第39話 川中島で得たもの、失ったもの

 大井川城 一色政孝


 1561年秋


「小十郎、しばらく人を入れるでないぞ」

「かしこまりました」


 戸の向こう側から小十郎の返事が聞こえてきた。これで正面からの盗み聞きは無いだろう。天井裏と床下には栄衆の者らを潜ませている。他国の忍びによる盗み聞きも心配は無い。


「落人ここへ」

「はっ」


 俺の視界の上部より落人は姿を現した。今は商人のなりをしている。栄衆はその特長を活かしているため、黒い装束を着ていることが少ない。それよりは商人や農民、たまに武士へとなりきり、各地にて情報を集めたり流したりしているのだ。


「此度は商人か。成果は如何だったのか?」

「米をたくさん買われましたな。今年も甲斐は不作だったようにございます」

「そうか。川中島では痛み分けだと聞いたが?」

「甲斐の領民の話だと、武田信玄の弟である信繁や軍師であった山本勘助、また譜代の家臣であった室住もろずみ虎光とらみつなども討ち取られたように御座います。対して上杉側に主だった将の討ち死には無し。結果として信玄は多大な犠牲を払った上で北信濃を完全に制圧いたしました」

「払った犠牲があまりにも大きいな。弟の信繁は相当信玄から信を受けていたと思うが」

「そのようで。いくさ後かなり落ち込んでいると領民らも心配しております」


 それにしても史実通りになってしまったか。上杉が今後も北信濃を牽制してくれるのであればこちらから意識を逸らすことも出来るだろう。しかしそうはいかないだろうな。

 なんせ政虎は敵が多すぎる。関東管領になった限りは相模の北条を牽制しなくてはならない。信濃にも武田信玄が居て、越中には神保じんぼ長職ながもとや一向一揆もいる。そしてもっと根本的な問題として、上杉政虎の父である長尾ながお為景ためかげが下克上でなりあがったその都合で、支配下に置いている領主らに忠誠心が薄いという特徴があった。何度も家臣は謀反を起こし、その都度鎮圧しているのが長尾家であり上杉家だ。

 いつまでも北信濃だけを意識することなど出来るはずもない。


「どうしたものか・・・。落人らより米を買ったのは何のためか気になるな」

躑躅つつじヶ崎さき館に人を入れますか?」

「いや、敵対行動は避けるべきだ。敵意を持たれて攻め込まれればひとたまりも無いのはこちら。栄衆はしばらく各地に人をやり情報を探らせよ。どんな些細なことでも俺に報告するよう手配してくれ」

「かしこまりました」

「そうだな・・・、三河・尾張はもとより甲斐に信濃、あとは美濃」

「周辺国は全てですか?相模は如何なさいます?」

「相模と伊豆も一応入れておくか。今後役に立つことがあるやもしれんからな」

「かしこまりました」


 落人は話は済んだと思ったのだろう。立ち上がり姿を隠そうとした。しかし俺としてはもう一つ気になる場所があった。


「落人、京へも人を入れよ。ここは念入りにな。特に将軍家と三好の関係を探れ」

「・・・かしこまりました」


 一瞬の間は、俺の命の意図を考えたのだと思う。まぁ分かるまいよ。史実ではあと5年もしない間に永禄の変が起き、13代将軍である足利義輝が二条御所で自刃することとなる。先の出来事を知っているからこその命だ。

 まぁ京に返り咲いた義輝は、三好から幕府の実権を取り戻そうと躍起になっている。そのせいで三好との関係は悪化し、京でも不穏な空気が立ちこめているという話も暮石屋より聞いていた。

 だからこその命だと思って貰うとしよう。

 そして部屋には1人になった。


「小十郎、少しでるぞ。供をしてくれ」

「かしこまりました」


 戸を開けた小十郎は頭を下げて待っている。

 さて、では行くとしようか。お久様と母の待つ部屋へと。

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