245話 かつてのトラウマ
大井川城 一色政孝
1569年秋
「武田の姫を側室にするのですか!?」
声を上げたのは久では無い。
あれだけ俺に側室を取るよう迫っていた母であった。あれはやはり高瀬であったからこその行動であったのだな。
一方、久は黙って俺の言葉を聞いていた。
「武田の策ということはないのですか?」
「何かしらあると踏んでいる。氏真様もそのことを懸念されているようであった」
「旦那様が分かっておられるのであれば問題はありません。私としても旦那様を支える女が1人というのは少々不安に思っておりましたし、ちょうど良かったのやもしれません」
結果として俺の予想通りの反応を示したのは母だけであった。久も初も割と冷静に話を聞いていた。
ちょっと驚いた表情をしている虎上殿であったが、特に何も言わずに黙って俺達の話を聞かれている。
「ただ旦那様の話が本当であるのであれば、あの子よりも幼いことになります。あの時はあれだけ揉められたのに、よくこのお話をお受けされましたね」
「あの場で断れるわけが無かろう。氏真様に加えて一門衆がそろい踏みだったのだ。俺の我が儘が通るわけも無い」
そう、散々葛藤した挙げ句最後はヤケクソだった。
俺の側室はいったい何歳なのか。計算している内に真面目に考えている俺が馬鹿馬鹿しくなった。
これでは前田利家のことを笑えなくなってしまう。
いや実際笑えないところまで来ているわけだが。
「輿入れの日取りは改めて伝えられる。それまでに色々と支度をせねばならぬな」
「しかしかつては今川の盟友であった武田が、今では今川に臣従ですか・・・。まったく、亡き兄上様もこのようなことになるなど思われていないでしょう」
「おそらく。ですがこれが良いことであることに違いはありません。甲斐がこちらの味方となったことで、上杉や北条と接する地域が格段と減りました」
母はこれまでの困惑した表情から一転。嬉しげにそう言った。
武田が配下となったことが嬉しいのか、今川が持ち直し大きくなっていく様が嬉しいのか。
どちらも、かな。
「上杉と北条は必ずしも敵となりましょうか?」
「上杉は分からぬ。だが北条は間違いなく敵となるであろう」
というのも越後上杉家が上野へと兵を出した。そして山内上杉家の家臣らを引き連れて平井城を包囲。
上杉憲政は嫡男へと家督を譲り隠居することで、包囲を解かせたのだ。
すでに龍若丸から名を改めていたようであるが、現職の関東管領である政虎様より新たな名を頂いたらしい。
たしか
だが重要なのはそちらではない。
上杉は越中の椎名に兵を出していない。代わりに神保の率いる一向宗を攻撃したのが織田なのだ。飛騨の統治をしている織田信広殿によって、加賀の一向宗は壊滅したと報告を受けた。
だが信長も知っているはず。今川と上杉の関係のことを。
もし政虎様が織田の行動に恩を感じたのであれば、同盟国である今川に兵を向けることがあるのかどうか。
それが上杉と敵対するかどうかわからない理由である。
「ともかくだ、新しく迎える姫は随分と幼い。久も母上も可愛がってやってください」
「・・・政孝殿の室でもあるのですよ」
「もちろん分かっていますとも。ですが未だ幼い姫に、妻としての務めを課すのは酷というものでございましょう。最初はこの地に慣れていただかなくては」
「確かに。大方様、旦那様もこう言われていることですし」
「・・・わかりました。ですがいずれは姫の事も室として扱うのですよ」
「もちろんにございます」
俺は側室を迎える報告を2人に終えた後、昌友ら四臣を自室へと呼んだ。
全く同じことを4人に話すと、みながホッとしたような表情をした。ここにいる誰もが側室に関しては一切言及したことが無いが、一応みな気にしてはいたのであろう。
「しかし武田の姫の輿入れとなると、誰かしらが姫に付くこととなりましょう」
「かつての日を思い出すな」
「かつて、と申しますと?」
時真の言葉に佐助も頷いた。この者らは当時あまり俺に関わる機会が無かった。当然、というわけでもないが知らずとも無理は無い。
"かつて"。これが意味するのは、俺が未だ太原雪斎に師事していた元服もまだの頃の話だ。
婚姻同盟締結までの人質として、北条氏康の子息が送られてきた。
それが後の北条氏規であるが、そこには北条の家臣も付いてきていた。名を町田興光。
氏真様暗殺未遂の首謀者として腹を切った男だ。
「あれのせいで、未だに他家から将を迎え入れるというのは抵抗がある。召し抱えて欲しいと言われるのと状況が全く違うからな」
重治や信綱のように訳ありであるならば話はまったく別なのだが、事が事であるから余計に気を遣う。
それではいけないと思っていても、どうしてもあの日々の記憶は未だに鮮明に残っていた。
「使える者であればよいですな」
なんて道房は暢気に言っていた。これくらいの気の持ちようで望むべきなのだろうな。
俺も輿入れの日までに覚悟を決めるとするか。
京 勧修寺晴右
1569年秋
「織田殿がついに上洛をされる」
「そのようで。これで主上のお心も落ち着かれればよいのですがな」
九条兼孝殿も主上と同じくこの日を待ちわびておった者の1人。織田が動かぬ内は関白殿下が大きな顔をされていた。
それがよほど気にくわなかったのであろうな。
だがこれで畿内の情勢が動くであろう。すでに義秋様の元へ挨拶に向かった公家までいる様子。
これでは三好の立場も無い。
「麻呂はこの地を離れられぬ故、入京したあかつきには屋敷へ招待しようと思っているのだ」
「それがよろしいかと。織田殿は随分と反三好派の公家の者たちに好感を抱かれております。きっと喜んで参られるかと」
「そうであろう?近く来るであろうその日が真に楽しみであるな」
しかしそれで言えば関白殿下の動きも不穏であった。ここ数日は主上の元へも向かった様子は無い。
主上も関白殿下を御前へと呼ばれぬ様子。近く強制的に関白の任を解かれるとも噂がある。所詮噂ではあるが、だがその噂が流れるにしてもある程度は理由がある。
それが今の状況なのだ。
「兼孝殿」
「如何されました?あぁ、分かっておりますとも。織田殿を屋敷へと呼ぶ際には晴右殿もお呼びいたします。ともに京の安寧を祝いましょう」
「それは嬉しき話ではあるのですがな、それよりも気になることが」
麻呂の言いたいことがすぐに分かられた様子。眉間に皺が寄った様を見ると、おそらく合っていると思われた。
「関白のことは麻呂に聞かれても分からぬぞ。だが確かなのは彼奴は親三好の者らを連れてどこかに向かったということだけ」
「それがもし三好の元であれば・・・」
「分かっておる。だが力の無い我らでは三好に太刀打ち出来ぬ。故に織田殿の入京を心待ちにしておるのだ」
「・・・意味の無い問いにございました」
「麻呂も声を荒げてしまった」
確かに織田殿に期待している公家は、此度の上洛の報せに喜んだ。だが未だ美濃にいるであろう織田殿では、京で万が一が起きた場合に対処が出来ぬ事も分かっておるのだ。
故に親織田派の公家達は焦っておる。
兼孝殿も間違いなくその1人なのであろう。未だ若いが故に気が逸っておる。
いや麻呂も同じであったか。
早期の到着が望まれるの。
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