第74話 新たに下された命

 大井川城 一色政孝


 1562年冬


 氏真様は元康と和睦を結ばれたようだ。それも相当こちらに有利な条件で、だ。落とされた上ノ郷城は返還され、捕虜とされていた長照殿がそのまま帰還した。

 後方支援隊によって落とされた五本松城と別働隊であった俺達が落とした東条城は、そのままこちらの領有が認められた。元康が求めたことは、五本松城城主であった西郷正勝と東条城城主であった吉良義安とその一族を解放すること。

 そしてもう1つが、俺が独自に行っていた海上封鎖をやめることだった。

 あれによって商人らがずいぶん元康に愛想を尽かし他国へと逃げていった。その中には大井川商会組合に所属している商家に保護された者までいたようだ。

 さらに漁師を生業としている者らも不満の声を上げていると聞く。

 元康が3つの城を手放した理由はまさにここにあった。領内の対松平感情がここ近年で最悪なのだ。

 万が一民が蜂起したとき、それを押さえるだけの力がない。そう判断したのだと思う。

 氏真様より海上封鎖を止めるよう指示された。当然だがその指示には従うつもりでいる。攻撃されない限りは、しばらくは敵では無いのだからな。


「殿、殿?殿の番にございます」

「ん?あぁ悪いな。少し考え事をしていた」


 俺は目の前の碁盤に目をやって黒い石を置いた。すると相手である時宗はムムッと唸った。

 時宗の持つ白い石が、碁盤の上をあちらこちらに彷徨っている。これはもう少しかかりそうか。そんなことを思いながら庭を見る。

 本格的に冬になり、葉の落ちきった木々が寒そうだ。

 そういえば一色が任された名も無き漁港の名前が決まった。というよりも村民が勝手に呼び名を決めたのだ。

 その名も一色港。まぁ理由は言わずともわかるだろう。

 今は彦五郎が親元と親元が率いている部隊を連れて、一色港の発展に尽力している。ほとんど零からの始まりだから、まだまだ先は長そうだと報告を受けた。

 まぁこればかりは気長にやるしかないだろう。


「参りました。殿には敵いませぬ」


 白髪の多くなった頭が俺の前へと垂れる。時宗は降伏したか。


「俺が発案者だぞ?そう簡単に負けられぬ」

「それにしてもにございましょう。まだ家中で殿に勝てた者は1人としておらぬとか」

「そうだな。誰か早く俺を倒してくれ」


 俺はそう笑いながら時宗の部屋を後にした。正直、三河平定戦から帰還して以降相当暇をしていた。だから娯楽を作ることにしたのだ。それがリバーシ。ただしこの時代だとおそらく浸透しにくい、故に源平碁と名付けた。

 碁もやっているが、やはり小さな子供にはリバーシの方が簡単だろう。

 今、一部の商家の伝手を使って職人に専用の盤と石を作らせている最中で、代替品として碁の盤と石を使いながら一色家で密かに盛り上がっている。

 今のところ俺は全勝中だ。


「久、少しいいか?」

「旦那様?はい、どうぞ」


 部屋に入るとここでもリバーシをやっていたようだ。久の相手をしているのは栄女衆に所属しているが、現在は久の護衛も兼ねて侍女をやっている初。

 正確な歳は知らないが、見た感じだと俺達とほぼ同年代に見える。


「この“源平碁”というもの、とても面白うございます」

「それはよかった。初、久の腕前はどうだ?」

「わたくしめでは最早相手になりません」


 平伏しながら初はそう言うと、そのまま部屋の隅へと下がっていった。すでに盤は綺麗に片してある。


「それでお話とは?」


 久からの問いに答える前に、初へ目を向けた。その視線に気がついた初は小さく頷きそして部屋より出て行く。

 その光景を見て、久もなんとなく察したようだ。これから重要な話があるのだと。


「先ほど氏真様より密命を受けた。俺は越後へと向かう」

「・・・越後とはまた遠いですね」

「あぁ、昨年関東管領職を継承された上杉政虎様にお会いする」

「重要なお役目です」

「そういうことだ。この地のことはすでに四臣らによく言ってある。それと此度のことは密命故あまり大人数を連れていけぬ。だから腕っ節のある昌秋を連れていくつもりだ。他は少数の護衛のみ。同行される方は岡部正綱殿と小野政次殿のお二人とその護衛のみ」

「・・・大丈夫でしょうか?」

「あぁ、一応落人には精鋭を頼んでいる。影に紛れて俺達を守ってくれる手はずにはなっているが、警戒するにこしたことはないな」


 しかし氏真様がこのタイミングで越後に俺を向かわせる理由。武田の動きを察知したのか?しかし栄衆から武田のこれといって不審な動きは報告されていないはずだが・・・。


「旦那様、お気をつけください」

「あぁ、ありがとう。必ず任を全うし無事に帰ってくる」


 微妙な沈黙が流れたのだが、久は何も言わない。心配させるとは思っていたが、このままではあまりに居心地が悪かった。


「さて、久がどれほど強いか俺が見てやろう」

「・・・本気でやらせて頂きますよ?」

「手を抜けばすぐに分かる。全力で来るがいい」

「ではっ」



 後に源平碁は大井川領の特産品として日ノ本各地に普及していくこととなる。そしてそれは京の朝廷も例外でなく、長く人々に愛される娯楽となったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る