第36話 織田信長、その人となり。武田信玄、その思惑

 大井川城 尾野道房


 1561年


「話はまだ終わっていないぞ。最後にみなに重要なことを伝えなければならん」


 殿の口から出た言葉は、鋭く我らの緩んだ空気を引き締めた。海沿いに位置する大井川城にとって海を制する事の出来る水軍の進展は確かに喜ばしい事。

 しかし、殿は岡崎でそれ以上の成果を上げられている。あの時はおそらく私に配慮し表に出して喜ばれなかったに違いない。


「重要なこととは一体?」


 四臣の中でも1番一色家に長く仕えている氷上様がこういうときは尋ねられるのが常。殿は一度息を吐き、そして我ら家臣を見渡された。


「岡崎でな、ある男に会ってきた。本来ならばそこに居るはずのない男だ。誰か分かるか?」

「いるはずのない御方ですかな?はてはて・・・」


 問われたのは氷上様だが、私以外の誰もがその人物を考えていた。


「道房殿もその方にお会いになられたのか?」

「えぇ、同席いたしました」


 佐助殿はまた深く考え込まれた。私の反応を見て考えようとしたのであろうか。しかし時間切れらしい。

 殿がまた話す姿勢を取られる。


「岡崎城にはな、織田信長が来ていた。目的は正確には分からんが城内にて偶然話す機会を経た」

「・・・織田、信長ですと?」

「あぁ尾張のうつけ殿だ。木下藤吉郎という家臣を連れてな」


 周りの者らが殺気立つのがわかる。おそらく私もあの時、殿の側におりながらこうなっていたに違いない。憎しみにとらわれ周りが見えなくなっていた。冷静になった今、あの時殿にお声がけいただけていなかったらと思うとゾッとする。

 私は殿を危険にさらすところだったのだと。


「それは真にございますか?」


 氷上様は静かに怒っていらっしゃる。声が震えているのが分かる。


「道房!お前もその場に居たのであろう!どうして政文様の仇を討たなかった!」

「・・・」


 殿に宥められたからとはいえ、そのようなことを言えるわけもない。ただ黙って佐助殿の目を見続ける。この方ならきっと私の言いたいことがわかるであろう。

 現に胸ぐらを掴む手の力が弱まった。しかしいつまで経っても手が離れることはない。

 葛藤されているのだ。その意味を理解してしまったばかりに。


「止めよ、佐助。俺が止めさせたのだ。道房は確かに信長の首を狙っておった。俺の言葉が信じられぬか」

「いえ、決してそのようなことは」

「ではその手を離せ。でなければ、続きを話すことができぬだろう」

「申し訳ありませぬ。道房殿も申し訳ないことをした」

「いえ、そのお気持ち私も同じでしたので」


 氷上様がホッと一息吐かれたような気がした。まだ昂ぶった者もいるままではあるが、全員が再度殿に注目した。

 殿も頷いて続きを話し始める。


「栄衆の報告が正しければ、元康と信長の子同士の婚姻は早くて来年になると言われていた。であれば、信長がこの時期に岡崎にいること自体不自然極まりない」

「しかし岡崎で会われたのであれば・・・」

「時宗よ、信長が来るのは果たしてそれだけが理由であると思うか?他にもあるだろう」


 氷上様はうぅーんと唸られる。隣に控えていられる昌友殿は気がつかれたようだ。


「殿、よろしいですか?」

「昌友か、お前は気がついたか?」

「はい。おそらく狙いは殿で御座いましょう。井伊谷での噂が作用してのことだと思います」

「俺はおそらくそれが原因であると思っている。だいたいおかしいだろう。今尾張では信長と信清で争っている。さらに美濃のこともある。こんな時期に岡崎に来る必要など無いのだ。にも関わらず、家臣1人を連れて岡崎に来るというのは些か無茶が過ぎるとは思わんか」

「確かにそうでございますな」

「信長は俺のことを知っているようだった。道房のこともある程度は把握していたようであった。間違いなくこちらの動向を知って強行したのだろう」


 殿の話を聞いて改めて思った。織田信長の行動力の凄さを。私なら敵が目の前に居る時に余所の国に出て関係のない者に会おうなどはしないし、出来ない。

 織田の家臣らが優秀であるということを抜いてみてもやはり無茶苦茶な男だと思った。


「殿、織田様はどのような御方でしたか?」

「そうだな・・・」


 昌友殿の問いに殿は真剣に悩まれる。

 そして殿の言葉を固唾を呑んで皆が見守る。先代の殿を討ったのだ。普通に考えればどうあがいても敵であることに違いは無い。しかし目の前で見ていた私だから知っていることもある。

 殿は織田信長に敵意を抱いていない。もちろん警戒していないわけではない。

 ただ憎んでいるといった感情を読み取ることは出来なかった。


「間違いなく大きくなるな。それこそ義元公の頃の今川よりもな」

「それほどに御座いますか?」

「あぁ、あくまで俺は信長と敵対すべきではないと考えている。もちろん一色だけの話ではない。今川家も含めてだ」


「しかし」「それは」といった困惑の声が周りから漏れ出ている。それは私も同感だ。今川と織田は義元公の敵云々の問題でなく、長年三河や尾張という土地で争ってきた。そう簡単に手を取り合うなど出来るはずもないが、しかし殿はそれを成そうとされている。

 だからあの時信長に自らを売り込まれた。そして織田に付けという誘いを断ったのだ。


「時宗よ、尾張や三河に進出できないとなれば、ぬしが大名であれば如何動く」

「美濃しかありませぬ」


 時宗様は即時そう答えられた。確かにそうだ。背後は甲相駿こうそうすん三国同盟によって固められている。尾張・三河に出れぬならもう美濃しか無いだろう。

 しかし殿は首を振られた。


「井伊谷の一件もある。俺なら間違いなく甲斐や信濃に狙いを定める」

「しかしその2国はいずれも」


 氷上様は慌てて殿に訂正をするよう諭されるが殿にその気はなさそうだ。


「武田晴信、今は信玄か。やつは間違いなく破棄するぞ。川中島で上杉相手に手痛い負けを喫したばかりだ。北上を諦め南下をしてくる、間違いなく。南には弱体している今川がいるのだからな」

「ですがな、」

「現実を見るのだ、時宗。もはや強かった今川は昔の話だ。今やらねばならぬのは最悪を想定して用意をすること。先に言った一色独自の海軍整備もまたそれに必要なことなのだ」


 氷上様や他の家臣の方たちも、まだどこか疑いながらではあるが大方納得されたらしい。黙って頷く方がほとんどだ。

 明らかに喜んでいるようなのは林彦五郎殿くらいか。

 この者、殿の水軍整備に1番乗り気であるからな。


「そういうことだ。信長とは今後よい関係を築いていきたいとは思っている。しかしだからといって、三河で今川に忠義を尽くし踏ん張っておる者らを見殺しにすることなど決して無い。吉田城、上ノ郷城を筆頭に抵抗し続けている者らを助けるのもまた俺達の役目だ。それだけは忘れてはならぬぞ」

「「「はっ」」」


 我らは揃って頭を下げる。殿は満足そうに頷かれているのが見えた。

 これにて解散のようだ。しかし殿は私と彦五郎殿を呼び止められた。この方と一緒ということは、私からの用件をだいたい理解されているということだろう。

 氷上殿の孫にあたり、今は殿の側仕えをしている小十郎に案内され殿の部屋へと向かった。

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