第73話 不平等な和睦
今川館 今川氏真
1562年冬
「このような急な訪問に対応して頂き感謝いたします」
「気にせずともよい。ちょうど暇をしていたのだ」
麻呂の前で頭を下げている男は、元康の家臣である酒井忠次。つい数ヶ月前まで三河の地にて刃をかわしていた男である。
そんな敵の突然の訪問。急な話であったこともあり、この場に同席している者は少ない。
いるのは泰朝と氏俊だけであった。
「しかしよく単身乗り込んできたものだ。いつその命を狙われてもおかしくはないのではないか?」
「我らにもあまり時間が無いのでございます。一刻も早い解決をなさねばなりません」
「そうか。そちが何を言いに来たかは分かっている。刻が惜しいのであれば、早く本題に入ることだ」
「では」
忠次は懐より1通の書状を取り出し、泰朝へと差し出した。泰朝は受け取りそれを麻呂へと手渡す。
「我が殿は今川氏真様との早期和睦を望んでおられます」
「・・・あまりに勝手な話ではありませんかな?」
「氏俊殿が警戒されるのは尤ものこと。しかし先にも言いましたが、刻がないのです」
氏俊は特に元康を恨んでおる。いや、きっと麻呂のことも恨んでいような。なんせ実の弟を死なせたのだから。
「その書状には和睦を結ぶ際に交わす約定の提案がございます」
書状を開き、その内容を1つ1つ漏らさないよう慎重に読み進めた。しかし、どうということはない。
我ら今川に有利すぎるほどの条件が書かれてある。それほどまでに元康は早期和睦を望んでいるということであろう。
「忠次、あまりにも麻呂に譲歩しすぎではないか?」
泰朝に書状を手渡し、その間に忠次へとこの和睦の真意を問うてみた。しかし忠次はただ首を振るのみ。
話の分かる泰朝が読み終えるのを待っているのやも知れぬ。
「そうですな・・・。松平からは鵜殿長照殿とその一族を解放し、上ノ郷城の返還を約束。さらに五本松城の所有もこのまま今川の城として認める。かわりに我らは西郷正勝殿、吉良義安殿とその一族を解放することにございますか」
「東条城もそのまま吉良義昭殿に入って頂いて問題ありませぬ」
「先にも問うたが、何故ここまでこちらに譲歩する。元康の狙いは何だ?」
「・・・地盤が揺らいでおります。殿の三河支配は思ったよりも時間がかかっておりますので。三河国内で松平を正当な主と認める風潮が揺らぎ始めました」
此度大量の城を手放したのは、松平の支配では持たぬと判断したとのことだ。しかし元康は城を3つ失うこととなる。
これでは本当に西三河の主で収まってしまうぞ?何を考えているのだ?
「織田信長の力を借りて三河を統一するおつもりですかな?」
「信長様にそのような暇はありますまい。我らより面倒な敵に囲まれておりますからな」
北に斎藤、南は元康を挟んで我ら今川、西は畿内を長年支配してきた名門と言われる大名家がいる。
元康の三河統一に兵を割いている内に攻められばひとたまりも無いというのは確かに理解は出来るが・・・。
「何を言ってもあの日より敵同士になった我らのお言葉は届かぬでしょう。ですから、とある土産を用意いたしました」
「土産とな?」
「この話を聞いてよい土産だと思って頂けたら此度の和睦、結んで頂きとうございます」
麻呂は泰朝の顔を見、そして氏俊も見た。2人とも頷き、麻呂もそれに頷き返す。
「わかった。結ぶに値すると麻呂が思えば、和睦を呑んでやっても良い」
「ありがたきお言葉にございます。・・・このようなこと私がいう言葉ではないことは分かっておりますが、井伊谷城の井伊直盛殿は松平に従うという密約を交わしておりました」
やはりそうだったか。今まで静観を決め込んでいて決定的な証拠がなかったが、通じている方がそういうのであれば、十分責め立てる証拠になり得るか?
「しかし引馬城で飯尾連龍が敗れ、それに合わせて多くの親松平の者らが死んだと聞いております。さらに先の戦で遠江に比較的近かった五本松城の落城と月ヶ谷城が焼き払われた今、井伊谷城は孤立を極めておりますな。結果井伊家では松平に付くか、武田に着くかで割れております。井伊谷城へ人をやっておりまして、その者からの情報ですので信用は出来るかと」
「武田・・・か」
泰朝の表情は暗い。麻呂にはその理由が分からなかった。
「現状反旗を翻していない井伊が武田に付けば、今川と武田の同盟の立ち消えは決定的なものとなります。一度でも元康についておれば、その後井伊がどう動こうが関係はないが・・・」
その言葉でようやく分かった。家臣らの謀反が止まらぬ今、裏切った井伊を糾弾しなければ他の者に示しが付かぬ。それが例え同盟相手に寝返ったのだとしても。
しかし武田を糾弾するということは、三国同盟の解消が起こりえる。そうなればどうなる?
今までは安全であった駿河にも戦火が及ぶであろう。
「・・・政次を今すぐ呼び戻せ!今井伊は危険じゃ!」
「かしこまりました!」
氏敏が慌てて部屋から出て行く。これは和睦を呑むしかないな。あまりにも有益過ぎる情報であった。
「泰朝、麻呂はこの和睦呑んでも良いと思っている」
「私も同感にございます。三河における我々の地位は確立できました。これ以上無駄に戦う必要は無いかと。それよりも」
「そうだな。武田か・・・」
武田と万が一同盟が切れたとき、北条は如何動くであろうか。万が一2家が結託し攻め寄せてくれば、麻呂達はいよいよ終わりやもしれぬ。
「それとその書状には書いてなかったことなのですが、1つだけお願いがございます」
「何だ?」
「一色政孝殿が現在知多湾を封鎖されている件にございます。どうか和睦がなれば松平領の船を通して頂きたい」
その話、麻呂は初耳であった。泰朝に目を向けると小さく頷いておる。
「漁師や商人に身分を偽って襲われては困ります故、水軍を動員し通り抜けれぬよう監視している話でしょうな」
「そのことで政孝に益が出ているのか?」
「いえ、そもそも沈めた船は見せしめに1隻とのことにございました。さらに沈めた船に乗っていた者らは全員救出し、港周辺まで送り届けたと聞いております。また沈めた船に乗っていた荷も出来るかぎり拾い上げ、持ち主である商家へ返したとか」
「では何故沈めたのだ?」
「警告に従わず攻撃してきた故、やむを得ずとの話でした」
そんなことがあったのか。しかし益が出ておらぬのであれば問題は無いであろう。
「政孝には麻呂から言っておく。今後は気にせず海を渡るが良い」
「ありがたきお言葉にございます。これで我らが領の者らも安心するかと」
正式に和睦の書状に署名し、忠次へと渡した。これで当分は三河も平和であるはずだ。
しかし問題はまだ山積みであるな。
忠次がいなくなった部屋には麻呂と泰朝のみ。
「とりあえず政孝には言うておかねばならぬな」
「では私が使いを出しておきましょう」
「それと井伊のことである。忠次の言葉がどこまで信じられるかは分からぬが、少なくとも井伊を許しておくことはもう出来ぬ」
「武田へと渡られると非常に厄介ですからな」
麻呂は頷き、泰朝も頷く。考えていることはどうやら同じであったか。
「冬が明ければすぐに兵を出す。井伊谷城を落とすぞ」
「かしこまりました」
井伊を押さえ込めばいよいよ外を見ることが出来る。まだ今川は滅んでいないのだ。
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