分けよ、海賊ごときに負けられぬぞ」


 ただの定時の巡回中であったがために、船も人も足りておらぬ。

 援軍要請は倅の家利に行かせておるが故、せめてそれまでは敵を逃さぬよう時間を稼がねば・・・。


「敵主力が退いております!」


 副官が焦った様子で俺へ叫んだ。だがそんなこと、このように見晴らしの良い場所にいれば嫌でも目に入る。


「分かっている!小早隊を奴らの側面に回り込ませよ、とにかく時間を稼ぐのだ」

「小山様!抱え大筒、支度完了致しました。我ら何時でも放てます」


 小早を動かし始めた時、ようやく我が船団の主力火器の支度が整う。

 大筒大将に任じておった者が俺の隣まで走ってまいり報告して行った。


「ようやく、か。よし、安宅船を回せ!奴らの船を粉微塵とせよ」

「しっかりと狙いを定めよ!奴らを逃すな」


 抱え大筒の射程距離内に敵は未だ留まっている。分けた小早隊が敵の後退を妨害し、敵の小舟には白兵戦を挑み海賊達を捕らえた。

 かつて志摩の水軍にいいようにやられて以降、奴らの戦術を取り込みつつ水軍全体の練度を上げた賜物である。


「攻撃隊に合図を送れ!」

「かしこまりました!」


 染屋より譲り受けた廃棄の布を何枚も組み合わせた旗。巨大かつ鮮やかなその旗は、遠方にいても十分に目視が可能であった。

 そしてこの旗を見たであろう攻撃隊は、瞬く間に敵の船から距離をとる。


「よし、敵は混乱。味方は離脱が完了した」

「構え!!・・・放て!!」


 足元より大筒大将の叫び声が響く。その声を打ち消すほどの轟音が鳴り響いた。

 乗っている船からわずかに白煙が立ち上ったが、そんなことは些細な問題である。

 敵の主力を構成している船団に複数の弾が直撃。船は大破し、それらに乗り込んでいた海賊らは海へと叩き出された。

 その様を確認した小早隊と関船隊はすぐさま広域に展開し、海からこの海域を逃れようとする海賊らの捕縛へと動く。


「もはや逃げられますまい」

「おそらく。だが油断は禁物、すぐにこの周辺の海域を調べさせよ。敵の拠点となる場所があるはずだ」

「かしこまりました。手の空いた者達を探索へと向かわせましょう」


 副官はすぐさま展開した船を集めて探索用の部隊を再編した。

 この辺り、最早こちらが指示せずともある程度こなせる様になったのは、やはり親元殿の教練の成果である。

 今後の探索を副官に任せようとしたところで、ようやく援軍がやって来た。

 当初の命通り、九鬼家の水軍を多数連れてきている。

 これならば戦力として申し分ない。


「既に終わってしまわれたか」

「つい先程。ですが敵の増援隊には逃げられました。すぐさま探索の船を神高島近海へと出し、敵の拠点を探します」

「それは俺たちに任せられよ。このままでは神高島の領主と認められぬ」


 九鬼水軍の大将は、当主澄隆様の叔父である嘉隆様であった。

 我らの働きに驚かれていたが、すぐに表情は一変。我らだけに手柄を立てられると、神高島を任された九鬼家としての面目が立たぬ、とそういう事であろう。

 ならばこれ以上我らが目立つ必要は無い。こちらも初っ端の遭遇戦で多少なりとも被害を受けた。

 その傷を癒すためにも、後のことは嘉隆様に任せるとしようか。


「ではお任せ致します。それと1つ気になったことが…」


 嘉隆様は背を向けられていたが、私の言葉を聞いて振り返られた。


「今捕らえた者達の戦い方が海賊らしくないように思えました。かつて志摩の水軍に苦しめられた時と同じような戦略を用いておりましたので」

「奴らが海賊ではない、と?」

「それは分かりませぬ。ですがただの海賊と思って甘く見ない方がよろしいかと」

「…有難くその助言、聞いておくとしよう。だがどこかの国の水軍を以てしても我らを負かすことは出来まい」


 それだけ言うと嘉隆様は自身の船へと戻っていかれる。

 我らも長居は無用か。

 1度大井川港へと戻るとしよう。




 大井川城 一色政孝


 1569年冬


 氏真様より輿入れの日取りが知らされた。新年を迎えてからになるそうだ。

 春になるまでにはおそらく菊姫を迎え入れることとなるであろう。当初心配げであった母も、氏真様からの遣いの方が来られてからは何かと嬉しげであった。久もどこか落ち着きが無くなっている様子。

 そのことに鶴丸も気がついたようで、しきりに何事であるのかと聞いていた。

 そんなある日のこと。

 神高島の巡回を行っていた家房より人が寄越された。

 なんでも神高島付近を彷徨っていた海賊と戦いになり、多数の捕虜を得たということである。

 そして今日、その捕虜達がこの大井川城へと送られてくることとなっていた。


「殿、失礼いたします」

「時真か、如何した」

「例の者たちが到着いたしました。庭へ連れてきておりますので」

「わかった。すぐに向かうとしよう」


 俺は持っていた筆を置いて、時真を従えて目的地へと足を進めた。

 すでに何人かの家臣らも控えており、庭にはまさに海賊といった風貌の男達が数人だけ縄をかけられた状態で座っておった。


「お前がこいつらの主か!」


 いきなりそう叫んだのは一番前に座っている男。無精髭を生やして、かなり顔も服も汚れてはいるが、元々の衣服自体は割と上物に見える。

 そんなことを思いつつ、俺はその男の目の前に膝を折り視線を合わせる。


「その通りだ。俺がこの地の領主である一色政孝である」

「一色だぁ?」


 その反応に引っかかりを覚えた。だが今はそんなことはどうでも良い。

 事と場合によっては、このまま今川館へと送らねばならぬほどの者たちであるのだ。


「俺のことはどうでも良い。お前達のことを聞かせて貰おうか」

「・・・いいぜ、教えてやる」


 その男は一呼吸置くと、僅かに口角が上がったように見えた。それはまさに嫌な笑みであった。


「俺の名は北見きたみ里頼さとより。北条家、伊豆水軍の一角を預かる者だ」

「北条の?」


 里頼と名乗った男の言葉に、この場がザワつく。もし本当に北条の家臣であるとするならば、相当にまずい事。

 家房曰く、偶発的な戦闘であったとは聞いてはいたが、事実俺の家臣が北条の家臣を捕らえているのだ。

 万が一、この男の言葉が事実であれば不戦同盟などすぐさま破棄され、未だ不安な駿河・伊豆国境で再び戦が起きかねない。


「口だけならば何とでも言えよう」

「口だけでは無いぞ。俺の懐を見てみろ」


 俺が一歩下がると、時真が代わりに前へ出て来て懐に手を入れた。何か仕込みがあるのかと警戒をしていたが、何もそのような事は無い。

 手を引き抜いた時真の手には、北条鱗の紋が入った書状があった。


「これは北条家当主氏政様が美濃の義秋様に託された文。それを運んでいる最中にお前達に捕らわれたのだ。これは大問題であろう?」

「だが先に手を出してきたのはお前達の方からだと聞いているが?」

「当然だろう?こちらは大事な文を預かっている身。万が一海賊になんぞに襲われて、文を奪われてみろ。大変なことになるわ」


 たしかにその通り。その通りではあるのだが、やけに余裕げなこの表情が気になる。

 圧倒的有利な状況であると思っているからなのか、はたまた・・・。


「すぐさま俺を解放し、仲間達も解放しろ。そして氏政様の船を沈めた詫びをするのだ」

「詫び?」

「そうだ、詫びだ。一色家であるというのであれば、金が山ほどあるであろう。それを寄越せ、それで氏政様には報告しないでやっても良い」

「なるほどな」


 俺は立ち上がり、その男から距離を取る。

 すぐに昌友が側へと寄ってきた。


「この男の言葉、真にございましょうか?」

「真なわけがあるまい。船を沈められたのに、金を払えば当主には黙っていてやる。そんなこと出来るわけもない」

「ならば?」

「北条の名を語る不届き者、あるいは・・・」


 俺はかつて神高島で見たあれやこれやを思い出した。今思えば明らかにわざとらしかった。

 あの島には未だ手つかずの洞窟が山ほどある。少し本気で探索すれば、誰にも知られぬ隠れ家など簡単に作れたはずなのだ。

 だがあの日、貞親殿が見つけられたのはそれほど見つけにくいという場所では無かった。あのような場所から北条鱗の鞘が出て来たこと自体が不自然極まりないのだ。


「北見、と申しておったな」

「そうだ。それでお前はどう決断する」

「解放はせぬ。このまま氏真様の元へ送り届ける」


 想定外の答えであったからであろうか。男の顔は驚き、そしてみるみる内に真っ青になっていく。


「そんなことをすれば北条と戦になるぞ!」

「ならぬ。北条は此度の事に関係ない」

「関係あるに決まっておるであろう!それにその書状が何よりの証拠!」


 手足を拘束されているせいで、もがけどももがけども上手く身体を動かせていない。もぞもぞとしながらも、時真の持つこの男が北条の家臣であるという一番信憑性の高い物を示した。

 だがこいつの知らぬところで、とある問題が信長より知らされていたのだ。


「義秋様を擁しておられる織田様から教えていただいたのだがな?何でも北条家も義秋様を支持する旨の使者を美濃へと寄越されたそうなのだ。だが義秋様がそれでは信用出来ぬと、北条の紋入りの文を求められた。その文が随分と届かぬのだそうだ。最早義秋様は北条を味方と見ておらぬ、と参っておられたな」


 それに北条としては遠い京の話。正直どちらを支持しても良いと思ったのだろう。手元には鎌倉公方、同盟国に関東管領もいるしな。だから文が届かぬと言われても何も行動を起こさなかった。

 だがその届かぬ文が何を指し示すか。それが今の状況へと繋がる。


「たしかにこれは北条家当主が代々受け継ぐ北条の紋であるのであろう。だが一度紛失したはずの物である。何故そのような物をおぬしが所持しているのだ?しかも今になって美濃へ届けるだと?義秋様は織田様の上洛戦について美濃を離れられた。今更行っても遅かろうよ」

「ぐっ・・・」

「やはり反論出来ぬか。お前の目的が何であったかなど、俺に興味は無い。だが北条と今川の関係悪化を狙ったものであるというのであれば、このまま赦すわけにもいかぬ。大人しく駿河へと送られよ。時真、あとは任せる」

「かしこまりました」


 その場を立ち去った俺の背後からは、尋常なく悔しげな声が聞こえてきた。顔を合せたときの余裕さはもはやどこにも無くなっていた。

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