113話 失う同盟国

 勝幡城 織田信長


 1564年秋


「元康は再び今川に降るのだな」

「はい。此度の一揆を単独では押さえられぬと判断いたしました」

「何故俺を頼らぬ」

「尾張内でも一向宗の勢いは凄まじく、さらに長島城には願証寺を中心に大規模な一揆が発生していると聞いております。故に信長様には頼れぬと」


 元康より遣わされた忠次は俺の目をまっすぐ見てそう言いきった。最初こそ俺の知らぬところで何かがあるのではないかと疑ったものだが、そういった様子でもない。

 おそらく元康の名代として参ったこの者の言葉は本当であろう。


「徳姫様の事ですが、一向宗を鎮圧後我らが責任を持って信長様の元へとお連れいたします。短い間ではありましたが、我らを気にかけてくださいまして感謝いたします」


 徳と竹千代との婚姻も無かったこととするか。しかしそれは勿体ない。

 今川が元康の臣従願いを許し配下になったとき、俺の縁者が今川家中にいるのは何かと我らにとっても都合が良い。

 何かあれば徳の親族として介入出来るやもしれぬ。・・・いや、今の今川を傀儡のように扱うのは難しかろうな。

 3・4年前であれば難しくはなかったであろうが、あの時は駿河や遠江を制する力など無かった。まだ三国同盟に何の不安もなかった頃である。武田・北条の援助の元で今川が2国を維持しておったやもしれん。

 そう考えれば結局のところ現状が一番良かったのかもしれぬ。


「徳はそのまま竹千代に嫁がせる。今後とも娘のことをよろしく頼むぞ」

「本当によろしいのでございますか?」


 忠次は面を喰らったような顔で問いかけてきた。しかしおぬしらも同じ事をしておるではないか。


「久、といったか。一色政孝に嫁いだのであろう。あの頃はまだ敵同士ではなかったか?」

「・・・これは失念しておりました。たしかに我らも同じ事をしております」

「であろう?なれば気にすることはない」


 忠次が再び頭を下げる。

 それにしてもまさか元康がそのような決断を下すとは意外であったな。松平は先代広忠の代より織田と今川に挟まれ難しい選択の連続であった。

 結果として今川に付いたのが正解だったのやもしれん。そして独立を果たした今、再び難しい選択に迫られた。

 また同じ事を繰り返すか。


「元康に元気でやれと伝えよ。あとは無駄に命を散らすなとな」

「はっ!ありがたきお言葉にございます。必ずや殿にお伝えいたします」

「うむ、この話はこれで終わりとする。ところで話は変わるのだがな」

「はっ」


 忠次は突然何事かと頭を上げて俺の目を見ている。俺がこれから何を言いたいのかやはり見当はつかぬか。それならばやはり松平、いや正確には元松平の者らの仕業ではないのか?


「此度の大規模な一揆が勃発する前に、本願寺の坊主共が各地の門徒らを煽っておったのは知っていたか?」

「はい。その報せを聞き急ぎ取り締まりを行いました」

「尾張と三河の国境付近でもそのような活動があったということは?」

「いえ、そのような報せは聞いておりませぬが。少なくとも三河の寺関係ではないかと」


 おかしな話だな。信盛らが捕らえた坊主共も知らぬと言っておった。仏に仕える者らが嘘をついているなど俺は思わぬが、本当に知らぬのだとすれば一体誰がそのような真似をしたというのだろうな。


「そうか、まぁよい。いずれ分かることであろう。話はこれまでよ」

「貴重なお時間をいただきありがとうございます」

「また会える日を楽しみにしているぞ。もしかすると敵同士やもしれぬがな」

「・・・味方同士で会えることを楽しみにしています」


 忠次は岡崎城へと帰っていった。ゆっくりしていけとは流石に言えぬわ。

 そして忠次と入れ替わるように部屋へとやって来たのは林秀貞である。先日まで北方城の安藤守就の元へとやっておった。しかし急ぎの用件があるため、急遽帰国させたのだ。


「ただいま戻りました。私にご用件があるとお聞きいたしましたが」

「あぁ、急ぎ伊勢の大湊へ向かってくれ」

「大湊・・・、堺と同じく北畠より独自の自治が認められている大湊にございますね」

「そうだ。あの地は長島城に物資を流しているだけでなく、一向宗に手を貸しておる。これから冬になり戦ができぬ時期に体勢を整えられると厄介だ」

「狙うは会合衆にございますか。しかし素直に従いますかな?独自の自治を認められ統治している者らは頑固なものが多いです」

「頷かねば実力行使よ。あの地に住む全ての者を滅ぼす、そう脅しをかけよ。はったりだと思われれば1人くらい会合衆の者を殺しても構わぬ」


 それくらいやればこちらが本気であることも伝わるであろう。それでもなお聞かぬのであれば、本当に根切りにしあの地を俺の支配下に置くだけだ。


「彦七郎とサルが長島城を包囲すべく北伊勢の豪族らを攻めておる。しかし大湊までを陸路で繋ぐことは難しい。北伊勢の長野に圧力がかかったことで北畠が出張ってきているからな」

「たしか北畠の実権は未だ隠居した北畠きたばたけ具教とものりにございます。長野家の当主は具教の次子である具藤ともふじですから、要請を受けて動いているのでしょう」

「そういうわけだ。あまり時間は無い。俺達の敵は一向宗だけでは無いのだ。武田に北畠、そして・・・今川もまだどうなるかわからぬ。元康のこともあるからな」

「元康殿にございますか?そういえば先ほど忠次殿と出会いましたが一体何事で?」

「元康は此度の一揆に単独で対応出来ぬと判断し、今川に助力を請う。松平の臣従を申し出ることでな」


 秀貞は唖然とした。おそらくこれから話すであろう誰もが同じ顔をするであろう。まさかこのような決断を下すとは・・・、とな。

 俺もそう思ったのだから、間違いはない。


「これで三河は今川の勢力下ですか・・・。また戦が起こるでしょうか」

「起こらぬとは言い切れぬが、今川も馬鹿ではあるまい。自ら敵を増やす真似もしたくはないであろう」

「前もそのように仰られておりました」

「ならば聞くでないわ。同じ事を何度も話すことは好かぬ」

「申し訳ありませぬ。では私は海を使って大湊へ向かう支度をいたしましょう」


 秀貞が出ようとしているのだが、名案を思いついた。俺が畳を叩くと、気がついた秀貞は再び俺の前に腰を下ろす。


「今伊勢の海上で一色が水軍を展開しているという話を知っておるか?」

「いえ、存じませぬが。一色とは今川一門衆の一色にございますね?」

「あぁ丹後の方ではない。その家の当主とは顔見知りである。もし海上で一色に所属する水軍と鉢合わせしたら、それらに警護をして貰え。なんなら直に一色政孝に会い、そのように交渉しても構わぬ」

「・・・刀を向けられたりは」

「おそらく大丈夫なはずだ。俺を信じよ」


 不安げではあったが秀貞は今度こそ支度のために部屋より出て行った。

 秀貞にはああ言ったが、十中八九出会うであろう。あれだけ派手な損害を与えているのだからよほどの数を揃えたか、はたまた練度の問題か。

 しかし直に会えぬのは残念であるな。あれからどのような男になったのか目にしたいと思うのだがな。

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