174話 恐ろしき男

 高遠城周辺 岡部元信


 1566年秋


「正綱殿からはなんと?」

「殿は甲斐へ深く入り込むことを避けられた。故に甲斐の防衛に動く武田勢を挑発しつつ、敵を引きつけるとのことだ」

「殿自ら囮になるということか・・・。これはますます負けられぬ」


 泰朝殿とともに、現在包囲中の高遠城を見上げる。

 これまでは順調に城を攻略していた。しかしある日、美濃国境の警戒と信濃西部の武田方の城を任せていた氏興殿よりとある報せが届いたのだ。

 武田と織田が伊那郡にてぶつかり、武田方の大将であった飯富虎昌が敗走したというのだ。近隣の領民の報せであったため、現地に赴き確認したところその言葉に信憑性があると判断し、俺達に報せてくれたということであったらしい。


「この程度の城、さっさと落として甲斐方面へ援軍に向かいたいところであるが・・・」

「先ほどの野戦にてだいぶ消耗させたとはいえ、攻城戦の最中に背後を攻撃されるのは避けるべきこと」

「うむ、幸いにも稲刈りを前に包囲は完成したからな。直に音を上げるだろう」


 甲斐にいらっしゃる殿は田畑の稲を刈り取り挑発すると言われていたが、こちらはそういうわけにはいかぬ。甲斐とは違い、信濃は今川で押さえたいと思っている地域なのだ。

 民に反感を持たれる行為は避けねばならぬ。


「元信殿、兵らは焦れております。先ほどの大勝があったからでしょうが」

「景貫殿か。たしかにあの勝利で気が高揚するのはわからんでもない。だがそれを押さえるのが将らの役目。もうしばらくどうにか押さえてくれ」

「当然であろう。だが、あまり持たぬぞ?直に雪が降り始めるであろう。そうなれば我らの軍を維持することは明らかに難しくなる」

「それもわかっておる。だがせめて美濃国境に向かったという飯富の所在が掴めるまでは城攻めを行えぬ」


 泰朝殿はただ黙って俺達の会話を眺めている。だが心ここにあらずといった様子。


「・・・話は纏まりそうにありませんな。これ以上不満を溜めればせっかくの好機を逃しかねぬのだ。それだけはゆめゆめお忘れなきよう」


 兵が、と言っておったが大方景貫殿が我慢出来ぬようになったのであろう。言葉の端々からその内に秘めたる思いが漏れ出しておるわ。

 だが本当に今は城攻めに専念出来ぬのだ。


「景貫殿、待たれよ」

「・・・如何したのだ、泰朝殿?」

「私が兵を率いてこの地より南西にある菅沼城で網を張ろう。万が一敗走してきた武田勢を見つけたら、こちらに報告した上で足止めをする。そして同じく誰かしらにこの地より西の天神山てんじんやま城より木曽方面を見張り、私と同じ役目を果たしていただく。これならば現状よりも背中を気にせず攻めることが出来よう」

「だが足止めに回せるほど余裕はないぞ」


 これ以上人を減らせば城攻めすら行えぬ。


「人は寄越さずとも良い。足止めが目的であるのだ。撃退する必要はないであろう?」

「・・・わかった。では泰朝殿に任せよう。それと高天神城は・・・」


 役目を果たせそうな人材を思い浮かべる。確かに景貫殿でも心配はいらぬであろうが、城攻めの方が疎かになりかねぬ。

 ならば・・・、


瀬名せな氏詮うじあきら殿にお任せするとしよう。何度も氏俊殿が大将として出陣される戦に同行し、その戦ぶりを間近で見ている。信用するに値すると思うが」

「私も賛成です。早速ここへ呼びましょうか」


 泰朝殿も頷かれた。氏詮殿は氏俊殿の嫡子殿である。まだ20になったばかりではあるが、すでに手柄まで挙げておる。

 また兵を指揮する才能にも長け、単独での行動でもある程度は任せることが出来るであろう。


「うむ、道中簡単に用件を伝えてくれてもいい」

「わかりました。では・・・。景貫殿も一緒に行かれますか?」

「いや、もう少し元信殿と話そうと思う」

「そうですか。ではまた後ほど」


 泰朝殿が出て行き、景貫殿は出て行きかけた身体を反転させて俺の正面の椅子に腰を下ろした。


「先ほどは済まなかった。らしくないことをしたと反省している」

「であろうな。何やら焦っているようにも思えた。いったい何がおぬしをそうさせたのだ」

「和田城の落城を聞いた。儂が何年も対立してきた遠山景広はあっさりと降伏したとな」


 それも氏興殿の報告にあったことだ。遠山景広は次子である景忠を人質と出すことで今川への臣従を申し出たのだ。

 たしかその身柄は政孝殿が預かっていると言っていたな。


「これで天野の領地も安心だ」

「たしかにそうだ。この戦に勝てば信濃の半分ちかくを手にすることが出来る。我らの領地も安全になるであろう」

「ならなにをそれほど憂いておるのだ」


 安全という言葉を使いながら、その表情はまったく晴れぬままである。


「儂は恐ろしいのだ。あの男が」

「あの男?」


 最初は織田信長の事かと思った。桶狭間のことに加えて、此度の飯富の大敗のこと。それらを含めてそういった思いを抱いたのかと。

 だがどうやらそうではないらしい。


「一色政孝。あの男はいったい何が見えておる。あの若さであの立ち振る舞い。どう考えても常人ではない」

「・・・たしかにな。政では失敗することなく、むしろ一色古来の大井川領を飛躍的に発展させている。そして商人の扱いに、その者らに対する理解の深さ。さらには雑賀衆と繋がりを持ち、政孝殿はこの戦国の世で一歩前へと躍り出た」


 改めて口にするととんでもない若者であるというしかない。

 これまでほとんど関わりを持たなかった景貫殿が、その存在に恐れを抱くのもまた当然のことなのであろう。


「種子島の破壊力は敵味方を問わず震え上がらせた。結果として我らの信濃侵攻は順調すぎるほど上手くいっている」

「であるな。俺の所持する少数の種子島の音ですら、敵方は驚き簡単に降伏を申し出てくるのだ。井伊谷城の惨状を見れば気を失うやもしれん」

「儂も失いかけた1人だ。そしてあのような死に方だけは御免だと思った。元信殿、あの男は今川から背いたりはしないのであろうな」


 いきつくところはそこであった。

 あの軍事力に財政力はすでに一国の大名に肩を並べていると言っても過言ではないほど大きくなっている。

 駿河の方々があのような態度をとるのは、そのような悲劇をおそれているからなのだ。そしてその感情が最悪な形として表に出ている。


「・・・俺は信じる。幼き頃の殿をずっと側でお支えしてきたのは俺でも、景貫殿、泰朝殿でも無く政孝殿なのだ」

「殿のご信頼は決して揺るがぬであろう」


 松平との婚姻も許された。雑賀との交易も許された。さらには異国の武器まで仕入れることを許された。

 ただの一門衆ではこうはならぬであろう。


「そんな心配性の景貫殿に1つ助言をしておこう」

「心配性などでは・・・、それで助言とは」


 思った以上の食いつきに苦笑いが漏れる。


「一色政孝とは恐ろしき男であると同時に面白き男である。これまではあまり接点がなかったであろうが、今後は仲良くすることをお勧めしよう。きっと良いことがある」


 俺はそれだけ伝えると景貫殿を陣中に置いて外へと出た。ちょうど泰朝殿が氏詮殿を連れてやって来たところであった。

 氏詮殿の顔は少々不安げであるな。だが今は人の手が足りぬ今川家。

 多少強引なやり方でも人を育てなければならぬ。それこそ政孝殿のような人材を育てるためにな。

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