第40話 今川館からの使者

 大井川城 一色政孝


 1561年秋


「華姫様、もっと政孝様のことお聞きしてもよろしいですか?」

「なんでも聞いてください。今日から久は私にとって娘同然です。遠慮は不要ですよ」


 お久様の部屋の前に付いたとき、中からこのような会話が聞こえてきた。楽しそうで何よりではあるが、俺をダシにしている感じが否めない。

 ここで俺が止めに入って変な空気にするのも俺の望むところではない。

 どうするかしばらく考えていたのだが、俺が外にいるなど思ってもいないのだろう。

 お久様に乗せられた母は堰を切ったように俺のあんな話やこんな話をお久様に聞かせていた。幼い頃の話から最近の話まで、父が死んでから俺の話を聞かせるのはいつも側に居る侍女だったから、聞いてくれる者が出来て嬉しいのかもしれない。


「そのときあの子はですね」

「何やら楽しそうに話されていますね。もしかしてお邪魔ですか?」


 先ほど様子を見に行くと言った手前、顔を出さないわけにもいかない。


「旦那様、お邪魔だなんてそんな」

「邪魔です。時宗があなたと話したそうにしておりましたよ」

「いつお会いしたのですか?」

「あなたが道房と彦五郎を部屋に呼んだ後です。時宗は昌友殿や佐助と何やら話をしておりました。その後、あなたの部屋の方をジッと見ておりました」

「そうでしたか、では探すとしましょう。お久様、夕餉はきっと豪勢ですよ。楽しみにしていてください」

「はい、楽しみにしておきますね」


 まぁ楽しそうだから良いだろう。顔は確かに出したし、何より母とお久様が仲良くしてくれていたのが1番安心した。

 自分の部屋に戻ろうと廊下を歩いていると何やら慌てた様子の者がこちらに歩み寄ってきた。


「時真か。何やら俺を探していたようだが?」

「はい、今川館より使者が参っております。急ぎ殿にお会いしたいとのことに御座います」

「わかった。広間へ通してくれ」

「かしこまりました」

「あと時宗を呼んでくれ。他の者には後で伝える」

「父ですね。かしこまりました」


 時真は使者様を広間に通すために、来た道を戻っていく。後ろに控えていた小十郎は軽く頭を下げた。

 時宗を父と呼んだことからも分かると思うが先ほどの男、氷上ひかみ時真ときざねは時宗の長子であり、小十郎の父だ。将来的には一色四家の一角を担う男。

 小十郎も順調にいけば四家の一角を担うようになる。今のうちに時宗を見て立派な男になって貰いたい。

 この者が氷上家を継いでいるころには、一色家も俺の子が跡を継いでいるのだろか?その前に今川を存続させないことには将来を語ることもできないが。


「殿、広間に向かわれますか?」

「今川館からの使者を待たせるわけにもいかんだろ。用件はわからんがとりあえず会う」

「かしこまりました」


 広間に着くとすでに使者の者が待っていた。朝比奈あさひな信置のぶおき殿だった。泰朝殿が遠江の朝比奈家なのに対して、信置殿は駿河朝比奈家と呼ばれていて、同じ朝比奈でも別系統であると言われている。

 どちらにしても父の代から今川家を支えている家の出だ。

 ちなみにこの方の父である朝比奈あさひな親徳ちかのり殿は後の徳川である安祥松平家の他にも大給松平家など三河の者らとも縁があった方だ。今川時代の元康の後見も関口親永と共にやっていた。


「お待たせいたしました。ワシが最後でしたか」

「いえ、待ってはおりませぬ。むしろこちらが急に訪ねましたので」


 時宗も座り軽く挨拶を交わしてから、信置殿は本題に入る。


「氏真様より命が下されました。一色政孝殿は急ぎ今川館へ参られますようお願いいたします」

「今川館にですかな?お呼びされる理由がないと思うのですが」

「松平からの姫の事で御座います。正直に申し上げますと、氏真様の周りではやはり政孝殿を疑う声が出ております。氏真様は戯れ言と聞き流されておりますが、あまり放っておかれますと厄介なことになりかねないと。そういうわけですので、一度久姫様をお連れして氏真様にお会いしていただきたい」

「氏真様は殿を心底信じておられぬのかな?」

「そういうことではありませぬ。しかしやはり松平という存在自体、今川にとってよいものではありませぬ。そういう認識が染みついておるのです。そしてそこから妻をとった一色もまた同様に。関口家のこともあります。疑われると今の今川では居場所を失いますぞ」


 そうだな・・・。お久様を連れて今川館に行くことはあまり気が進まない。信置殿の言うとおり、松平に負の感情を持っていない今川家臣など明らかに少数派だ。

 朝比奈親徳殿なんかはその少数派なのではないだろうか。

 ここで拒絶すれば、松平に付いたと取られかねない。

 しかし史実での飯尾連龍や井伊直親の例もある。道中や城内で暗殺など当たり前にあり得る話なのだ。


「殿、如何されますかな」

「時宗はどう考えている」

「ワシは行くべきだと思いますぞ。もし不安なのであれば事前に華姫様に一筆書いていただけばよろしいかと」

「たしかに母の言葉を氏真様は無視できない。しかしことこれに関しては母の力など借りれんな」


 先日の引馬城の一色家の配置。やはりというか予想通り母が関与していた。氏真様に何やら文を送っていたそうだ。ただその時は氏真様も同様に考えていたようで、母に配慮したということではないと言われていた。

 しかしその一件で母の今川家に対する影響力も改めて確認することも出来たのだ。母に一筆書いて貰えば、今川館でのことは少なくとも氏真様が家臣の方々を押さえられるだろう。

 しかしそれは根本的解決にならない。俺の、一色の立場は頭打ちになってしまう。それ以上の出世は無く、むしろ下がる一方で最終的には何かしらの事情で断絶まであり得る。

 やはりここは堂々と向かって誤解を解くほか無いだろう。

 あまり護衛を付けることは出来ない。栄衆を密かに同行させようか・・・。


「わかった。近く必ず今川館へ登城する。そう氏真様に伝えてもらえるか?」

「わかりました。そのように伝えさせていただきましょう。ではこの辺で」


 信置殿は帰っていかれた。なかなかゆっくり出来ないが、今川が滅亡するまでの時間があまりにも短い。

 色々やらないことには先は無いのだ。

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