121話 礎を築きし者

 大井川城 一色政孝


 1564年冬


 足音は確かに俺の部屋の前で止まった。障子から見える影は、武家の平服のそれではない。

 だとすれば思い当たる人物は1人しかいなかった。


「殿、豊岳ほうがく様にございます」

「入ってもらえ」

「はっ」


 案内してやって来たのであろう時真の言葉と同時に襖が開けられ、そこに立っていた人物が柔らかな笑みで俺に一礼した。

 周りに控えていた若者らも礼をする。

 俺もだらけきった体を起こして頭を下げた。


「お久しぶりにございます、大叔父上」

「本当よな。最後に会ったのはまだおぬしが元服する前であったかな」


 時宗よりも立派にたくわえた白髭を撫でながら「ほっほっほ」と笑い声を上げられた。

 豊岳様、元の名を一色いっしき義政よしまさ様といい、元服前に家督を継いだ父の後見人であった人物だ。先々代当主であった祖父の弟である。

 万が一にも御家騒動が起こらぬように、父が元服した後は縁東えんとう寺という一色の菩提寺の住職になったが、今ではそちらも子に譲り自由気ままに各国を旅しておられる。

 たまにこうして急に戻ってこられるのだ。


「報せを入れてくだされば出迎えの用意をしたのですが」

「許せ、政孝よ。おぬしに子が生まれたと風の噂で聞いたのでな、弟子らを走らせて急ぎ戻って来たのよ。で、城下町で商人らに話を聞けば、今日は祝いだというではないか。儂も騒がせて貰うぞ」

「わざわざ鶴丸のために。ありがたきことにございます」


 相変わらず元気な爺様よ。父が死んだときも越中に滞在されていたのを急いで戻って来たといっていた。みなも驚いていたわ。


「まぁそれは1つの方便のようなものだ。内密の話がしたい、ぬしらは外へ出よ」


 若い坊様らは、豊岳様の言葉に従い部屋から出て行った。あまりこのような雰囲気を出される御方ではないのだが、そのようなことをされると嫌でも緊張してしまう。

 一体何を言い出されるのであろうか・・・。


「聞いたぞ。井伊より随分と厄介な置き土産をされたそうであるな」

「・・・厄介など。私が助けたいと思ったからこの城に置いているのです。あまり不用意なことを言われませぬよう」

「ぬしが乗り気であるのであれば良いのだ。ただそのついでに1つ頼まれて欲しいことがある」


 豊岳様はズイッと体を俺に寄せてきた。俺もこれをやるけど一色の遺伝みたいなものなんじゃないかと疑ってしまうな。

 もしや爺様や父もやっていたのではあるまいな。


「直親の子はもう1人おる」

「虎松だけではないのですか?」


 俺の疑問に首を横に振って答えとされた。また歴史が変わったのか?それとも単純に俺の知らなかっただけか?


「信濃伊那郡に塩澤という一族がいるのだがな、そこに高瀬たかせという姫がいる。その姫、確認したところ間違いなく直親の娘だというではないか」

「直盛が直親殿を殺して武田に降ったということは、その高瀬という姫も囚われれば大変危険ですね」

「そうなると思って、姫の身は儂の手のものに頼み安全な場所で匿っておる。虎松を助けるというのであれば、高瀬姫も助けてやってはくれぬか。方法はおぬしに任せる故な」


 あまりに急の話すぎる。それにあまり井伊の一族を匿いすぎると、それこそ変な噂が出かねないが・・・。

 しかしこの御方の頼みを断ることも出来ないのだ。

 今の一色の礎を築いた人と言っても過言ではない。一色家は元々遠江を今川から奪い、支配していた斯波家に従っていた。

 当時の一色家当主は豊岳様や俺の祖父、政国まさくに様の兄であった政澄まさずみ様という御方。

 しかし今川家の当主が氏親公になると、後北条家の祖である北条早雲と協力しそれぞれの地で勢力を確立。そして遠江への侵攻を開始した。

 斯波しば義寛よしひろに従っていた大伯父は、対今川の最前線であった大井川城で徹底抗戦をしていたのだが、戦が始まって1年後に討ち死にしてしまう。

 そこで家督を継いだのが祖父である政国様で、その補佐として、そして対今川における交渉役として活躍したのが豊岳様というわけだ。


「しばし時間を頂きたいのですが。みなと相談しませんと」

「わかっておる。井伊を助けて一色が滅びるなど儂の望むところではない。あくまでその姫の存在を頭の片隅にでも置いておいてくれると助かるといった話よ。なんならぬしの側室としてしまう手もある。元々の敵を身内にするのは政孝殿の得意な手のようであるからな」


 また「ほっほっほ」と笑われた。間違いなく久のことを言われているのであろうが、あれも別に俺から持ちかけた話ではない。確かに結果として元康を思うように扱うことも出来たし、岡崎城で信長に会うことも出来たわけでが。全て単なる偶然。あまりにも出来すぎた話だと今でも思っている。


「側室というのは別の話になりますが、その高瀬という姫のことはしっかりと相談させていただきます。ちなみに今のお年は?」

「今年で10になったと言っておったかな」


 ずるっと転けそうになったわ。俺今年で23なんだけど?13才差は犯罪的じゃなかろうか?


「・・・よくみなと話し合います。結論は縁東寺にお知らせするということでよろしいでしょうか」

「構わぬよ。儂もしばらくはこっちでゆっくりする予定であったからな。では一度ぬしの子の顔でも拝みに行こうとするかの。そういえばぬしの奥方にも会ったことが無かったか。これはうっかりしておったわ」


 笑い声を上げられながら部屋を後にされた。御年83のはずだが元気で安心するよ、しょうもない冗談も言えるほどだからな。

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