228話 三顧の礼
大井川城下 一色政孝
1569年冬
先日した約束通り久を連れて城下町へと出て来ていた。寒いのだから籠を出すと言ったのだが、久は断固として拒否。
久曰く元気な姿を領民らに見せることも大事なことであると言い切っていた。
というのも、城に出入りしている商人に領内で広がっているとある噂について聞いたらしい。
「俺が久と不仲なわけないだろうに。昨年は豊も生まれたしな」
「その通りにございます。ですが新年を迎えて以降、旦那様が頻繁に東海屋の、それも高価な宿に向かうのはそこに目当てのおなごがいると噂する者がいるのだそうです。もちろん私としては側室に反対することはいたしませんが、そのような失礼な噂だけは我慢出来ません」
ということらしい。俺が竹中という男に会いに行っているのが、いらぬ誤解を生んだようだ。久としても不本意であろうから、今回はともに馬に乗って宿へと向かっていた。
そしてその様を見た民らはどこか安心した表情であったことにも気がつく。
どうやら例の噂は思っていた以上に広く出回っていたらしい。
「それにしてもこうして城下を見て回ると、私がこの地に嫁いできてから随分と発展したと思わされます。たしかに当時から賑やかでしたけど」
「そうだろう?俺は当主になってからほとんど内政を昌友らに任せきりになっていたが、やはり頼りになる」
「昌友達は良くやってくれていますよ」
城にいる時間が最早俺より長くなっている久が言うのだから違いあるまいな。本当にあの者らには頭が上がらないわ。
「さぁそろそろ着くぞ。今日こそは会えれば良いのだがな」
「本当にございますね」
昌秋がいつも通り先に店に入り、店主である太助と会話をしていた。だが今日の太助は声色がいつもに比べて明るいように思えた。俺の思ったとおりであったらしい。
すぐに昌秋が出て来て、俺の元へと寄ってくる。
「今日は宿にいるようにございます。今太助が呼びに向かいました」
「そうか。だが往来の真ん中で待つわけにもいかぬな。久の身体も冷えてしまうだろう」
「では中で待たせてもらうといたしましょう」
昌秋が中で待たせて貰えるよう交渉に向かった。すぐさま了解が出て俺達も宿へと入る。
いつもなら俺だけなのだが今日は久も一緒にいる。その状況を確認した宿の者らはまた慌ただしく動き回った。
そしてすぐに部屋が用意される。奥へ通され、いつもの調度品の並ぶ部屋へと通された。初めてこの宿に来た時、太助に通された部屋だ。
「東海屋も儲かっているようですね」
「あぁ、船を持たぬがその分この地を通る者らから存分に稼ぎを得ているからな」
「なるほど。しかし旅人がこの地を使うのもまた旦那様の大きな功績にございます」
久からそう褒められるのはやはり悪い気はしない。だが他の者らに緩んだ表情を見せるのは気恥ずかしさがあった。
踏ん張り平静を装って対応をする。
そんなことをしていると、太助が戻って来た。
俺達が待ちに待った人物とようやく会える。そう思って太助の背後を見たのだが、その場にいたのは大方のこの時代の武士らしくない容貌の者であった。
「・・・随分と可愛らしいお顔で」
俺以外に聞こえるか分からぬほどの声で久が呟く。
それが聞こえたのかどうか分からないが、その者は柔らかな笑みを俺達2人に向ける。
あまりに絵になりすぎるその様に誰かが生唾を飲み込んだのがわかった。
それほどまでに美男子なのだ。後世でいうところのイケメンか。
「太助、わざわざすまぬな」
「滅相もございません。ささっ、竹中様こちらへ」
「はい。ありがとうございます」
竹中と呼ばれた男は、太助に案内された場所へ腰を下ろす。俺達の正面だ。
そして場が落ち着いたことで、護衛らは部屋から退出し万が一に備えて廊下で待機。久や昌秋が俺の側に控え、太助も「ごゆっくり」と言い残して足早に退出していった。
「俺はこの地を治めている一色政孝という。その方の名を聞いても良いか?」
「はい、私の名は竹中重治と申します。美濃に故郷がありますが今は訳あって家を出ております」
竹中重治。かの有名な竹中半兵衛だ。そしてそれは俺の思っていた人物であった。
まだどうなるか分からぬが、あまりの嬉しさに声が漏れそうになった。俺が我慢したことで生まれた間を不審がった者は誰もいなかったのがせめてもの救いである。
「もし言いたくなければ答えずとも良いのだが」
「はい」
「何故故郷を離れてこの地に流れ着いたのだ。ついでにで良いのだが、美濃を出たのはいつ頃である」
その問いに重治は僅かに考えた。
「その何かを確信しているような問い。どこで私のことをお調べになったのかは存じませぬが、おそらくその者で合っております。私が美濃を出た理由は当時の主家に対する反逆行為を起こしたためにございます。出たのは確か6年、いや7年も前にございましょうか?」
人の耳に入る場所での会話だけあって、だいぶ柔らかく包んだ表現をしているがやはり間違いない。稲葉山城で斎藤龍興が暗殺された時期と一致する。間違いなく竹中重治本人だ。
「やはりな。本人で間違いなかったか」
「もし良ければ私からの問いにも答えて頂くことは出来ませんでしょうか?」
「何でも答えよう。答えにくい問いにも答えてもらったからな」
「いつから私を調べていたのでございますか?」
俺の目や耳を探ろうとしているのがわかった。だがここで迂闊に隠せば信用を得られぬし、このような逸材を手放しかねぬ。
俺は将来のことも考えた上でこの男を俺の配下としておきたかった。
「美濃で混乱が起きたあの日からだ。俺は俺の動かせる全てを以てしてお前の存在を知った」
「此度この地に滞在していると知ったのもですか?」
「それは偶然だ。いくらなんでも男1人に時間を永遠に費やす暇はない。一色はいつまで経っても人材不足が解消出来ぬのだ」
まぁ普通に考えれば人は多い方であると思う。何故足りないのかは、足りなくなるほど手広く色々やっているからだ。
だからできる限り人材は欲しい。有能な人材の独占は今川を弱めることと、一色を没落させることに繋がるが、ようは適度なバランスが必要なのである。
藤孝殿や澄隆殿らは俺の手元に置くより、領主として、城主として今川に仕えてもらった方が才を発揮出来るが、重治の存在は戦を左右する軍師としての力が非常に大きい。
現状氏真様の側にはその役割をこなす方々が数人いるため、重治は俺の元へ残したいのが本音。
だから遠回しに俺に仕えてもらいたいと伝えてみた。
「なるほど・・・。ところで話は変わりますが大井川流域には未だ大量の流民がいるようにございますが、今後どうするおつもりですか?」
わずかに昌秋が殺気だつ。だが俺が不快感を顔に出さなかったためか、黙って見守ることに徹している。
「大井川は直に支流を作る。その様は確認しているだろう?」
「確かに。大規模なものに思えましたが、その手際は非常によいと思います」
「その支流近辺に流民らの家を建てさせる。また一部の職人らもそちらに住まわせて農地を拡大させるつもりである」
「元来よりこの地にいた者らと流民らの間に生じる壁はいかがされるので?」
「それが起きぬように、流民らには治水に関する仕事を与えた。もちろんその分金や米を配り、その労に対する労いはしている。また大井川領のためにきつい労働をしたということが、元よりこの地に住む者らと流民らの間に出来るであろう壁を取っ払うのだ」
流民がいようがいまいがおそらく大井川の支流は作っていた。あの川はときに荒ぶる。
対処が遅れればいずれ大きな水害を生み出す恐れがあった。
そして流民がいなかった場合、人手としてかり出されるのはこの地の民だ。それを今は流民が代わりとして行っているわけである。
感謝こそあれ、差別する心は極限まで減らすことが出来るだろう。
「戦上手であるという噂は聞いておりましたが、政にも精通しておられるとは非常に面白い御方です」
「そうであろう?ならばどうか、俺に仕えぬか?」
しかし重治はここまで俺を評価しておきながら頷きはしなかった。
何故か、それは俺が重治の能力を測り切れていないからだ。
「その前に他人が見聞きしたことだけで私を評価されるのは些か問題があるようにも思いませんか?」
「・・・そうだな。俺の今目の前でお前の才を確認したい」
「ならば一局如何ですか?こちらで」
重治が懐から出したのは黒い碁石。だが手をクルッと反転させると白い碁石へと変わった。
持っていたのは源平碁専用の碁石であった。
そう。この男の真骨頂は内政ではなく、知謀。たかが遊戯とはいえ、その片鱗を確かめるのはこれでも十分であろう。
「言っておくが俺が発案者だ。強いぞ?」
「のぞむところにございます。むしろそうでなければ面白くありません」
本当に一局だけ。俺は俺の知識にある必勝のパターンを用いた。だが必勝パターンも今孔明と称される竹中重治には通じなかった。
気がつかぬ間に俺は重治の手の上で遊ばれていたのだ。
その様子をドキドキとした様子で久が見ていた。
「私の勝ちにございます。ですがやはり発案者であられるだけはある。知恵比べで私に挑んできた誰よりも強うございました」
そう言って頭を下げた重治。だが結果だけ見てみれば俺の完敗だった。どうにか全部返されなかっただけマシというものであろう。
「・・・やはり今回の誘いは」
「いえ、むしろ私よりも頭が回るのであれば私を仕官させる意味がありません。それよりもここ大井川領は居心地が良く、さらにあなた様に興味を抱いてしまいました。もしよろしければ一色様にお仕えさせて頂きたく」
「本当に良いのか?そのようにあっさり決めてしまって」
「はい。もし気に入らなければ・・・」
その先の言葉は言わずともわかった。
かつて美濃でやったことをまたやって、その地を離れれば良い。そういっているようであった。もちろん口に出していないから、あくまで俺の予想であるが。
「わかった。重治、お前の期待を裏切らぬ主で居続けよう。今後ともよろしく頼むぞ」
「かしこまりました」
竹中重治。三顧の礼でどうにか家臣として迎えることが出来た。
だが源平碁、確かに強かったが俺よりも強いものは他にいる。
「重治、1つだけ良いか?」
「なんでございましょうか?」
横から久の期待の視線が凄い。どうやら俺と重治の対局を見て、闘志に火がついたらしい。
自分もうちたいと、言わずとも伝わってきた。
「俺に源平碁で勝ったものは2人目なのだ。それ以外は全て勝っている」
「ほぉ。それでその御方は一体誰なので?もしよろしければその御方とも一局お願いしたく思いますが」
俺は隣に座る久の肩を引き寄せる。
あまりに突然のことであったのか、久は驚きの声を上げていた。
だがその様子を見ていた重治は小さく頷いていた。
「先ほどから尋常でない視線を送られていると思いましたが、やはりそういう意味であったのですね。よければ一度手合わせをお願い出来ませぬでしょうか?」
久がチラッと俺を見たが、時間は問題ない。
一局ぐらいならばそう城に戻るのも遅くならぬだろう。頷くと久は嬉しげに俺と場所を入れ替わる。
ここで源平碁の一色家中最強決定戦がとり行われたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます