平穏なひととき
140話 側室騒動
大井川城 一色政孝
1565年秋
「今日は高瀬姫まで連れてどうされたのですか」
「大事な話です。しっかりと体勢を整えなさい」
大湊の会合衆が帰った後、俺の前にやって来たのは母と豊岳様、時宗、そして高瀬姫であった。後ろには控えめに久もついてきている。
それにしても帰ってきて早々なのか。うんざりしたくなる気分を表に出さないよう極力心穏やかに5人を迎え入れる。
「ささっ、あなたはここに座るのです」
「はい」
高瀬姫は俺の正面へと座らされ、両隣を母と久が、大叔父上は俺達を横から見るような場所に、時宗は母らの背後に座った。
「今日という今日は覚悟を決めて貰いますよ。鶴丸の成長は順調なのです。久の立場も安泰、何を心配することがあるのです」
「この子の前で言うことは悪いとは思いますが、そこまでいわれるのであればハッキリ言わせて頂きましょう。井伊家は未だ赦されていないのです。久を迎え入れるのとは少々事情が異なる」
「であれば余計にこの子を守るための1つの手段ではありませんか。それに高瀬姫もあなたのことを気に入っております」
表面的かつ一般的な理由ではどうあがいても母を説得出来ない。何故こうも高瀬姫との結婚を推してくるのか、俺なりに考えてみたのだがとある答えにたどり着いた。
母は、俺が井伊家の保護を諦めるときが来ると思っているのではないだろうか。同じ城で生活する高瀬姫や虎上殿、時宗に預けてはいるものの基本的には城でみなの目の届くところで成長を続けている虎松、もはや家族の一員と認めつつあるこの現実を手放さないために高瀬姫を側室へと迎え、一色と井伊で繋がりを保とうと考えているのかもしれない。
「本当にその理由だけか?儂にはどうもそうは思えぬがな」
「それだけです。一門衆に任じられた一色家は今川家に尽くさなければなりません。元康のように一門衆を剥奪されるわけにはいきませんので」
「冷たいことを言うのだな。では質問を変えるとしようかの。今の関係でここに匿われている井伊の方々を守ることができるのであろうな」
豊岳様の言葉からわかることは、そこまで高瀬姫を側室にすることにはこだわっていないということ。あくまで側室として迎えることは手段の1つであり、最終的にみなを守れれば良いという考えなのだと思う。
「皆様落ち着いてください。ここは姫の考えを聞いてみては如何ですか?」
「たしかにその通りです。私としたことがうっかりしていましたね」
母は高瀬姫に自分の想いを言うように背中を軽く押した。高瀬姫も小さく頷き、そして俺の目を見る。
その小さな瞳には並々ならぬ覚悟のようなものが感じ取れた。正直あとから思えばここで気がつくべきであった。
何かがおかしい。何か大きな勘違いをしていると。そう思えば俺もまだまだだと痛感する。そして謎の羞恥心に襲われることもなかった。別に勘違いしていたわけではないし、もししていたのだとしてもそれは俺だけでは無く、周りのみなも同様であったはずなのだ。
おそらく知っていたであろう久を除いてな。
「私は政孝様のお側でずっとお力になりたいと思います」
「・・・その意味を本当に分かっているのか?」
「はい!」
母の微笑みは止まらない。豊岳様や時宗も勝ったという笑みをこぼしていた。幾ら俺であっても本人から求婚されれば断るような真似はせぬだろう。そう思っているに違いない。
だが俺だって事情がある。前世で目覚めさせることのなかった性癖が開化するのだけはどうしても避けねばならぬ事態である。
「俺の側室になるとなれば色々大変だぞ?久も苦労している」
俺の言葉に高瀬姫はぱちくりと目を瞬かせた。
・・・あれ?何だろう、この変な空気は?高瀬姫以外のみなも同じような反応を示した。
「側室?・・・側室とは何でしょうか?」
「側室というのはな・・・」
相手は10才そこらの女児である。側室とは何かと聞かれて何と答えるのが正解なのかが分からない。
「側室とは政孝様と結婚することですよ」
久がそれとなく答えた。あくまで室としての話ではあるが。
しかし久の答えを聞いた高瀬姫は小さく首を振るのだ。その首振りはいったい何にたいしてなのだろうか。
だんだんと混乱する場で唯一マイペースに話を進められるのは高瀬姫だけ。
「私は妻としてではなく、政孝様の家来としてお力になりたいのです!それとも妻でなければ私の恩人である政孝様のお力にはなれませんか?」
「は?んん~?」
変な声を出したのは俺だけだが、鳩が豆鉄砲を食ったように驚いているのは俺だけでは無い。
母と時宗も同じようなものであった。
困ったように髭をさすっているのは豊岳様。
「ど、どういうことなのですか!?」
「私が豊岳様に保護されるまで過ごしていたのは信濃の山中でした。しかしこの地にやって来てその華やかさにとても驚いたのです。そしてこのお城の中に入ってさらに驚きました。なんて華やかな場所なのだろうと」
「たしかにこの城には商人らが持ってくる、日ノ本中の特産品が飾られているな」
部屋だけではなく、廊下や柱にまで色々装飾がされている。
高瀬姫はそれに目を奪われたのだろう。
「政孝様にお会いして、すぐに信頼出来る御方だと思いました。たしかに私にも井伊の血が流れています。弟や虎上様のように守って頂けるでしょう。ですがお父上様の妻でもない母のことを思えば私がこの身を預かって貰うために政孝様のお力になるしかないとも考えたのです」
「だから妻としてではなく、家臣として俺の力になりたいと申すか」
「はい。私に戦うことは出来ません。ですが昌友様のように政であれば・・・、今から懸命に学びます。ですからどうか・・・」
高瀬姫は頭を下げた。母が慌てて止めさせようとするが、俺が何かを言うまで頭を上げないつもりらしい。
「旦那様、人手は多い方が良いのではありませんか?それに昌友のように政を得意とする人材は多くはありません。この子の可能性に賭けてみては如何です?」
「・・・知っておったのか?」
「私の元で預かっていたのですから当然です。それに私は側室を迎える気が無いかとは聞きましたが、この子を側室に推してはいませんよ?」
まったくいいようにやられてしまった。母の言葉を鵜呑みにし、高瀬姫は俺に好意を持っていると勘違いしていた自分がとんでもなく恥ずかしい。
「高瀬姫、そなたを久の元から外す。しばらくは・・・」
一瞬昌友に預けようとも思ったが、昌友に任せると完璧にこなそうとしすぎて内政の方が疎かになりかねない。
しかし家中で他に良い人材は大井川領には今いない。彦五郎も房介も一色港に行ってしまっているからな。
「庄兵衛の元に預ける。まずは金のこと、そして他国の事をとにかく知るのだ。庄兵衛より合格を貰ったらまた城に戻ってくるが良い」
「よろしいのですか!?」
「あぁ、それに身の安全を考えても城に留まっているよりも庄兵衛の元にいた方が安全であろうからな。あやつは金の匂いがあればすぐに移動する。正直俺でも庄兵衛の行動は把握出来ていない」
だから刺客が放たれても安心であろう。栄衆ですら庄兵衛の行方を捜し出すのは困難を極めるのだから。
「いつから行けますでしょうか」
「そうだな、とりあえず暮石屋を筆頭にいくつかの商家に商いの話を持ちかけている。近いうちに城に来るであろうから、話はその時するとしよう。一緒に挨拶をするのだ」
「かしこまりました!その日を楽しみにしております」
高瀬姫と久は小さく礼をして部屋から出て行った。
直後豊岳様が耐えられなかったようで、声を出して笑い始めた。母は眉間を押さえ、時宗はため息をついている。2人ともやや老けたやもしれぬな。
「いいように振り回されてしまいましたな」
「まさかあの子がそのようなことを望んでいたとは・・・。政孝があれほど小さいときもよくわからぬと頭を悩ませましたが、高瀬姫はさらにその上を行ってしまいました」
いつまでたっても豊岳様の笑い声は止まなかった。対して俺達のため息は止まらない。恥ずかしさと困惑。腕白な姫は久のような才媛と呼ばれる者になるのか。今から楽しみよ・・・、はぁ。
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