134話 吉良家の最期
三河国幡豆郡 一色政孝
1565年夏
狼煙が上がってすぐに、遠くに見えている吉良勢の兵に乱れが生じ始めた。遠目でよく見えないが明らかに混乱しているのがわかる。
「道房が上手くやってくれたようだ。全軍に通達せよ、吉良家の背後の急襲に成功したことにより作戦壱を行う。広域に展開し、逃げ惑う吉良の兵どもを1人残らず討ち取れ!」
「「「はっ!」」」
使番の者らはまた各隊に俺の命を伝えに走った。
作戦壱とは吉良義昭が一向宗に攻撃を任せて高みの見物を決め込んでいた場合に行うと決めていた奇襲とその後の行動を決めた作戦だ。
もし一向宗と吉良兵が一緒に攻めてきて入れば作戦弐を決行するつもりであった。
とは言っても、一色港での攻め方を見るに間違いなく壱で事足りるとは思っていたのだがな。
「まさかこうも上手くいくとは・・・」
「面白いだろう?それに三河を任されている者らはあまり兵を集められない。領民が西に東に逃げ出しているからな」
「数でも質でもこちらが有利ということですね」
頼安の言葉に俺は頷いた。そして逃げ惑う吉良兵を見てみる。一向宗があまりにも多かったからだろうか。全員が鎧姿だというのに、そこまで怖いとも思えない。
「敵は分散しているからな。ある程度の人数で構えていれば容易く勝てる。決して油断だけはしないようにな」
「かしこまりました」
頼安はまた兵達の方へ戻っていく。これから俺達の最後の戦が始まる。とは言っても、ここまで乱れに乱れればよほど手強い者がいない限りはさきほどよりも苦戦することも無かろう。
「景里、後方に控えている時真に合流し一色港まで退け。その後は海里と共に海路より海上輸送の護衛につくのだ。一色港には種子島に必要な物資が揃えてあるから遠慮無く使え」
「かしこまりました!では我らはこれで」
「護衛を付けようと思うのだが・・・」
「心配には及びません。我らにはこれがありますから」
景里は大事そうに種子島を抱え上げて見せつけてくる。
まぁそうだな。火薬も一応持たせているし、万が一襲われてもそもそも腕が立つ。むしろわざわざ目立たせて行動する必要も無いか。
「ついでに水軍衆に伝えてくれ。三河での戦は直に終わる。三河湾より伊勢湾の警戒を重視するように、と」
「はっ」
景里も鉄砲兵らをつれて出て行った。
1人本陣に残った俺は各地で巻き起こっている殲滅戦をただ眺めていた。吉良家はかつて今川の本家筋、謂わば名門であった。
足利家の親族として、数少ない征夷大将軍に任じられる権利を持つ家だったのだ。
それが今や大名でも無い、いち大名家の家臣に蹂躙されるまでになるとは戦国時代とは何とも残酷なものかと思い知らされた。
ありとあらゆるところで声が飛び交っている。「討ち取ったり!」だとか、声にならない悲鳴だとか、様々だ。
「政孝様、ご無事そうで安心いたしました」
「藤孝殿も何事も無かったようで何よりだ。それより如何であった?」
「例の村は一向宗の影響なく、ひっそりと暮らしていたようです。しかし我らが到着した直後に、一向宗がやって来て略奪を働こうといたしました。よってその場で成敗し、大将らしき者も討ち取った次第にございます」
「わかった。のちほど確認する」
藤孝殿は礼をして陣から出て行った。それにしても大将格の首を取ったか。たったの30人しかいない状況で良くやるものだ。今度それとなく俺に仕える気が無いか聞いてみるとしよう。
「殿!鶴翼の陣にて敵を迎え撃ったと聞きましたぞ!」
「道房か、その通りだ。作戦は大成功であったわ」
「大成功ではございません!何も殿がそこまで危険を冒さずとも」
「危険を冒さねば士気は上がらない。俺はこの目で確かに見たぞ。奮起する兵達の姿をな」
道房は何か言いたげであったが、他の者らが陣内へ入ってくるのを見て引き下がった。しかしこれは何やら嫌な予感がするな。
ちゃんと後で納得するまで話し合うことが賢明だと思う。
「お話中失礼。吉良義昭を連れて参りました」
連続での話し相手の到来で、戦に決着がつくところを見逃してしまった。しかし吉良義昭はちゃんと捕縛したのだな。
よくやった。これは大きな成果である。
「わかった。この場に連れてこい」
「はっ!では。おぉい!連れてこい」
兵が連れてきた男は間違いなく義昭である。手を後ろに回して縛られていて、まともに身動きが取れる状況では無かった。
それでも何かあってはならぬと、多くの兵が警戒した様子で俺と義昭を見ている。
「随分と久しぶりではないか。まさかこの様な形で会うことになるとはな」
「ふんっ、貴様となど話すことはない。殺すならば殺せ」
「随分と嫌われたものだ。俺にはお前に嫌われるようなことをした記憶は無いのだがな」
だいたい義昭の兄である義安が独断で元康についたのだ。それを俺が久を迎えたからといって嫌われるなど意味が分からん。
だが今川館で会ったときもこんな感じであったな。
弁明もしないだろう。それにこれ以上、こいつに構っている暇など無い。
「まぁ良い。本人もこう言っているのだ、こやつの首を刎ねよ」
佐助は頷き、そして陣より出て行った。その後しばらくして戻って来た佐助より首を確認し、他の主だった者らで討ち取った首も確認を済ませる。
確かにみな吉良家の家臣で間違いは無い。
そして最後に確認したのは藤孝殿が西の村で討ったという将の首だ。
「ご確認をお願いいたします」
「あぁ・・・」
藤孝殿には誰か判断出来ぬとのことで、俺が直々に確認することとなる。
出て来たのは吉良の者では無い。だが、知らぬ顔というわけでも無かった。
「・・・この者、
「一向宗についていたとは・・・」
道房が唖然とした様子で一言、そう発した。
正重の兄には正信がいる。たしかに兄弟で一向宗についたがどちらも赦されたのが史実であった。
しかし此度は死んだ。
「みな、よくやった。あとは東条城を落とせば、我らの戦は終わりである。最後まで気を抜くでないぞ」
「「「ははっ!!」」」
元康が今川家に屈した今、旧松平家臣が史実同様に赦されるかどうかなど全く分からない。
正重のように討ち取られる可能性もある。史実通りに元康を裏切ったと考えた場合、結構優秀な人材を一向宗らのせいで殺されることになるな。
「殿?如何されました?」
「いや、ただあまりにも一揆とは厄介なものだと思ってな」
「今更にございますか?」
「今更・・・、ではないな。ずっと思っていた。おかげで鶴丸が生まれた時には立ち会えなかったわ。その時からずっと奴らを煩わしく思っていた。だから寺を焼き払い、坊主の首を刎ね、そして降伏する一向宗を無視して斬れなどという命令が出来たのかもしれないな」
「・・・まだ戦は終わっておりませぬ。といつもならばいうところに御座いますが、此度は言いませぬ。ただ、一言。この戦が終われば一度ゆっくりしてくだされ。殿は十分に戦われましたので」
道房に言われて俺は小さく深呼吸し、その言葉を飲み込んだ。
人を殺しすぎて感覚がじゃっかん麻痺していたのだと思う。早く帰って鶴丸に会いたいわ。心底そう思った。
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